まず目に飛び込んできたのは、形も場所も自分たちとは明らかに違う耳。 続いて印象的な水色で顔にいく筋も描かれた紋様、左右の色が違う吊り上がりぎみの目。背後で小さく揺れる長い尻尾。 それらの強烈すぎる特徴に気をとられ、彼がすらりと均整の取れた、戦士として理想的な肢体の持ち主であると気付いたのは、ユリシーズが一言目を発した時だった。 「確か……ガリアの戦士長、ライ殿でしたな。レニング殿下と共にガリアを訪れた際に何度か顔を合わせましたが、我が輩を覚えておられますかな?」 「ははっ、こんな印象的な人、一目見たら忘れないって。久しぶり、ユリシーズさん」 ライと言う名を持つ青年は、人好きのする笑顔でユリシーズに返すと、ジョフレの方を見た。 「そっちの人ははじめましてかな」 ライはジョフレが予想していた以上に優雅に礼をしたので、ジョフレも慌てて頭を下げ、挨拶をした。 「はじめまして。クリミア王国が騎士、ジョフレと申します。以後お見知りおきを」 「オレはガリアの戦士ライ。そう硬くならずに、気軽に頼む」 差し伸べられた手が目に入り、顔を上げると、硬く握手をする。その際に、失礼だと判っていながらも、ついまじまじと見てしまった。 話には幾度も聞いていたが、ジョフレが彼らをこれほど間近に見るのは初めての事だった。数年前の交換武官でやってきた彼らを遠くから見たのがせいぜいだ。 生まれながらに異なるもの。化身の能力を持つラグズ――耳と尻尾から察するに、獣牙族と呼ばれる種族だろう。 「ジョフレは私の弟なの」 「ははあ、なるほど。どうりでよく似てると思った」 どうやらライとルキノは今日がはじめてと言うわけではないようで、親しげに会話を続けている。ルキノは数年前、交換武官の際にガリアに赴いて長期滞在をしているので、その時に親しくなったのだろうと勝手に納得した。 つまりこの中で、ラグズとまともに交流を持った事がないのは、ジョフレただひとりと言う事だ。 「似てるってよく言われるのだけれど、そうかしら?」 「ああ。ルキノさんが性別を変えて髪を切ったらあんな感じになるって」 「いやいや、いけませんな。それは明らかな美の損失。想像するだけでも罪と言うもの」 「……お前な」 短い言葉と視線で苦情の意を友人に伝えると、ジョフレは改めてライに向き直った。 ユリシーズは彼の事を戦士長と言った。つまりクリミアで言うところの将軍職である彼が、渦中のクリミアにわざわざ現れ、自分たちと接触を持ったと言う事である。友によく単純だと言われるジョフレでも(ジョフレに言わせればユリシーズが複雑すぎるのだが)、何かしらの意図を感じ取らざるをえなかった。 一旦会話が切れると、ルキノやユリシーズも、ジョフレと同じ視線を獣牙族の青年へと投げかける。それを受け止めたライは、怯まずに僅かな笑みを浮かべて、わざとらしく咳払いをする。 「エリンシア姫は無事、我が王カイネギス様との面会を果たされた」 姉の体が小さく揺れる様子が目に映り、ジョフレはとっさに腕を伸ばす。そうして姉の体を支える事で、自分自身が揺らぐのを抑える事ができた。 ユリシーズは深く息を吐き、目頭を押さえる。 「お怪我やご病気には?」 「心労か肉体疲労かが蓄積して辛そうではあったけど、休めばだいぶ良くなった。それ以外には特に問題がなさそうだ」 「姫は今いずこに」 「その前に、今後の事を聞いてほしい。とりあえず、座ろう。おあつらえ向きに椅子は四つある」 ライはルキノとジョフレの背を軽く押してからテーブルに向かい、一番奥の椅子に腰を下ろした。 その直後の三人の動きは、一刻も早く話の続きが聞きたいとの意思を、見事に体現していた。ライの隣にルキノが、向かいにユリシーズが、あまった席にジョフレがすばやく腰を下ろす。テーブルに腕を着き、身を乗り出すところまで同じで、ライは拍子抜けしたらしく、小さく苦笑を浮かべていた。 「まずはガリアからの援軍の件だが……これはまだ出せない。理由はまあ、色々あるんだが」 「それについては気になさらず。こちらとしても、今出されては都合が悪い」 「そいつはどうも。あんたが居ると話が早いな」 ライは嬉しそうに言って、持っていた地図をテーブルの上に広げた。 「エリンシア姫だが、デインの目を盗むために海路をとって、ベグニオンへと向かっている最中だ」 長く鋭い爪を持つ指が、紙を引き裂く事なく器用に地図の上を動く。ガリアの王宮から、クリミアの港町トハへ。それから海を南下し、大陸の南端で東へと曲がり、そのまま直進。やがてライの指は、ベグニオンの港町を経由して、ベグニオンの首都、大神殿マナイルへと到達した。 「対デインの意思を表明するにも、国の再興するにも、クリミアの今後のためを思えばベグニオンの後ろ盾は必須だろう?」 「……確かに」 「これはまだ決定事項ではないから他の奴らには黙っていてほしいんだが、王はクリミア・ベグニオン対デインの図式が完成した時に、ガリアからも正式に援軍が出せるよう手はずを整えているとこだ。そこで、だ」 ライは順々に、ユリシーズ、ジョフレ、ルキノの三人と視線を合わせた。 「運良く生き残った我々は、エリンシア様がお戻りになられるまでにクリミアの遺臣たちを集めて正規軍を再結成し、集められるだけの情報を集め、姫を迎え入れる準備をした方がよろしいようですな」 「……話が早すぎて拍子抜けだな」 「姫の御身をお護りできないのならば、別の形で姫のお役に立たねばなりませんからな。何より、クリミアを取り戻すための戦いに、クリミア正規軍が存在しないと言うのはあまりに体裁が悪い」 「新しいクリミア王の器によっては、それもありかとオレは考えていたけどね。安心していい、少なくともガリアは、援軍としての立場を逸脱するつもりはない。逸脱しなくてすむくらいに、クリミア王の臣下が働いてくれれば、だけどな」 傍から話を聞いているジョフレに言わせれば、腹の探り合いを超えて攻撃しあっているとしか思えない会話だったが、どうやらふたりの笑顔は仮面ではないようだった。 こんな会話を楽しめる人間にはなりたくないと思う自分は甘いのだろうか。 心底悩み、助けを求めるように姉を見やれば、姉は何も言わず、同意するように頷いた。 「おっと、そろそろ戻らないとな。ここでルキノさんに会えたのは幸運だったよ。こちらの意向をクリミアに残った遺臣の誰かに伝えたかったんだけど……一番いい人たちに伝えられたようだ」 ライは満足げに言って広げた地図をすばやくしまい、席を立つ。 今にも走り去ってしまいそうな彼に慌て、ジョフレはテーブルに手を着いて立ち上がった。 「しかし!」 すでに階段のそばまで移動していたライが、ジョフレの声に振り返る。 「貴方が言う事が重要なのは百も承知だが、あくまで姫が帰られた時の事ではありませんか。船旅ならばデイン兵に狙われる危険は大きく減るとは言え、海賊たちに襲われる危険もある。ベグニオンからクリミアに戻られる際には、再びデイン兵と見える可能性もある。その際に姫の御身を護るのも、私たちの使命です。ライ殿が姫の現在地を存じているのならば、今からでも合流して……」 「姫は今カントゥスに居る」 ジョフレの声を途中で遮り、ライははっきりと言い切った。この隠れ家からさほど遠くない城の名を。 すぐそばに、エリンシア王女が居るのか。 ライの告げた事実は衝撃的で、ジョフレは高鳴った己の胸を押さえた。 「トハへの行きがけに、カントゥスの捕虜を救出しているところだ。オレはその間に、クリミアの遺臣と接点を持とうと思ってあんたたちに会った。姫と合流する気なら、オレと一緒に来ればいい」 ジョフレは迷わず、立てかけておいた槍と弓、それから荷物を詰めた袋をすばやく手に取り、ライの後を追おうと一歩を踏み出す。 「待たれよ、我が友よ」 しかし冷静なユリシーズの声が、ジョフレを引き止めた。 「君に行かれては困る」 「何を言う。姫をお守りするのは、王弟殿下より賜った俺の使命だぞ」 「王弟殿下のご命令は、姫をガリアまで安全にお送りせよ、であったはずだが? つまり君はすでに姫の近衛の任は解かれている」 もっともな指摘にジョフレが身を硬直させると、ユリシーズはゆっくりと立ち上がり、ジョフレの肩に手を置いた。下から覗きこむように見上げる目は、鋭くジョフレを捕らえる。 「君はもしかするとクリミアに残された唯一の聖騎士かもしれん。なれば、新生クリミア軍の将は君しか考えられんのだよ。ルキノ殿や我が輩では、残念ながら役者不足だ」 「そんな、事は」 「ないとは言わせんよ。騎士の気持ちを一番知っているのは、君のはずだ」 ユリシーズの言葉を否定する事ができず、指先から力が抜けたその隙に、ユリシーズはジョフレの手から槍を奪った。奪い返す事もできず、呆然と立ち尽くしていたジョフレの瞳に、姉の姿が映った。 迷っている目をしていた。ルキノも、ジョフレと同じ思いを秘めている事が伝わってきた。そして彼女は、ジョフレよりも僅かに自由だった。 「……ルキノ殿」 ユリシーズはルキノの名を呼んだが、それ以上は何も言わなかった。 ユリシーズとて当然、姫の身を案じている。ルキノのように信頼できる人物が、姫のそばに居て姫の身を護ってくれればどれほど安心できるか。 「ライ殿、教えて」 「オレに判る事なら、なんだって」 「姫がご無事に帰還する事を、私たちは信じてもいいのね?」 ライは一瞬たりとも迷わず、強く頷いた。 「姫をガリアまで送り届けた傭兵団に、引き続きベグニオンまでの護衛を頼んでいる。信用できる連中だ。それにガリアの精鋭も護衛につけたし、船の方もガリアがもっとも信頼する船長を選んでいる。これ以上の人選はないと自負してるよ」 「……貴方は、信じている?」 「もちろん」 ルキノは目を伏せ、数秒してから目を開けると、小さく微笑んだ。 「エリンシア姫を、よろしくお願いします」 深々と頭を下げる姉の横顔を見つめたジョフレは、自由ではない我が身の疎ましさが、少しずつ解放されていくのを感じていた。 後先を考えなかった己の行動が恥ずかしい。荷物を全て手放し、姉に習ってライに頭を下げる。ユリシーズは、舞台俳優のように優雅に腰を折った。 「信じてくれてありがとう。お礼に、できる限りこまめに報告を送るよ」 願いを受け止めたライは力強く言って、三人の前から姿を消した。 |