晴れわたる空の下・4

 おそるおそる瞼を開くと眼前に広がる、迫るように伸びる枝と、隙間から覗く灰色の空。
 背中には、一枚の布越しにやや柔らかい土の感触。
 どうやら自分は森の中で横になっているようだが。
「……?」
 ちょうど今の空のように、頭の中が曇り、記憶がはっきりとしなかった。なぜ今、自分は森の中に居るのだったか? しかも、なぜ寝ている?
 状況が掴めず、ジョフレは頭を抑えながら上半身を起こした。
 途端、体のあちこちに痛みが走り、顔を顰めてうずくまる。腹の底から息を吐きながら、今度はゆっくりと顔を上げ、辺りを見渡した。
 ああ、そうだ。確か、任務で。
「ジョフレ将軍!」
 上ずった声が自分の名を呼ぶ。ちょうど視界に飛び込んできた男の声だった。
 肩や腕に包帯を巻く男の名前をジョフレは知らなかったが、おそらくクリミアの者だろう。男は鎧を脱いでいたが、腰から吊り下げられた剣にクリミアの紋章が刻まれている。それだけならばクリミアの兵士から剣を奪ったデイン兵の可能性もあったが、だとしたら彼はジョフレが目覚める前に命を奪うなり拘束するなりをすべきであり、デイン兵でない事は明らかだった。
「私は、なぜ……?」
「深手と毒を負われて、森の中に倒れてました。デイン兵の中には毒のある武器を使う者もいたので、毒はそのせいだと思います」
「ああ……」
「第五小隊にはひとり神官が居たんですが、デインとの戦いで死んでしまって、俺が持っていた傷薬を使って見様見真似で治療してみたんですけど、やり方良く判らないし……」
 男は感極まった様子で、ぼろぼろと涙をこぼして泣きはじめた。
 大の大人がそれではみっともないだろう、と言ってやろうと思ったが、まじまじと見て見ると彼はまだ少年と言える年代だった。だからと言って大泣きしていい理由にはならないが、注意する気はどこかへと消え去った。
「ご無事で良かった」
 ちらりと覗くてのひらは、武器を持ち慣れていない柔らかなもので、新人の兵か民衆からの志願兵だろうと、容易に予想ができた。どちらにせよ、この戦乱がはじまるまでは戦いが常ではない立場で生活していたのだろう。突然王都が襲われ、国を導く王が亡くなり、敵国の真意も判らぬままに戦いを繰り返す事は、不安ばかりだったのではなかろうか。
 だとすれば、たとえ無様に横たわるだけの男でも、将軍職に就く上官は心の拠り所となったのかもしれない。
 ジョフレは自分の体に不器用に巻きつけられた包帯を軽く撫でた。
「お前のおかげで助かった。ありがとう」
 ジョフレが言うと、少年は涙を拭って笑ってみせた。
 涙に濡れて輝く少年の瞳は淡い緑で、雲がかかったジョフレの記憶を大きく揺さぶる。
 そう、森で、戦った。何十人もの命を奪った。守るために。大切な人を。
 エリンシア王女、を。
「エリンシア様……」
 そうだ。自分はケビンを見捨てた。見捨てて、王女を探して森を駆けた。馬を降り、草を分け、王女の姿を探し、その途中で倒れたのだ。
「はい?」
 ジョフレは少年の、包帯が巻いていない方の肩に掴みかかった。恩人の傷に配慮したつもりだったが、揺さぶられる事で傷に響いたのか、少年は眉を顰める。慌てて手を離したジョフレは、いつもよりも強い口調で問いを投げかけた。
「お前か、誰か他の生存者でもいい。 エリンシア様の行方を知っている者は……!?」
「え? エリンシア様は、ケビン隊長が追っていったって……ケビン隊長とどこかに隠れているのでは、ないのですか?」
 少年の瞳に動揺が色濃く浮かぶ。
 そう、確かにケビンは王女の行方を追った。彼は暴走した馬車に追いついた。けれど、ケビンが王女を見失った。それをジョフレは知っている。
 王女は自らの足で逃げたのか、それともデイン兵に捕まり攫われたのか。
「私は、何をしていたのだ」
 倒れている暇などどこにあった。深手が、毒が何だと言うのだ。
 体からすべての血が流れ出ても、惨めに這いつくばり、一歩でも先に、王女の行方を捜さなければならないと言うのに。
 ジョフレは立ち上がり、傍らに置いてあった血まみれの服を羽織った。血の乾き具合に、思った以上に時間が流れている事を知ったジョフレは、余計に気を逸らせた。
 自分はどれだけの時間を無駄にしてしまった?
「将軍、だめです! まだゆっくり休まないと。死にかけてたんですよ!」
「クリミア兵で生存者は何人居る?」
「将軍!」
 少年はジョフレの腕を引いたが、ジョフレは少年の手を振り払った。
「お前には感謝している。だが、私の命などは、姫の存在の前では無価値だ。君も軍属の身ならば判るだろう」
 あらゆる感情を込めた言葉だったが、口から放たれると驚くほど冷たい言葉となった。
 少年の厚意を傷付けかねない冷たさだったが、少年は僅かに怯えただけで、俯き、静かに立ち上がる。動く事を確認するように右腕を振り回し、腰の剣の感触を確かめると、まっすぐにジョフレを見つめてきた。
「エリンシア様を探せばいいんですね?」
 ジョフレは肯いた。
「怪我人である君をこれ以上働かせるのは、申し訳ないが……」
 ジョフレが言うと、少年は一瞬吹き出したが、慌てて両手で口を抑える。
「何言ってるんですか。死にかけてる将軍が動いているのに、俺がじっとしてるなんて後味悪いですよ。みんなも同じ事言いますきっと」
「みんな?」
「俺が知る限りですが、あと三人居るんです。生き残ったクリミア兵。三人とも怪我してますけど、俺よりもましで、命に別状がある怪我じゃないです。今は他に生存者が居ないか、あたりを探してます」
 そうか、と息と共に吐き出すと、ジョフレは自分の表情が少しだけ和らいだのを自覚した。
 たった三人にまで減ってしまった。けれど、何よりも頼もしい。
「みんなを、呼んできますね」
 少年はその場を走り去ろうとしたが、一瞬戸惑い、顔だけ振り返ってジョフレを見上げた。
「あの」
「何だ」
「ケビン隊長は――」
 少年はそれ以上言葉を紡がず、苦い笑みを浮かべて走り去った。
 その問いの答えを、ジョフレもはっきりとは知らない。だが、大体の予想はつく。あの状況でケビンがデイン兵の元を逃れられたとは思えず、だとすれば生存も絶望的だ。
 真実を知りたくても、希望を失いたくはない。だから少年は問いを飲み込んだのだろう。
「……すまない」
 ジョフレは呟いて、歩きはじめた。この森のどこかに、エリンシアがいる事を願って。

 しかし、どれほど探しても、エリンシアを見つける事は適わなかった。


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