晴れわたる空の下・1

 城を出た日から続く曇天は、まるで自らの心情を写し取っているようだ。
 ここ数日の灰白色に覆われ続けた空を見上げながら、ジョフレは深いため息を吐いたが、濁っていてもまだ明るい空の色に少しだけ慰められた。
 突然の戦乱に巻き込まれ、賢王ラモンやその王妃をすでに亡くしたこの国は、厚い雲に覆われて希望を見失っている。しかし雲の向こうに眩い太陽があるように、この国にもまだ希望が残されている。この国の雲は未だ白く、暗雲が垂れ込める事はない。
 瞬きと共に、未だ戦場を駆けているだろうレミング卿の勇姿を脳裏に蘇らせたジョフレは、一瞬ちらりと後方に振り返り、視界の端に馬車を映した。
 華美な装飾はなされていないが、目の肥えた者が見れば一目で判る、洗練されたデザインや上質の塗りもの。馬車を引く馬の力強さも毛並みの良さも、聖騎士であるジョフレの乗る軍馬にまったく引けを取らない。外観だけで中に居る人物の高貴さを物語ってしまうその馬車に、ジョフレは若干の不安を抱えていたが、中に居る人物の事を思えば悪質な乗り物を使えないのも事実で、もっとも地味な馬車を選んだ事を最良の選択と思うしかなかった。
 追い着かれれば気付かれるだろう。ならば、追い着かれなければよいのだ。デインの兵に。
 馬車の中に居る可憐な乙女、クリミアに残されたふたつの希望の片割れである王女エリンシアの、涙に濡れた顔を思い出し、ジョフレはぎり、と唇を噛んだ。
 両親を失い、けれど泣き崩れる事も許されない彼女を哀れに思う気持ちが半分、誇らしく思う気持ちが半分。相反しかねない複雑な感情であったが、上手く調和するにせよ、どちらかが勝つにせよ、彼女を守らねば、守りたい、との想いは増すばかりだった。クリミア王国の聖騎士としても、ひとりの男としても。
「ジョフレ将軍、ご報告です!」
 後方から馬を走らせてきた騎士が、ジョフレに並んだ。鮮やかな赤い鎧に身を包んだ好漢で、名はケビンと言ったはずだ。
「使いが戻ったか? 王都の状況は? こちらに追っ手がかかっている様子はあるのか?」
「レミング卿のご活躍により、デイン兵のほとんどは王都でクリミア正規軍と交戦中のようです。ですが、いずこからかエリンシア姫の情報を得たようで、いくらか追っ手が向かっておるとの事」
 ジョフレは舌打ちをしたい気分になったが、部下の手前、なんとか抑えた。
 有事の際を想定し、隠匿された王女エリンシアの存在は各国王族へ知らされている。そのおかげで今、こうしてガリアへ救援を求めに向かえるわけだが、それはデインにもエリンシアの存在を知られいると言う事でもあり、つまり追っ手がかかるのは必然だった。一長一短とは、まさにこの事だ。
「兵数は第五小隊の二倍近くと推察されます」
「そうか」
 王弟レミングははじめ、王女の護衛にもう一小隊つけるようジョフレに指示していた。
 しかしジョフレはそれを良しとしなかった。ただでさえ兵の数で不利を強いられているクリミア軍に、これ以上負担をかけるわけにもいかないと、あの時は思ったのだ。ジョフレは指揮する隊を小隊の中では一番の精鋭である、ケビン率いる五番小隊のみにしぼり、あとをレミングに任せて戦場を離れた。
 自分は判断を誤ったか。王弟の指示した通りもう一小隊連れるべきだったか。
 眉間に深い皺を刻んで考えてみたジョフレは、まだ自身の判断力不足を責めるにも、諦めるにも、早すぎると悟った。追い着かれるとは限らないし、追い着かれても撃退できれば良いのだ。
 少々熱血過ぎるきらいはあるが、ケビンと彼が率いる五番小隊の実力は確かだ。それにジョフレ自身も、与えられた称号におごるつもりはないが、聖騎士の名に恥じない程度の実力はあると自負している。
「数の上では不利かもしれませんが、ジョフレ将軍の元我ら五番小隊が力を揮えば、勝利は確実かと!」
「そう私も信じているが……それで? デイン軍の進行速度は」
「発見した時点では、我らより半日ほどの遅れのようです」
「……そうか」
 王都を出てからかなりの強行軍でここまで来た。そろそろ王女に充分な休息を与えたいと思っていたところに、これは最悪の報告だ。
「判った。もう下がって……」
「ジョフレ将軍! ケビン隊長!」
 ジョフレの声を遮ったのは、前方から駆けてくる、偵察を任された騎士だった。
「どうした」
「前方に、デイン兵が待機しているようです……!」
「何!?」
「数は多くなく、二十騎ほどですが、全て正規兵かと」
 現実を飲み込んだケビンが、指示を待ってこちらを見る視線を感じた。
 こちらの兵力を甘く見ていたとしても、二十騎程度で勝つ気はないだろう。おそらくは、後方からに迫るデイン兵と挟み撃ちにする気だ。
 それは避けねばならない。ならば、後ろから追い着かれるよりも早く前方の騎兵隊を片付けなければならないが。
「では」
「後方より敵襲!」
 ざわり、と空気が震えた。
 先ほど半日程度の遅れと報告したばかりのケビンの顔に、動揺が色濃く浮かぶ。把握していた事態が現状と違っており、しかも前後から挟み撃ちにされたと知れば、誰でもそうなるだろう――おそらく、ジョフレ自身も。
「ケビン、第五小隊を率いて後方のデイン軍を抑え姫を守ってくれ。背後は気にしなくていい」
「それでは、前方の騎兵隊はどうなさります?」
「もちろん私が行く」
「しかし、いくら誉れ高きジョフレ将軍とは言えおひとりでは……!」
 ジョフレが微笑むと、ケビンは反論の言葉を打ち切った。
 挟み撃ちにされた時点で、不利な戦いを強いられる事は決まっている。ケビンがより兵の多いデイン軍との戦を強制されるのならば、将である自分もその程度の事をやってみせねばなるまい。
「任せたぞ、ケビン」
「はっ。将軍にご武運を!」
 ケビンは一礼をし、偵察兵を連れ、後方へと駆けていく。
 その背を数瞬見送ってから、ジョフレも前方へと馬を走らせた。

 港町との交流を活性化させるために森を切り開いて作られた街道は、馬車を通す程度の幅はあったが、お世辞にも広いとは言えない。左右に連なる高い木々が流れ去る様を横目に、前方へと進み続けたジョフレは、そう時間を置かず、報告通りのデイン兵を見つける事ができた。
 少し開けたその場には、ずらりと騎兵が並んでいる。横に五列、建てに四列。なるほど確かに二十騎だ。
 ジョフレは道の途中で速度を緩め、相手の顔を確認できるほどの位置で完全に足を止めた。
「クリミアの騎士だな」
 隊長と思わしき、前列の中心に居る男が、ジョフレを見るやそう言った。
「いかにも。私はクリミア王国が聖騎士ジョフレ」
 聖騎士と聞いて、デイン兵たちに緊張が走るのが判った。
 ジョフレは他国の軍の称号や鎧の違いを細部まで覚えている男ではなかったが、一見して、デインの騎兵全員が下級騎士である事が見てとれた。下級騎士と言っても実力はそれぞれなので、ひとまとめにするわけにもいかないが、そこに居る全員がジョフレを格上と見ているのは間違いない。
「此度のデイン軍の蛮行は到底許せるものではないが、後に正式な場で語るべき問題であり、私は私情でデイン軍を撃つつもりはない。この場は兵を引いてはもらえぬだろうか」
 ジョフレが落ち着いた口調で朗々と語ると、一瞬その場は静かになったが、すぐに下卑た笑い声が響いた。
「使えるべき主を失った、敗戦国の騎士がよくぞ言ったものよ」
 失ってなどいない。
 反射的にそう返しそうになり、ジョフレは口を噤んだ。
 この騎士たちはクリミア王家の生き残り、王女エリンシアを追っている。ジョフレたちが王女の護衛隊であろうと、ある程度の予想をしているだろう。ここで熱く反論し、彼らの予想を核心に変えるなど、愚行以外の何ものでもない。
「たった一騎で何ができると言うのだ、聖騎士殿。私に聖騎士を討ったと言う手柄を与える以外に」
 嘲笑を浮かべた隊長が、そう言って左手を上げると、デインの騎士たちは各々の武器を構えた。
 戦線布告もなく奇襲をかけるような卑劣な主を掲げれば、騎士もこうして地に落ちるのだろうか。気品もなく、礼儀もなく、誇りもなく。
 ならば遠慮もいるまい。
 守るべき主の可憐な笑顔を胸に、ジョフレは槍を構えた。
「この首級欲しくば、参られよ!」


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