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色彩の守護者


 闇の眷族退治に派遣されるには、まだ自分の実力は足りていない――と言う事を、アーロは今、身をもって思い知っていた。
 師を恨む思いが、心の底からじわりと湧き上がってくる。そもそもアーロは、自分の実力を冷静に判断できていて、わざわざ体験しなくとも、駄目だろうと思っていたのだ。だと言うのに、こうして現場に放り込んだ師匠の判断は、あまりに乱暴で無責任ではあるまいか。
「ほら。あいつを足止めしろ!」
 軽く言い放つのは、師の命令で、今晩の仕事を共に受ける事となった兄弟子ヨシュアだった。
 簡単に言うなよ。俺にとって足止めは命がけだっての。命かけても、できないかもしれないっての。
 言いたい事は山ほどあるのだが、立場が弱い弟弟子に言い返せるわけもない。アーロは無言で矢筒から魔力を込めた矢を引き抜き、番えた。
 武器に魔力を込めるのは大変な作業なので、つい先日魔法を使えるようになったばかりのアーロには、今日までに五本の矢を用意する事が精一杯だった。「みんな剣一本とかしか用意しないぞ。お前すごいな」と、ヨシュアは出発前に言ってくれたが、アーロはそれを素直に褒め言葉として受け取りはしない。自分がすごい人間ではない、むしろこれしかできない無能な人間なのだと言う事を、嫌と言うほど思い知っているからだ。
 仮に、アーロが本当にすごい人間だったとして。
【光の王よ、ヨシュアの名において、鋭き雨を降らせよ】
 呪文ひとつ唱えるだけで、矢よりよっぽど破壊力のある攻撃ができるヨシュアに「すごい」と言われても、嫌みでしかない、とアーロは思うのだった。
 ヨシュアの呪文に導かれ、闇の眷属の頭上に白い光の陣が生まれる。陣から降りそそぐ雨は、闇の眷属の青銅色の肌や皮膜の羽を、次々と抉っていく。
 闇の眷族は、空気を裂かんばかりの悲鳴を上げた。それは聞く者の耳に痛みすら与えるほどで、即座に耳を塞いだヨシュアは平然としていたが、弓を構えていたために何もできなかったアーロは、顔をしかめる。思わず、「先輩ずるい」と呟いた。矢を打つ自分のために隙を作ってくれたのだろうと判っているのだが、それでも言わずにはいられないほど、耳の奥が痺れていた。
 アーロが苦痛に耐えながら放った矢は、光の雨から逃れようと飛ぶ闇の眷属の皮膜を貫いた。そのまま、背後にあった壁に突き刺さり、羽と壁とを縫いつける。
「よくやった!」
 ヨシュアは軽い褒め言葉をアーロにかけてから、次の詠唱をはじめる。
【大地の果て、闇の世界を封じし闇の王よ。ヨシュアの名における契約に基づき、力を貸せ】
 その響きからアーロは、ヨシュアがいつも使っている光の魔法ではなく、闇の魔法を使おうとしていると知った。
 アーロは以前、ヨシュアから聞いた事がある。「闇の王の力は強力なんだが、借りるには時間がかかるんだ」と。つまり一撃必殺の大技と言うわけで、ヨシュアの本気と、自分の役割を瞬時に察したアーロは、急いで次の矢を放った。闇の眷族がヨシュアの魔法から逃れる事のないよう、何が何でもあの場に引き止めねばならない。
 アーロはまだ自由に動く一方の羽をも壁に縫いつけた。それでもまだ闇の眷属は暴れ、羽を引きちぎってでも動き出しそうな勢いだったので、もう一本矢を放ち、足も捉える事にした。
【ここに闇の世界への入り口を開き、禍をあるべき世界へと返せ!】
 詠唱を終えたヨシュアが指さした先に、暗黒の球体が生まれる。球体は素早く膨れ上がり、眷属を丸ごと飲み込んだかと思うと、今度は小さく圧縮していった。
 眷族の悲鳴がより酷くなる。しかし今度は、長く続かなかった。黒い球体の消失と共に、闇の眷族は姿を消し、当然のように声も一緒にかき消えたのだった。
「よし、終わり! 足止めご苦労!」
 ヨシュアはアーロに駆け寄り、背中を強くたたく。ねぎらいのつもりなのだろうが、ただ痛いばかりで、アーロは再び顔をしかめる事となった。

 闇の眷属と呼ばれる、人を喰らう種族がいる。
 闇の眷属は空を飛ぶもの、炎を吐くもの、鋭き爪を持つもの、怪力を持つものなど、色々な能力を持つものが居るが、どれも人を凌駕する力を持っており、並の人間に対抗する術はない。捕まったが最後、ただ喰われるしかなかった。
 人間にとって幸いなのは、闇の眷族があくまでも「闇」の眷属である事だろう。やつらは本来、人々が暮らす場所とは違う、闇の世界で生きているため、太陽や太陽の代行者たる月の光が当たるところにいられない――太陽の光に耐えられないから闇の世界に生きるようになったのかもしれない。どちらが先かは、賢人たちが熱心に研究している最中だ――のだ。
 では、新月の晩や、月が隠れるほどに雲が厚い夜になれば、必ずしも危険なのかと言うと、それも違う。蜜蝋を灯す事によって生まれる明かりに、太陽や月の光と同じ力があると、人々は知っているからだ。
 人が用意できるものによって避けられるならば、闇の眷属の存在がどんなに恐ろしくとも、人々にとっては「防げる災害」でしかない。月のない晩に外で眠ってしまった酔っ払いが、次の日の朝に足だけ発見された、と言った話は時折あるが、元々夜の街など治安が良いはずもない。強盗に襲われたり、暴動や喧嘩によって死ぬ者の数に比べれば、むしろ少ないくらいだった。
 とは言え、蜜蝋だけに全てを頼るわけにはいかない理由もある。特に貧しい者にとっては、蜜蝋を買う金を用意する事すら難しい時もある。長雨などで月が姿を見せない日が続くと、蜜蝋の絶対数が足りなくなる事もある。それなりに頭が働く闇の眷族が、火を消しにかかる事もある。夜に出歩けなかったり、出歩く者が少なくなったりする事で、商売上がったりな者たちも居る――故に、それなりの資金力がある街や個人は、闇の眷族に対抗できる力を持つ者を雇うのだった。
 それが、<守護者>だ。
 <守護者>は、世界の根源を司る各種の王たちと契約を交わした者たちの事で、契約した王の力を借りて魔法を使ったり、魔力を込めた武器を使う事ができる。中にはヨシュアのように複数の王と契約する者も居て、単純に契約数が強さを表す訳ではないとは言え、できる事が増えるために、有利になる事が多かった。
 だから、アーロは思うのだ。兄弟子ヨシュアがこうして闇の眷属退治に駆り出されるのは判る、むしろ当たり前だ、と。ヨシュアは今のところ、アーロと同じ修行中の身だが、王たちの中でも最上位とされる光の王や闇の王と契約していて、そこら辺で一人前を名乗る<守護者>より、よっぽど力のある人なのだ。
 だが、ヨシュアの相棒に、どうして自分が選ばれたのかは、さっぱり理解できなかった。
 アーロとて、矢に魔力が込められる以上、どの王とも契約できていないわけではないが、契約しているのは唯一、王たちの中でも最も力が弱いとされている、色彩の王のみだった。
 闇の眷族は魔法によってのみ倒せる存在だ。故に、何かしらの王と契約して魔法が使えるようにならなければ、戦う事すらできない。片っ端から王との契約を試みて断られてきたアーロにとって、色彩の王が契約に応えてくれた事は嬉しかったのだが、いざ契約してみたところ、できる事と言えば色を操るくらいで、眷族退治の役にはまったくと言っていいほど立たなかった。魔法の矢が作れるようになり戦えるようになった分、未契約よりよほどましなのだと判っているが、圧倒的に力が足りない。
「もっと強い王と契約したいなぁ」
 戦闘が終わり落ち着くと、アーロは本音を吐露した。
 ひとりごとのつもりだったが、声が大きいせいか周りが静かなせいか、聞こえてしまったようだ。ヨシュアは呆れの混じった笑みを浮かべながら言う。
「色彩の王って、滅多に契約してくれないって有名なんだぞ。すごいじゃないか」
 そもそも契約しようとする<守護者>や<守護者>の卵が居ないだけではないのか、とアーロは思った。
「闇の王は、先輩以外の誰とも契約しないって有名ですけどね」
「細かい事気にすんなよ」
「細かくないっすよ! あーあ、武器でしか戦えない守護者なんて、なさけない」
「いやー肉弾戦は重要だと思うよ? 魔法ってどうしても隙ができるしな。って事でこの話は終わりにして、朝まで巡回ー。俺こっちから回るから、お前あっちからな」
「別行動っすか!?」
「けっこう広いだろこの街。一緒に行動したら回りきれないだろうが」
「俺の身の安全は!?」
「お前、仮にも<守護者>なんだから、自分の安全より街の安全考えろよ。あと自分の身くらい自分で守れ」
「まだ修行中です!」
「俺も俺もー」
 軽い口調でアーロの声にかぶせたヨシュアは、ひらひらと手を振りながら、歩き去って行く。
 まるで死ねと言われた気分だった。
 なんとひどい人だろう、心の中で恨みながら、アーロは自身の胸倉を掴む。こんな夜に、まだ力が足りない自分ひとりでは不安すぎて、兄弟子の背を追いかけたくて、しかたがなかった。
 けれど、仮にアーロが追いかけても、あの兄弟子の事だ。飄々とした態度で、大人げなく全力で、逃げきるに違いない。
 アーロは諦めて、ひとりで行動するしかなかった。
 大丈夫だ。とりあえず、矢は効果あると判っているのだから。

 そもそも、月のない夜にひとりきりで出歩くのは、闇の眷族の存在がなくとも怖い事ではあるまいか。
 蜜蝋の灯る燭台と、変なところで気が効く兄弟子が貸してくれた、光の王の力で輝く指輪があるので、明かりには事欠かないアーロだが、あまりの静かさと人の気配のなさに、叫び出したいほど心細かった。
 周囲に人影はまったくない。住民はみな、しっかり戸締まりした家の中にこもり、蜜蝋の灯りが届く場所に寄り固まって、朝を待っているのだろうか。
 <守護者>にとって、護衛対象たる街の人々が、わざわざ危険なところに出てこようとしないのはありがたい事。寂しがってはいけないのだと、何度も自分に言い聞かせながら、アーロは自らの足音ばかりが響く道を、ひとり進んでいた。
 風のいたずらによってかすかな音がするだけで、つい身構えてしまう。アーロは、怯えながらひたすら祈った。もう闇の眷族が出ないように、出るのだとしたら、兄弟子のほうに出ますように、と。
 どのくらい歩いた頃だろう。ふいに、足音が聞こえてきたのは。
 アーロは驚いて、足を止めた。足音が徐々に近付いてきている事に気付くと、すぐに隠れようとした。しかし、こんなにも暗い道の途中で、光源をふたつも持ったアーロが隠れるのは、容易ではない。かと言ってどちらの明かりも消す気にはならず、アーロは燭台を地面に置いて両手を空けると、弓を構える事にした。
 足音は更に近付いてくる。音が軽い。小柄な人物――女性だろうか? と、アーロは判断したが、まだまだ油断はできなかった。闇の眷族は能力もそうだが、見た目も千差万別だ。女性のように小さく、空を飛べずに地面を歩く者も、居るかもしれない。
 警戒しながら待っていると、角の向こうから光がはみ出る。少し遅れて、女性の姿が。左腕には大きなバスケットを下げ、右手には蜜蝋の灯る燭台を手にしている――とりあえず、闇の眷族ではなさそうだ。
 女性はアーロに気付くと、悲鳴を上げかけた。実際悲鳴を上げなかったのは、驚きすぎて声が出なかったのだろうか? 足を止め、身構えて、睨むようにアーロを観察している。
「出歩くのは危険ですよ」
 彼女を警戒させる原因のひとつであろう弓を下ろし、矢を矢筒に戻しながら、アーロは忠告してみたが、
「そ、そっちこそ」
 と、実にもっともな切り返しを受けた。
「俺はいーの。これが仕事だし」
 アーロは燭台を拾い上げ、女性に近付く。
 女性は表情に浮かべる怯えを強めたが、逃げるつもりはないようだった。
「って、蝋燭、残りそんだけ!? よく家を出る気になったね!」
 女性の燭台に残る蜜蝋の残りがあまりに少なくて、アーロは思わず叫ぶ。すると女性は、ばつが悪そうに俯き、弁明した。
「作業に夢中になってて、気が付いたら、残りはこれだけに……それで、友達の家にお邪魔させてもらおうと思って、今移動中なの」
「ああ、一応、考えて家出てるのか。いや、もっと考えてたら、こんな時間に家を出る事にならなかっただろうけど」
「そんな言い方ないでしょう! どうしても、明日の朝までに終わらせないといけなかったから……!」
 女性がバスケットを抱え込みながら、真剣な顔で怒るので、アーロはとりあえず謝る事にした。「女が怒った時はとりあえず謝っとけ。結果的にそれが一番楽だ」との、亡き祖父が残した言葉を思い出したからだった。
「じゃ、その友達の家まで送るよ」
「なんで」
「あんた、この街の住民じゃない?」
「住民だけど」
「だったら保護対象だから仕事の一環」
 女性はいぶかしむ目つきでアーロを見た。
「あんたみたいな子供が、本当に<守護者>?」
「子供って……もう十五だよ。まだ修行中だから<守護者>って言い切れないけど。いざって時に、人ひとり逃がす事くらいはできるよ」
 自信があるわけではないので、「たぶん」と続けたかったアーロだが、言わずに飲み込んだ。亡き祖父が、「女を不安にさせるような事は言わないほうがいい」とも言っていた事を思い出したからだった。
 祖父の遺言が役に立ったのだろうか? 女性は納得してくれたようだ。そっけなく、「こっち」と行きたい方向を示しながら、歩きはじめる。
 途端、来た。
 何かが落ちてくるような、風を切る音がして、アーロは女性の背中を押す。その勢いで女性は転んでしまったが、そのくらい許してくれるだろう。
 彼女が元々立っていた場所に、大きな石が落ちてきたのだから。
「これ、持ってて!」
 転んだ衝撃でか、単に燃え尽きたのか、女性の蜜蝋は火を失う。アーロはすばやく己のものを手渡して、頭上を睨んだ。
 蜜蝋の光が届かない高さだが、ヨシュアが貸してくれた指輪が放つ光は届く高さに、闇の眷族が飛んでいる。
 ただの石とは言え、飛び道具を使うとは、卑怯な――自身の事を棚に上げてそう思いながら、アーロはすぐに矢を放った。
 魔力を秘めた矢は、真っ直ぐに闇の眷属に向かう。だが狙いが甘かったせいか、避けられたのか、矢は腕を掠るのみだった。
 すかさずアーロは次の矢に手を伸ばす。そして、気が付いた。矢がもう残り一本だと。
 やばい。
 最後の矢を手に、表面上は取り繕いながら、心の中で焦る。なぜ五本しか用意しなかったのだと、自分自身を責めたくなる。油断して五本しか用意しなかったわけでなく、これが今のアーロの精一杯だからなのだが、それでも。
「先輩助けて!」
 矢が尽きるまでに闇の眷族を仕留めればいいのだが、どう考えても無理だ。だから兄弟子に救いを求めて叫んでみたが、彼は今頃別の場所を巡回しているはずで、声が届くわけもない。
「危ない!」
 女性の声に反応して、アーロは横に跳ぶ。
 重い音を立てて、石が地面にぶつかる。先ほどのものよりは小さいが、高いところから落とされているのだ。当たり方によっては死ぬだろう。
 落ちつけ、俺。
 アーロは心の中で、自分を宥めた。
 落ちついて、打開策を考えなければならない。残り一本の矢で倒せる自信がない以上、なんとかして兄弟子と合流しなければならないのだ。女性連れかつ闇の眷族に見つかっている自分が兄弟子の元に駆けつけるより、兄弟子を呼ぶほうがいくらか楽だろうが、ここに居る事をどうやって伝えればよいのか。
 なぜ、別行動をするとなった時に合図を決めておかなかったのだと、後悔する。だがすぐに思い直した。そう言う部分は、今日が初仕事のアーロではなく、何度か仕事をこなした経験のある兄弟子が気を回すべき事だ。なんと気のきかない人だ!
 いや、それを言うなら、一番問題があるのは師だ。片方は異様に強いとは言え、まだ修行中のふたりを組ませて派遣するなど、考えがなさすぎる。無事に帰れたら、嫌がらせをしてやらねばとアーロは考えた。あの人はいつも、黒か灰色に囲まれて生活しているから、色彩の王の力で、周囲を派手な色に染めあげてやろうか――
「そうだ!」
 アーロは指輪はずし、最後の矢をくぐらせ、紐で結びつける。上から降ってくる石に注意をはらい、避けながらやらなければならなかったため、簡単な作業ながら、かなりの時間と手間がかかった。
【色彩の王よ、アーロの名において、輝く光を無数の色に染めよ!】
 詠唱と同時に矢を放つ。今度は外さなかった。矢は眷属の肩に、深々と突き刺さった。
 もちろん、それだけで眷属が倒せるわけではない。アーロの狙いは他にあった。月の見えない夜空の中にある闇の眷族の元に、光を送る事だ。
 闇の眷族と共にある光が、次々と色を変えていく。赤、青、紫、緑、黄色、桃色――派手派手しく輝くそれが、宵闇に調和するはずもなく、まるで別世界かのように際だっているのだった。
「これに気付かなかったら先輩はただの馬鹿だろー!!!」
 アーロは叫ぶ。すると、「誰が馬鹿だ!」と反論する兄弟子の声が聞こえた気がした。もちろん、気のせいだ。声が届くほど近くに居たのなら、わざわざこんな事をしなくとも、先ほど助けを求めて叫んだ時に駆けつけてくれただろうから。
 声が届かなくとも、アーロはほどなくして、自分の意志が兄弟子に届いたのだと知る。アーロたちの頭上に居る闇の眷属の更に上に、光が生まれる事によって。
 光は大きな刃と姿を変え、眷属の上に落ちる。どんな鋭く研がれた鋼よりも鋭いそれは、驚くほどたやすく、闇の眷族の体をまっぷたつに裂いた。
 眷属は奇声と、人間とは違う独特の色をした血液を振りまきながら、力無く地面に落ちてきた。

「だから単独行動は無理って言ったじゃないですか!」
「でもなあ。ばらばらに行動してなかったら、俺たちのどっちもその子に気付かなくて、助からなかったかもしれないだろ? 結果的に全員助かってめでたしめでたし」
「俺、死んでてもおかしくなかったですよ?!」
「結果が全て! 以上!」
 自分に都合が悪いからといって、強引に話を断ち切るのは、横暴ではなかろうか。こんな人物の弟弟子である自分自身を、アーロは深く哀れんだ。
「大丈夫ですか? お怪我はありませんか?」
 ヨシュアはアーロをあっさりと無視し、女性に話しかける。
「え、ええ、特に、怪我は……」
 女性はまだ少し震えていた。少し間違えれば――アーロに遭遇していなければ――死んでいたたかもしれないし、助かったとは言え、目の前で闇の眷族がまっぷたつになるところを見てしまっている。当然と言えば当然だろう。
 だが、助かった安堵感からか、頼もしい<守護者>がそばに居る安心感からか、女性はやがて気力を取り戻す。ふと気付いたように、落としたバスケットに駆け寄り、拾い上げ――突然、硬直した。 
「どうしました?」
「あ、いえ……大した事では」
「そうは見えませんよ? 困った事がありましたら、お気軽にご相談ください」
 ヨシュアは弟弟子への横暴さからは考えられないほどの優しさや心遣いを、女性に向けた。
 こう言うのを男女差別と言うのではなかろうか。アーロは心底軽蔑した目を兄弟子に向けたが、ヨシュアは気付いていないようだった。いや、この兄弟子の事だから、気付いていないそぶりをしているだけだろうか。
「荷物が、少し汚れてしまって」
 アーロとヨシュアはほぼ同時に、バスケットの中を覗き込む。どうやら、布をたっぷりと使った、ドレスに近い服のようだった。
 地面に触れて多少埃っぽくなっている部分は、叩くなり洗うなりでなんとかなりそうだが、一部闇の眷族の血液が付着し、赤紫に染まっている部分は、そうもいかなそうだ。布地が白い分、異様に目立っている。
「大切なもの、ですか?」
「明日の舞台で、友人が着る予定の衣装で……あともう少しで、完成するところだったんです」
 ヨシュアの微笑みが凍りつく。それを見て、女性に申し訳ないと思いつつも、アーロは少し気分が良かった。
 とは言え、ヨシュアが気に病む必要は本当はないのだろうと、アーロは思っている。時間を忘れるほど頑張って作った衣装を汚された事は確かに悲しく空しい事だろうが、命と比べて大事かと問われ、肯く者はまず居ないだろう。少なくとも、アーロだったら肯かない。
(おい、アーロ)
 恩人としてやろうと思えば強く出られるはずのヨシュアは、困惑して俯く女性を横目に、アーロの腕をしっかりと掴むと、こっそりと囁いてくる。
「なんすか」
(お前、たまには俺を助けろ)
 助けてもらいっぱなしであるのは事実だが、言い方がなんとなく癇に障る。相手が女性でなかったらこんなに気を使ってやらないのだろうと思うと、なおさら腹が立つ。
 色々と不満をぶつけてやりたくなったアーロだが、全て飲み込んで、おとなしく兄弟子に従った。彼は自分にとっても命の恩人なのだし、もしかしたらこれで貸しが作れるかもしれない。それは、愚痴を並べるよりよっぽど気持ちがよいと思ったのだ。
 アーロはそっと手を伸ばし、赤紫に染まった部分に手をかざす。不安げにアーロを見上げる女性に、軽く頷いてみせてから、詠唱を口にした。
【色彩の王よ、アーロの名において、異なる色を取り除け――】

「ありがとう」と繰り返し言いながら、笑顔を見せるようになった女性を、当初の予定通りに友人の家へと送り届けた。
 女性が家の中に迎え入れられ、扉が閉まると、また静かな夜が帰ってくる。すると、ヨシュアはぽつりと、こぼすように呟いた。
「彼女の笑顔を取り戻したのは、色彩の王の力だよ。すごいじゃないか」
 言ってヨシュアは、穏やかに微笑む。それはアーロに向ける表情としては珍しい類で、「守護者なんだから戦いの役に立ちたいんだけどな」などと反発するのも馬鹿らしくなって、アーロは同じように微笑み返すしかなかった。
 それに、全く判らないでもないのだ。ヨシュアが伝えようとしている意図も、自分が確かに、人を救ったのだと言う事も。
 だからアーロは、こっそりと呟いた。照れ臭いから、ヨシュアにも聞こえないように、小さく。
「これからもよろしくな、色彩の王」
「他の王とも契約できるよう頑張るのはやめないけど」とは、さすがに続けないでおいた。


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