――犬を、拾ってしまった。 朝一番の秋晴れに、あっさりうっかり騙されて、雨傘持たずに雨の中。 しかたなく雨粒に打たれながら、佑助は急ぎ足で帰路についていた。これから本降りになるのだろう、午後から降り出した雨は少しずつ激しさを増している。珍しい早めの帰宅はそれを見越してのことだ。 いつもの角をいつものように曲がり、いつもは歩いて通る坂道を小走りで駆け抜け……そのときだった。 佑助は、それを見つけてしまった。それ。すなわち、小さな犬が一匹・イン・ダンボール箱。 「……」 「くぅん」 「…………」 「くぅん?」 どうする? と、聞かれたら、答えはひとつしかあるまい。見つけてしまった以上、おまけに目が合ってしまった以上、無視してその場をされるほど、佑助は冷たい人間では無かった。 このまま家に連れて帰るわけにもゆかず、さてどうしようと考えたところで、真っ先に脳裏に浮かんだのは、やっぱりと言おうか何と言おうか、そこしかなかった。 すっかり濡れねずみの一人と一匹にタオルを渡し、一愛と和義は聞いた事情を纏めにはいる。 「で、この犬のおかげでどこにも行けんと、しょーもなしにここに連れてきたっちゅーわけやな」 『一度は雨がひどくなる前に帰ると言って出て行ったのに、わざわざ戻ってきたわけか』 「長ったらしい説明をどうも。まーそういうことよ」 佑助は彼女の言葉に頷きながら、ずぶぬれの帽子とゴーグルを外して、こちらもしっかりずぶぬれの癖っ毛をタオルでがしがしと乱暴に拭きあげた。一方の子犬は既に佑助の手で綺麗に水気をふき取られ、いつの間にか用意されたミルクをぴちゃぴちゃと舐めている。 その様子を無表情で眺めながら、和義はおもむろにキーボードを叩いた。 『……それにしても、雨の日に、』 「帰りの坂道で、」 『濡れた子犬を、』 「ほっとけなくて、」 『拾ってきた、と』 息の合った分割作文を披露してみせた一愛と和義のふたりは、そうしてしばし黙り込んだ後、 「ぎゃははははは!」 『wwwwwwwwww』 よりにもよって、大爆笑した。 「何だよ、何がおかしいんだよ!」 予想の斜め上をいった反応に、佑助は思わず顔を赤くしてどなる。しかしそれは燃え上がるふたりの笑いのツボを煽るだけだった。 「ひー……うひゃひゃ……だって、だって、なぁ。いや、アンタほんまは坂の上の王子様とちゃうん?」 『犬の名前はキャンディで決まりだな』 一愛は笑い転げ、和義は何故かヒロインの名前を犬名に持ち出す始末。 「どう思う? 紫の犬の人」 「こいつのどこが紫だよ、んな色素どこにもねーじゃねぇか!」 そう言って佑助が掲げてみせた子犬は、柴犬によく似た色をしていた。もちろん紫なんてふざけた色は、冗談でもくっついていない。 『どうせならマヤというのはどうだ?』 空気を読まない和義は延々と子犬の名前をちょっとずれた方向に提案し続ける。 「いい加減にしろやスイッチ! お前これ以上ヤバイ発言禁止だかんな!」 とうとう堪忍袋の緒がぷっつんした佑助の叫びは、しかしまったく効果を発揮しなかった。「坂の上の王子様」で盛り上がるふたりは、ついにこの場に一番現れてはいけない人物の名前を口にする。 「せや! 浪漫ちゃん呼んでこよ、浪漫ちゃん!」 『それは名案だな』 「ちょっやめてお願い話がややこしくなるから!」 叫ぶ佑助の声にいよいよ懇願が混じった。 どんな些細なことも少女漫画のドラマチックなワンシーンに昇華せしめる恐ろしい子、浪漫ちゃん。彼女がこの場に介入してしまったら一体どうなるか、それはまあ、想像に難くないだろうということで、その予想描写は敢えて避けておく。 が、介入者は思わぬ方向からやってきた。ただし、大量のウニトーンを背負う少女ではなく、だらしなくてむさいおっさんが。 ふけでもたまっていそうな頭をぼりぼりと掻きまわすその姿を見て、中馬を教師だと思う人間が一体何人いるだろう。しかし、かれは確かに教師であり、そして問題児たちが集うスケット団の顧問(形式上)である。 騒ぎ立てる三人を一通り見渡した後、ようやっと口を開いた。 「きゃんきゃんきゃんきゃんうるせーなァ、犬かお前ら」 その相変わらずぞんざいな言いっぷりに何となくむかっ腹が立ったので、佑助は手に抱いていた子犬を中馬の鼻先に突きつけてやった。 「犬だよ。……何か用かよ?」 「別に? にしてもホントに犬だなこりゃ。……ボッスン、お前何でも見境無く拾うなよ」 目の前にいきなり現れた生き物をためつすがめつした後、どういうわけだか、かれは迷うことなく佑助を指名する。 「何でいきなり俺?」 「違うのか?」 「違わねぇけど、何で分かんだよ」 「良かったなーおめー拾ってもらえて」 佑助の言葉など気にもしないで中馬は子犬に話しかけ、それに答えるように、子犬はくぅんと鼻を鳴らす。 「なっ、べ、別に好きで拾ったわけじゃねーからな」 「べたやなー」 『ツンデレはもう古いな』 「ボッスン、犬相手にツンデレたって何もいいことねーと思うぞ」 これ異常ないほど典型的なツンデレ名台詞を佑助は照れながら吐き捨て、その様子を見ていた一愛と和義と中馬は、たまらず同時に噴出した。 そして場の雰囲気が一段落した後、佑助は切り出した。 「つーことでさ、しばらくこの犬ここに置いといても構わないかな」 渦中の、それもど真ん中にいるはずの子犬は腹がくちて眠くなったのか、佑助の腕のなか、丸い目を閉じてうつらうつらと居眠りなど始めている。 「どうですか中馬先生」 「茶ぁでもいかがですか中馬先生」 『肩でも揉みましょうか中馬先生』 いまいち読み取りづらい中馬の心情をとうとう図りかね、不似合いな敬語かつ敬称かつお世辞つきで、三人は中馬に迫る。 「……好きにしろや。ホラ、俺どうせ真面目に顧問する気ないし」 三対の熱い瞳に根負けした風に、中馬はおもむろに、それでいて飄々としたいらえを返した。 「やったーさすがチュウさん!」 「ただし誰かにばれて問題になったら顧問辞めるからな」 歓喜の声をあげる佑助にしっかりと釘を打っておくことも忘れない辺り、やはりかれも大人である。 だが今このときの三人にとって、かれが大人かどうか、それは大した問題ではないようだった。 「了解っス! よーし里親探し始めんぞお前ら!」 「分かった、ほならアタシも知り合い当たってみるわ」 『まあそういうことなら俺も伝を頼ってみてみよう』 許可さえ貰えばこっちのもの、三人は中馬の存在などすっかり忘れてはしゃぎ始めている。 「じゃー俺は開発中の……」 それがちょっとだけ癪にでも障ったのか、中馬は己をアピールするように、ポケットからごそごそと謎の小瓶を取り出した。かれのお約束「怪しい薬」である。 「わああああ!」 『!!1!』 「ぎゃあああああ!」 「チュウさんは、」 『何も、』 「せんといてぇ!」 そして、それに見事につられるスケット団の三人もまた、毎度のことのお約束。 「おー、お前ら息ぴったりだなー。でも行数稼ぎもほどほどにしとけよ。読みにくくなるだけだから」 かくしてその次の日、スケット団の部室の前に、佑助作の大変かわいらしい「子犬の飼い主募集」のポスターが貼られることになった。 ただし、それを見ることが出来たのは、たった数日間だけだったという。……もちろん、いい意味で、ね。 |