闇を掃う光

 雲や好き放題に伸びて重なり合った木の枝の隙間から射し込む光の眩しさに目を細め、エリウッドは先を歩く友の背を見つめる。
 想像もしえないほどの苦しみ。
 自分と同じように、それだけの苦しみを想って、親友は、愛用の斧を振り翳てネルガルと退治したのだろうとエリウッドは思う。彼がネルガルに向けた悲痛な眼差しと、感極まって放たれた言葉が、その証拠に思えた。
「おい、エリウッド、何してんだ! とっとと帰んぞ!」
 親友の声に、気付けば俯いていた顔を上げる。
 自分たちに不可解な重荷を背負わせていた闇がこの魔の島から掃われた事で、ヘクトルの表情からも、何かしら闇が掃われて居るように見えた。彼は敬愛する兄を失ったばかりの悲しみと、二十にも満たない若さでオスティアを継がねばならない重圧に、まだ心を支配されているはずなのだが、しかしそれらを一時的に払拭するほどに――いや、覆い隠すと言うべきか――達成感から来る喜びは大きかったのだ。
 自分たちは守ったのだ。愛すべきリキアを、全ての地を。
 それを思うと、エリウッドの表情も綻ぶと言うものだ。溢れる喜びを笑顔に変えて零し、陽の明りを知った魔の島の大地を踏みしめながら、自分たちを待つ船に向かう親友の背中を追った。
「ヘクトル」
 けれど、心には。
 想像に難い苦しみが、巣食っている。
「おいエリウッド。お前なんでそんな辛気くせー顔してんだ?」
 友に聞かれ、エリウッドは己の顔に手を置いた。
「僕は笑っていない?」
「笑ってんぞ。でも完全にじゃねえな」
 本気を出せばエリウッドの顔を握りつぶせるだろう大きな手が固い拳を作り、優しくエリウッドのこめかみを小突く。
「アトスのじーさんの事か?」
「半分はそうかな」
「じゃあ残りの半分はネルガルか」
 エリウッドは曖昧に笑いながら頷いた。
 十年間。それが、エリウッドがヘクトルと無二の親友との立場で過ごした時間。
 そしてこれから何十年、どちらかが先に命を落とすまでも、続くだろう友情。
 全てにおいて永遠を信じられるほどエリウッドはもう子供ではなかったが、しかしこの友情においてのみは真剣に、些細な疑問ひとつ抱かず永遠を信じていたエリウッドにとって、戦いの場で向かい合うアトスとネルガルの姿は痛々しかった。
 競い合うように学び、共に成長する事を知った親友。アトスにとってネルガルであったそれは、エリウッドにとってはヘクトルに他ならない。
 ヘクトルが、何においても『始末』せねばならない対象になったとしたら――辛いだろう。エリウッドの中にある全ての想像力を駆使してその状況を想ってみても足りないほどの苦痛に違いない。
「ためらうなよ」
 大きな手は拳をほぐすと、エリウッドの背を若干強めに叩いた。
「ためらわなくていい。迷わなくていい。俺がおかしくなったら、お前はその剣を引き抜いて、俺を切ればいいんだ」
 エリウッドは僅かに目を見開いた。
「驚いた」
「そんな驚くなよ」
 だって、君がそんな事を言うなんて。
 エリウッドはあまりの衝撃に言葉の紡ぎ方を忘れていた。
『俺らが戦う日なんて来るわけねーだろうが』と、豪快に笑い飛ばすのが、ヘクトルと言う人間だと思っていたのだが。
「俺は頭悪ぃからあんまり判ってねえかもしれねーけど、ネルガルがああなっちまったのは、結局、知識って名前の力を求めた結果だろ。そんで俺はついこの間、後先考えず力を求めちまった。しかも狂戦士なんて、曰くつきの」
「それは仕方のない事だろう」
 再びヘクトルはエリウッドの背を叩く。
「言い訳なんてしてもしょうがねえよ、エリウッド。理由がなんであれ、俺はヤバそうな力に手を出した。俺はきっとこれからも、同じ用な事が起これば、力を求めるさ。何も知らずに手を出した力がとんでもなくヤバいもんだって可能性がないとは言えないだろ」
 背中を叩いた手が、エリウッドの肩へ移動する。
 温かな手にこもった感情が、締めつけるような僅かな痛みをエリウッドにもたらす。
「ためらうな。お前と敵対してる俺は、もう俺じゃねえ。俺は、ヘクトルって男は、その時点で死んでんだ。だから迷うな」
 ゆっくりと見上げた親友の横顔は、太陽の光に照らされて眩しく、はっきりと目に納める事は適わなかった。
「判った。その代わりヘクトルもだ。僕がおかしくなっても、迷うなよ」
「ああ、大丈夫だ、それは」
 エリウッドは、親友があまりにもあっさり笑いながら答えてくれたので、頼もしいと思う反面一抹の寂しさを覚える。
「俺と違ってお前は絶対そんな事にならねえから」
「は?」
「だろ?」
 この日エリウッドは、頼もしく優しい親友が、思っていた以上に卑怯な人間だと知った。
「君だけずるすぎやしないか?」
 けれどそれこそがエリウッドで、ヘクトルで、自分たちなのだと、思えない事もない。
 親友から顔を反らして空を見上げると、今まで見た事もないほど眩しい陽の光が、青い双眸に飛び込んできた。


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