誓い

 軍事大国ベルンの不穏な動きに対抗すべく、リキア同盟主ヘクトルは、日夜公務に追われている身であろう。その中で、同盟に名を連ねておりながら、病に倒れ何の協力もできない役立たずの友に、彼が手を差し伸べる必要はどこにもないはずだった。
 しかし彼は、たったひとりの愛娘を己の名代として見舞いによこすと言う、これ以上ない誠意を見せてくれた。歳や病による気の弱りは人間を感傷的にすると言うけれど、その力を借りなくとも、彼の真心に感動する自身のことを、私は恥ずかしいとは思わない。
「おじ様、おかげんはどうです?」
「わざわざすまないね。でも、このところ空気が暖かくなってきたからね、だいぶ良いんだよ」
「そうですか。倒れられたとお聞きした時は、父ともども戸惑いましたけれど、これで安心です」
 寝台の横に立つ、ほっと胸を撫で下ろす可憐な少女を見上げながら、彼女が髪の色と芯の強さ以外を父から受け継がなくて本当によかったと、私は思ってしまった。おそらく、我が親友も同じことを思っただろう。
「ヘクトルに、私は大丈夫だから心配するなと伝えておいてくれないか。それから、すまないとも」
「はい、必ず伝えます――そうでした、おじ様、父から手紙を預ってきました」
 リリーナは小さな荷物の中から、オスティアの印で封じられた一通の手紙を取り出した。表から見えるところには、あて先である私の名前だけが乱暴に書き殴られており、同盟主となることでなりを潜めていた彼のがさつな面が、ここに集約しているように見えた。
 一体何が書いてあるのだろう。私は多少不安を覚えながら、封を開く。
 目に飛び込んできたものは、たった一文。
 私は思わず、吹き出してしまう。
 相変わらず読み手に気を使わないで書かれた彼の字は(公式な文書ならば彼なりに丁寧に書いているのだろうが)、力強く汚かった。
「『病人は黙って寝てろ!』……か」
「まあ、父はそんな事を? す、すみません」
「いやいや、実に彼らしくて、嬉しいよ。彼の元気を分けてもらえた気もするしね」
 恥ずかしそうに縮こまる彼女に、私は静かに微笑みかけた。


「俺は戦場で死ぬんだってよ」
 若かりし日の彼は神聖な斧を太陽に向けて高く掲げ、珍しく神妙な顔をしながらそう呟いたものだ。
「確かに君は周りに積み上げた敵の遺体の中で倒れそうなひとだけど」
「お前は痩せ細って寝台で死ぬタイプだな」
「言ってくれるな」
「お前こそ」
 私たちはひとしきり笑いあうと、互いに同時に、真面目な顔つきになって見つめあった。
「ところで、誰にそんな事を言われたんだい? 君にそんな事を言うなんて、ウーゼル様くらいの方でないと許されないと思うけれど」
「じゃあ合格だろうよ。大昔の英雄だからな。こいつこいつ」
 彼は僅かに口の端を吊り上げ、かつての対戦で八神将がひとり、狂戦士テュルバンがふるったと言う神将器アルマーズを示した。
 私は疑問に思い、そっと、腰に吊るした同じ神将器である烈火の剣に触れてみたものだ。彼は斧が語りかけてきたと言うけれど、私が手にしたデュランダルは、私に語りかけてきたことはなかったからだ。
「お前、勇者ローランに会わなかったか? その剣を手にした時」
「……会った」
「俺もテュルバンに会った。そんで、言われた」
「言われて、どうしたんだい?」
 いつも豪快で、悪い言い方をすれば単純である彼が、この時ほどあいまいに微笑んだことは、かつてあったのだろうか。少なくとも私は知らない。
 彼は私の問いに答えようとはしなかった。秘密を好まない気質の彼がそうしたのならば、それはまず間違いなく目の前にいる人物――つまり、私だ――のためであり、おかげで私は、彼がテュルバンに何と答えのたか、大体の予想がついてしまった。
 私はこの時、彼が秘密にしてくれた事を、少なからず喜んだ。
 彼が私に真実を告げていたら、私は感動のあまりに涙をこぼすはめになったかもしれない。
「君が戦場で倒れるならば、安心だ」
 私はごまかすように笑うことしかできなかった。
「君が戦場に居る時、僕は君の元に必ず駆けつけるから。だから――僕は必ず君の死を看取れる」
「おお、そりゃ嬉しいな。けど俺が先に死ぬとは限らねーぜ?」
「その時は、僕の病床に君が駆けつけて来てくれるんだろう?」
 私は自らの手のひらを眺めた。
 彼も同じように、手のひらを見つめた。
 かすかにあとの残る傷痕に、想いを馳せながら。


 私の代わりに兵を率いて出立した息子から、ある日一通の報告の手紙が届いた。
 それに目を通した私は、息子が戦場に出てからはじめて、息子を心配する気持ちを忘れ、ただ、ざわつく己の想いを整頓することで精一杯になった。
 私は窓から射し込む朝日を見つめながら、届いた手紙を胸に抱く。
「ヘクトル、私は」
 私は、君に誓った。
 君の身に危機が及んだ時、必ず救いの手を差し伸べるために、駆け付けると。
 その想いにけして偽りなど、なかったはずなのに。
「……!」
 しかし君は逝ってしまった。私の居ない戦場で。
 親友に、リキアに、これ以上ない危機が迫っていたと言うのに、私は親友の言葉に甘え、城で眠っていただけだった。
 判ってはいる。
 もしも彼がここに居たら、『病人は黙って寝ていろと言ったのはこちらだ、気にするな』と、彼は私を嗜めるだろう。それから豪快に笑って、『わしもお前を看取れないからな、お互い様だ』とでも言うのだろう。
「すまない……」
 大切な人の死に駆けつけられなかった彼に、自責の無意味さを説いたのは、他でもないこの私であったと言うのに。
 それなのに今こうして、自責の念にかられている己が、何より滑稽だった。

 両手で顔を覆い、うなだれた姿勢で、私はどれほどの時間を過ごしたのだろう。
 手から顔を少しだけ離し、うっすらと目を開くと、あまりの眩しさに少々怯んだ。部屋の中は薄暗かったのだが、それでも慣れない目には眩しく感じるのだろう。
 その時、かすかに眼の端を掠めたものは。
 今だ消える事のない、誓いの証。
「ああ、そうだったなヘクトル。私はまだ生きている。自分を責めている暇に、君のためにできる事が、いくらでもあるはずだ」
 君の大切な、命に代えても守りたかったリキアを、オスティアを、愛娘を、私は守ろう。この非力で貧弱な体で、血を吐いても、地面をはいつくばってでも、できる限りのことを。
 そうしてさほど時を待たずして、私は彼がところに辿り着いた時、私は胸を張っていたい。
 果たすべき役割を、果たしてから朽ちたと言えるように。
 私が親友であることを、彼に誇らしく思ってほしいから。

 私は力無い両足で、太陽の光の元に立ち上がった。


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