残酷な願い

「人はみんな……利己的なんだよ」と、ペレアスは静かな微笑みを浮かべながら言っていた。 雲の無い空のように澄み渡った迷いのない瞳を細めて、過去に目にしてきたどんな女神像よりも穏やかな笑み。それは残酷な事をミカヤに願った直後、薄い唇で人の醜さを語りながら浮かべるには、あまりにも不似合いな表情で、何も知らない者が今の彼を見れば、春の陽だまりの中で優雅にお茶でもしようかと、相談している表情に見えたかもしれない。
 彼の言葉は、行動とあまりに矛盾していた。矛盾している事実に本人は気付いていたのだろうかと、ミカヤは思う。気付いて欲しくて、何か言おうと口を開くが、震える唇は上手く動かず、詰まる喉から音は発してくれない。
 滂沱たる涙をそのままに、ミカヤは首を左右に振った。目の前で優しく笑う青年の全てを否定するため、力いっぱいに――だが、やはり体は思う通りに動いてくれず、彼の望みを拒否するがごとく小さく振るだけにとどまる。
 持って生まれた能力が逆ならば良いと、ミカヤはありえない願いを抱いた。言葉にできなくとも、態度で示せずとも、今強く思っている事が彼に伝わればいい、伝わって欲しい、と。
 もしも、もしも、だ。青年の言う通り、本当に、人がみな利己的なのだとしたら。
 だとしたら、今ミカヤの目の前に立っている、デインの民のために己の命を迷わず投げ出す青年は、一体なんだと言うのか。
 人では無いと言うのだろうか。そんな訳がない。女神の禁忌に背く事を恐れ、背かずに済んだ事に安堵する青年が、笑って、泣いて、悩んで、苦しんで、絶望や恐怖と戦い続けてきた青年が、彼の言う通り「利己的な人間」でしかないミカヤごときに死を与えよと乞う青年が、人を超越する生き物であるはずがない。
「ミカヤ……この指輪を母上に。できれば……心より愛していましたと、伝えてほしい」
 ペレアスは涙を拭う事もできず彷徨うミカヤの手を取り、指からはずしたばかりの、まだ少しだけ温もりが残る指輪をミカヤのてのひらの上に置かれた。
 滲んだミカヤの視界では、はっきりと形と捉えられなかったが、鈍く輝いている事だけは判った。
 以前のミカヤでは見る事もできなかったほど高価な輝きを秘めた宝石を中央に埋め、王家の紋章が刻まれているそれは、建国の頃より伝わっているだろう古い指輪だ。しかし数百年の時を思わせるには不思議なほど輝いていて、誰かが丁寧に手入れをしていたのだと思わせた――おそらくは、彼が死しても愛情を伝えねばと思っている相手が。
 アムリタはどれほど悲しむだろう。二十年もの時を経て、ようやく出会えた息子を失って。てのひらの指輪からペレアスの温もりが消えていくように、アムリタの心も冷え切ってしまうのだろう。
 多くのデイン国民も、きっと嘆くだろう。今はペレアス王に不信を抱いているかもしれないが、ペレアス王が即位した頃は、希望と期待に溢れていた。民の貧しさを知る者が王となり、力ある者のためではなく、力無き者に優しい国になるかもしれないと夢を抱いたのだから。
 忠臣にとって最も酷な命令を下されたタウロニオなど、見ていられない。歴戦の将軍ともあれば、戦いの経験もない青年の命を奪う事など容易であろうに、悲痛さを必死に押し殺した顔をして、渡された短剣を振り翳しているではないか。
 ああ、でも、本当は。
 本当は、誰が悲しもうと、どうでもいい事なのかもしれない。
 だって彼は言ったではないか。「人はみんな利己的だ」と。ならば、他者がどう思おうと気にせず、自分の心に素直に動く事は、当然の事なのだ。それが、ペレアス本人の望みに、反する事であっても。
 涙を拭ったミカヤは、淡い灯りを反射して煌めく白刃を睨みつけた。今にも振り下ろされようとしているそれが王の胸に埋まる光景を、黙って見届けないために。

 貴方が死んでしまっては、悲しいのです、苦しいのです。
 貴方の死によって得られる救いなど、欲しくないのです。
 貴方に、生きていて欲しいのです。
 だから、許してください。死を選んだ貴方に生きる事を強制するわたしを。
「そんな君が好きだよ」と言ってくれたのは、他でもない貴方なのですから。


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