愛しさを胸に

 クリミア王都メリオルにあるカリルの店は、開店してからまだ三年と過ぎていないと言うのに、連日かなりの賑わいを見せている。
 それはもちろん、店主一家の人柄が温かく居心地が良い事や、出る料理・飲み物の味が良い事が理由であるのだが、今日の賑わいの理由はそれだけではないようにライには思えた。
「ああ」
 違和感は女性の比率が高い事によるものだと気付いたライが店の中を見渡してみると、カウンターの一番端の席に腰掛ける青年の横顔が目に入り、心底納得する。
 ラグズの割にベオク的思考を持つライだが、ベオクの容姿の美醜について、細かい違いはまだ理解できていない。しかし、彼が女性の視線を集める美男子である事は何となく理解できたし、周りの意見や反応を聞けば判る事だった。
 デイン=クリミア戦役で活躍したカリルとラルゴが開いた店には、彼やライのように、同じく三年前の戦争で活躍した者たちがときおり訪れる。貴族であったり英雄であったり、手の届きにくい地位の者たちに近付ける滅多にない機会を与えてくれる店、と言うのが、この店が流行っている第二の理由だった。
 ライは身軽な動作で彼の隣の席に腰を下ろした。元より、彼の隣の席しか開いていなかったわけだが――彼目当てにこの店にいる女性陣には、彼の隣に座る勇気まではなかったらしい。
「どうも。お久しぶりです」
 隣に座っても気付かなかったのか、何の反応も見せなかった彼――ジョフレは、声をかけると慌てて顔を上げ、会釈した。
「これはライ殿。久しぶりだな。いつクリミアに?」
「今日です。公式的には明日っから来る事になってましてね。せっかくガリアを離れられたんだし、今日一日はのんびりしようかと――カリル、ラルゴ、何か適当に見繕ってくれ」
「おお、ライか。いらっしゃい!」
 厨房から顔を覗かせたラルゴが満面の笑みで力強く肯く。ここの料理はどれを食べてもラグズにとって珍しく、美味いものであるから、安心して彼らに任せようと決めて、ライはジョフレに振り返った。
「それで? どうかしたんですか?」
「何がだ?」
「いつものジョフレ殿より負の気が強めと言うか……落ち込んでるように見えたもので。余計なお世話だったらすみません」
 ジョフレは一瞬目を見開いて、それから目を細めて、静かに微笑んだ。
「気遣い感謝する。落ち込んでいると言うか、悩んでいると言うか、どちらにせよ大した事ではないのだ。まさか気付かれてしまうとは思わなかった。ラグズの特性……いや、それはライ殿特有の力だろうな」
「いやいや、そんなわけでも無いんですけど」
 ジョフレは静かに息を吐き出してから、手の中で弄んでいた杯に口を付けた。
 確かに彼の言う通り、深刻な悩みで気を落としている様子はなさそうだ。苦悩に満ちている雰囲気もなければ、酒に逃げる様子もない。あえて言うならばひとりになりたそうに見えるのだが、その割にライを拒絶する様子はなかった。
「話聞くくらいならできますよ? 話せるような内容なら、ですけど」
「ほい、お待ち! 後でもっと持ってくるから、ゆっくりしてってね!」
 カリルがライの前に飲み物と肉料理だけを置き、すぐに別の客の方へと向かった。いつもならば軽く世間話に花が咲くところなのだが、今日は忙しいようだ。
「ライ殿はガリアの戦士長だったな」
「そうですけど」
 今のところは、との真実は、付け加えないでおいた。次期ガリア王と言われるスクリミルの側近となる事が決まり、戦士長と言う地位ではなくなる事はほぼ確定しているのだが、先の予定など今はどうでもいい事だろう。
「その……部下との関係は、いかがだろうか?」
「は?」
 ライが短く聞き返すと、ジョフレは複雑そうな顔をした。
「えっと、なんです? 部下と仲が悪いとか、凄い嫌われてるとか、凄い嫌いなのが居るとか、そう言う事で悩んでいるんですか?」
「いや、そうではない。部下たちは迷わず私に着いてきてくれているし、私も彼らを信頼している。関係は良好だ。良好では、あるのだが……」
 ジョフレは両の手を祈るように組み合わせ、強く力を込めた。溢れる力によって発生する僅かな震えは、腕からカウンターへと伝わり、しいてはライにも伝わってくる。
 少し曇りのある青い瞳を伏せてから、ジョフレは続けた。
「とても個性的な者が多いもので……時折、扱いに困るのだ」
 短い、けれど揺るぎない沈黙が、ふたりの間に流れる。ライは目を開けジョフレを見つめたまま、ジョフレは硬く目を伏せたまま、ライが吹き出して沈黙を破るその時まで微動だにしなかった。
「真面目な顔して言うから、どんな事かと思ったら!」
「だから、大した事ではないと先に言ったではないか」
「そうでした。申し訳ない。でも安心しましたよ」
「安心?」
「はい。悩み事って、ベオクとかラグズとか関係ないんだなって」
 ライは椅子の背もたれにだらしなく背中を預け、酒を煽る。愉快な気分になっているからか、舌の上を転がる果実酒が、いつも以上に甘いものに感じられた。
「もしや、ライ殿も、か?」
「はい」
 ライは力強く頷いた。
 戦闘中も身繕いをばかりしているリィレ、真面目で堅物そうな男を装っているが人目につかないところではリィレと共にライの争奪戦をはじめるキサ、直属の部下ではないがレテの性格のきつさは打ちとけにくいものであったし、モウディは気のいいやつだがラグズの軍隊に所属するには少々呑気でマイペースすぎる。そして部下ではないが、次期王スクリミルの単細胞っぷりが、今は一番の悩みの種だ。
 仲が悪いわけではない。信頼しあっているし、互いの実力を認め合ってもいる。しかし、扱いが難しく、気苦労が多い事は否定できない事実だった。
「で? どんなのが居るんです?」
「そうだな……たとえば熱血が過ぎるゆえにどんなに細かい事にも命をかける者がいる。日々の特訓にも命をかけるものだから、命を落としかけた事は数知れず」
「へぇ……」
「あとは賭け事と酒が趣味でいつもこの店で飲み潰れては散在し、借金を膨らませている者が」
「へ、へぇ……」
「彼への盲目的な恋が最優先で軍議がその次になっている者なども……」
「……」
 ライはジョフレの肩に手を置いた。慰めるためや、力付けるためでもあったが、何より同志を見つけた喜びによるものだった。
 強き者が上に立ち、弱き者が従う。単純な決め事が明確に作用するガリアにおいて、人間関係における苦労などそれほど多いわけではないが、その数少ない苦労を全て自分が背負っているような気になっていたライにとって、仲間を見つけられた事は純粋に嬉しかった。
「判る。判ります、その気持ち」
「そうか?」
「なんか、お前ら自由でいいよなって思いますよね。後でフォローする俺の苦労ぜんぜん判ってないくせに好き勝手しやがって、この野郎とかっ」
 顔の高さまで振り上げた拳を、硬く握る。ジョフレはライの迫力に気圧されたようだが、ライの言には納得する事があるらしく、力強く肯いた。
「『将軍、ご迷惑おかけして申し訳ありません』と言えば全て許されると思ってるのではないかと、常々思っている! 彼らは毎日毎日同じ事を繰り返す。迷惑かけられる事が苦痛なわけではない。ただ、お前たちは失敗から何か学ぶ事はないのかと!」
「そうです! そうなんですよ、いいんですよ、面倒見るのは嫌いじゃないんで。でも、迷惑かけてる事が判ってるなら、他にやりようはあるだろ? って思いますよね!」
「思うとも!」
 どちらからともなく、ふたりは硬く手を握り合った。種族も国境も越えた仲間意識の誕生だった。
 その瞬間、ライは興奮気味になっていた自分自身とジョフレの両方に驚いた。いつも飄々と修羅場を乗り越えてきた自分も、落ち着いた雰囲気を持つジョフレも、部下の愚痴で盛り上がる人種ではなかったからだ。
 照れ臭いのとは違うが、やや気まずくなったライは、ジョフレの手を放す。ジョフレも同様の複雑な表情を浮かべて、手持ち無沙汰そうに酒の入った杯を手に取った。
「ま、でも、全部許して面倒見てしまうのが悪いんでしょうが」
「そうだろうな。なんだかんだ言って、可愛い部下たちだからな」
「そうなんですよ。心底悔しい事に」
 ライは微笑む。自分の隣でジョフレも微笑んでいる事が、見なくとも判った。
 柔らかく、優しく――愛しい者たちの事を思う時だけに浮かべる事ができる笑み。
 背負う苦労は多いけれど、その分余計に大切に思う、部下たち、仲間たちが、瞼を閉じると脳裏に蘇ってきた。
 文句を言いたい事は沢山あるけれど、けして手放せはしない大切なもの。
「――そろそろ、私は戻らねばならん。カリル、お題はここに置いておく」
「はいよ!」
 ジョフレは杯を空にすると席を立ち、飲食代をその場に置いた。
「短い時間だったが、ライ殿と話ができて良かったと心から思う。ありがとう」
「こちらこそ」
 深々と礼をするジョフレに、ライもお辞儀で返した。これはベオクの流儀なのだろうが、相手の流儀に従う事を不自然とは思わなかった。
「ま、その、お互い、色々あるでしょうし。また機会があったらここで話しましょう。オレ、クリミアに来たらほぼ確実にここに寄りますからし」
「私もよくここには来ているので、次の機会はありそうだな。その時には、ライ殿の部下の奇行を聞かせてほしい」
「ネタはいくらでもありますから、任せてくださいよ」
 ライが手を上げると、ジョフレも同じように返してから、店を出ていく。
 後に残された静けさが、寂しいような物足りなさをライに与えた。しかし不思議と胸の中は満たされていて、今宵は笑顔が耐えそうにないとの予感があった。
『なんだかんだ言って、可愛い部下たちだからな』
 ジョフレの言葉が蘇る。
 ああ、まったく、その通りだよ、と、心の中で返事をしながら、ライは目を伏せた。
 酒ではなく、胸の中を満たす感情に酔うために。


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