お祝い。

 橘の努力の甲斐あって、なんとか「ケーキのようなモノ」はオーブンに収納された。
「へぇ。うちのオーブンの使い方、分かるのか?橘。」
「だいたい、分かる。」
「すげぇな。」
「基本的な作りは家のモノと大して変わらないからな。」
 尊敬しきり、といった表情で、黒羽が橘の手元を覗き込む。
 少し、くすぐったい気分で、橘はオーブンを閉じて。

 その様子を張り付くように眺めながら。
「俺が触ると爆発するから、絶対、オーブン触るなって言われていたんだよなぁ。」
 黒羽はしみじみと呟いた。
 それは余程のひどいいたずらをしでかした前科があったに違いない。
 やんちゃであっただろう黒羽の子供時代を想像して、橘は小さく笑った。

「おい、ダビ!」
「うぃ。」
 オーブンを覗くのに飽きたらしい黒羽が、ふと閃いたように天根を呼ぶ。
「ダビ、お前んち、誕生日用のロウソクあったよな?」
「うぃ。取ってくる?」
「おう。頼む。」
 黒羽の指示になにか特別な任務を与えられたかのように真剣に頷くと、天根は自転車を飛ばし、家までロウソクを取りに戻った。
 誕生日ケーキの練習なんだから、ロウソクなど、要らないだろうとの橘の意見は、その場で却下されて。
「気分だ。気分!」
 黒羽があまりにも楽しそうに笑うので。
 そんなもんかな、と橘は肩をすくめる。
 まだ日の昇りきらない八月末の風。
 涼しくはないけれども、もう、真夏でもなく。

「ご苦労さん。橘。」
 そう言って差し出された麦茶。
 ほどよく冷えて、指先に心地よい。
 リビングに腰を下ろすと、向かいに黒羽が座る。

「悪ぃな、引き留めちゃって。」
「あ?」
「帰るつもりだったんだろ?昨日。」
「ああ。」

 黒羽はずるい、と、ときどき思う。
 こんなふうに謝るのは、ずるい。

「楽しくて、帰るのを忘れていたな。」
 思わず、本音を口にしてしまうから。
 謝られなければ、それは、決して気付かなくてすんだ本音。
 橘の言葉に、黒羽は少しだけ嬉しそうに笑いながらも、首をかしげて。

「不動峰の後輩達が、寂しがってるんじゃねぇの?」
「あいつらは……来年、俺が居なくてもやっていかなきゃなんねぇし。平気だろ。もう。」
「……そっか。そうだよな。平気じゃなきゃ、困るよな。」

 椅子の背にもたれるように、黒羽は伸びをして。

「来年、全国の決勝で六角と不動峰が当たったりしたら、最高だよな。」
 と、冗談を言う様子でもなく、笑った。
 なんだかんだ言って、この男だって、後輩のことばかり考えている。
 自分たちが、来年、全国で巡り会うなんて、それは難しいことかもしれないけれども。
 そもそも、来年の今ごろ、どの高校に通っているかさえも、まだ分からないのだけれども。
 橘は、ことり、とコップをテーブルに置いて。

 窓の外には昼前の優しい日差し。
 眠気を誘うような、穏やかな夏の名残。

 ふぁ、と。
 あくびがこぼれる。

「眠いか?ってか、夜、寝苦しかった?」
「いや。」
「いつでも俺より早く起きてるもんな。お前。」
「そういえば、そうだな。」
「だけど、寝ちゃうのはいつも俺よりずっと早いけどな!」

 なんとなく、先に寝てしまうのは負けたみたいでしゃくなのだが。
 寝付きの良さだけは、いかんともしがたい。
 黒羽だって、なんだかんだ言って、そうとう寝付きの良さそうじゃないか。
 いろいろ、言い訳めいた言葉を頭に廻らせている内に、案の定、黒羽はにやりと笑い。
 嬉しそうに、こう言い放った。

「早寝早起きの、15歳のお年寄りだもんな。橘サンは。」

 跳び蹴り突っ込みの練習くらい、しておけば良かった、と。
 その瞬間、橘は生まれて初めて、激しく後悔した。
 思い出したように鳴き出して、止まらない蝉時雨と、遠い鳩の声。

 ケーキが焼き上がる頃、天根が戻ってきて。
 橘が調理器具を洗っている間に、天根と黒羽が、リビングのテーブルでケーキに飾り付けをする。
 なんだか、騒がしいなと思って振り返れば。
「えい!」
 鼻先に生クリームを塗られたりして。
「……食べ物を粗末にするな!天根!!」
 怒るつもりが、笑ってしまって。
 にぎやかに、和やかに、「ケーキのようなモノ」は飾り立てられて。

「でっきあがり!!」
 黒羽の声が嬉しそうに響く。
「うまそうか?」
 タオルで手をぬぐいながら、リビングを見やると。

 イチゴと生クリームで派手に飾り立てられ、15本のロウソクの立った、「ケーキのようなモノ」ができあがっていて。
 その上には。
 黒羽がひどい溶かし方をした焦げ色チョコレートで。
「はっぴーばーすでー ☆ たちばなきっぺい」
 の文字。

 それがたとえ、どう見ても「たちぱなきつぺり」としか読めないにしても。
 気持ちだけは、間違いなくて。

「二週間遅れだけど。橘の誕生日祝い、やろうぜ!」
 マッチ片手に、黒羽はうきうきと言う。
「ケーキ作ったの、ほとんど橘だけどな!」
「……俺一人で作れば、もっとましなできだったと思うぞ。」

 苦笑するつもりが。
 なんだか、変に嬉しくて。

「橘さん、願い事して、ロウソク、ふぅってして……。」
 天根が催促する。
 太陽の降り注ぐ部屋の中は明るすぎて、ロウソクの風情などあったものでもないのだが。

 ふぅっと。
 一息で、ロウソクを15本、吹き消せば。
 勢いよく、黒羽が飛びついてくる。
「誕生日、おめでとう!橘!!」
「……あ、ああ。」

 ぐりぐりと頭を撫でまわされて。
 あんまりにも照れくさかったので。
「うわっ!橘!!待て!落ち着け!!」
 久し振りに、コブラツイストなどをかけてみる。
「うるさい。今朝の仕返しだ!」

 見事に極まったコブラツイストに、天根が惜しみない拍手を送る中。
 橘はもう一度、「ケーキのようなモノ」に目をやった。

 全く。
 樹ちゃんとやらに手作りケーキを贈れるのは、来年の誕生日だな。

 なんだか、無性に可笑しくて。
 橘は、黒羽の額を小突くと、皿を取りに台所へと戻った。
 たまには良いかも知れない。
 自分で焼いたケーキで祝う二週間遅れの誕生日というのも。


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