寝起き。

 蒸し暑くて目が覚める。
 枕元の時計を見れば、まだ6時を少し過ぎたところで。
 黒羽がセットした7時までは、ずいぶん時間があった。
 起こしちゃ悪い。
 そう思いつつも、そっと身を起こすと、布団の上にあぐらをかいて、橘は寝こけている黒羽を見るともなく眺めた。
 タオルケットなどは、足下に丸まったままだし、寝間着代わりのTシャツも、捲れ上がって腹が丸見えで。

 天根が心配するのも、少し分かる気がするな。
 苦笑しながら、Tシャツだけでも、引きずり下ろしてやる。
 いつもオトナみたいな顔をしている癖に。
 まるきり子供の寝相だな。こいつは。

 適当に閉めてあるカーテンの間から、強烈な日差しが射し込んで。
 残暑、という言葉が脳裏を過ぎる。
 もう、夏の暑さではなくて。
 残暑の暑さ、なんだ。

「ん。」
 黒羽が一瞬、身じろぎをしたので、起きたのかと顔を覗き込んでみたものの、黒羽は全く起きる様子もない。
 この男は、いつだって全力で。
 起きているときも、全力。
 寝てる間も、全力。
 テニスするときも、天根に突っ込みを入れるときも、飯を食うときも、子供の相手をするときも、いつだって全力。
 ……天根に突っ込みを入れるときは、少し手加減をしてやった方がいいと思うけどな……。

 そんなに、何もかも、一生懸命、全力投球していて。
「気付かないうちにくたびれてるのは……お前の方じゃないのか?」
 小さく呟きながら。
 カーテンの隙間から射し込む、切れ切れの朝陽を頼りに、黒羽の頬に手を伸ばし。
 なんとなく、ぷにぷにと突いてみる。

「これで神尾と同い年とはな……。信じられん。」

 ずっと数ヶ月年上だと思っていた。春風なんて名前だから、きっと春の生まれだろうと。
 それがまだ、14歳だなんていうものだから。
 年上だと思っていた分、無性に愉快だった。自分の方が先に15になったコトを知ったときの、黒羽の悔しそうな顔さえも愉快だった。
 テニスでは、負けない、と思う。
 しかし、友人としては、いろいろと負けている気がしていた相手だけに、せめて年くらい勝っていても良いんじゃないか、と。
 身長は、たぶん、もう、勝ち目がない、だろうし。

 黙って寝てれば、可愛い、かもしれん。
 頬をぷにぷにと突きながら、橘は喉の奥でくつくつと笑った。

 その瞬間。
 橘の右腕を黒羽が掴み。
 世界が反転し。

「……黒羽っ……!!」

 気が付くと、橘は、布団の上に引き倒されていて。
「……くっ。」
 背中に黒羽が乗ってくる。
「……やめろっ!」

 油断した、と、橘は後悔していた。
 確かに、油断した。
 だけど。
 何が哀しくて、起き抜けに、逆えび固めを喰らわなきゃならんのだ?
 しかも、完璧に、極まってる。……かなり痛い。

「……あれ?橘かよ。」
 寝ぼけた声で黒羽が呟いて。
「……なんで、お前、逆えび喰らってるわけ?」
 橘が一番聞きたかったことを、黒羽は目をこすりながら、のんびりと尋ねてきた。

 カーテンを開けば、外の方がまだ涼しくて。
 少しだけ爽やかな風が、やっと部屋を駆け抜けて、重く湿った空気と入れ替わる。

「悪ぃ。悪ぃ。いや、バネさんの安眠妨害するやつって言ったら、ダビか亮かその辺だろうと思ってさ。」
 着替えを終えて、さっさと布団をたたみ始めた橘を見上げながら。
 布団にうつぶせに寝そべったまま、黒羽は枕に肘を突いて、ぐだぐだとしゃべっている。
 小さく溜息をつく橘。
「寝ぼけたまま、あんなコト、するとはな。」
「痛かったか?」
「……少し。」
「悪ぃ。」

 六角のスキンシップ過剰な交友に慣れてきたところだったが。
 さすがに、少し驚いた。
 窓のすぐそばの樹で、鳩がクルクルと鳴いている。

「いたいけな14歳のしたことだ。許してやってくれよ。橘サン。」
 にやりと笑って、黒羽が寝返りをうつ。
「……仕方ないな。14歳だからな。」
 肩をすくめて、橘も声を立てずに笑った。

 シーツをたたんで、敷布を片づけて。
 自分の布団をすっかり片づけ終えた橘は、黒羽を見下ろし。
「いい加減、起きないのか。」
 言いながら、足下に丸まったタオルケットを拾い上げる。

 黒羽は、「うーん。」と伸びをして、枕を抱え、ごろりと寝返りをうつ。
 しかし、起きる気配はなく。
「起きろ。さもないと……。」
「あー?さもないと?」
 一瞬、言いよどんだ橘を見上げて、黒羽は。
「さもないと、ちゅーするのかよ?橘サン?」

 くつくつと、橘が笑う。
「そうするか。」

「じゃあ、起きるとすっか。ちゅーされちゃ、たまらないからな。」
「ああ。そうしてくれ。俺だってそんなコト、したくない。」
「……したくないのかよ?!……愛が足りねぇな。橘。」

 なぜか拗ねたように文句を言い始める黒羽に。
 彼の使っていたタオルケットをたたみながら、橘は吹きだした。
 押入にそれをぽんと放り込むと、黒羽を振り返り。

「愛ならたっぷりある。安心しろ。」

 からかうように言ってやれば、間髪入れずに、枕が飛んできて。

「橘っ!てめぇ、実はかなり、ハレンチな野郎だな!」

 ぽふっと、枕を受け止め、そのまま押入に押し込んだ。
 一瞬の沈黙のあと、弾けたように黒羽が声を立てて笑い出す。
 誘われるように橘も笑い始め。
 ようやく覚醒したらしい黒羽が、立ち上がって着替えを漁り始めた。

 そこへ。
「バネさ〜ん!橘さ〜ん!起きてる〜??」
 窓の外から、天根の声。まだ7時前だというのに、元気なものだ。
「おう!ダビ、今、玄関開けるわ。」
 今日も暑くなりそうで。

「朝飯、たまごは甘くするんだったな。」
「ああ、頼む。」
 勢いよく、家中のカーテンと窓を開け放しながら、当たり前のように橘が問えば、当たり前のように黒羽が答え。

「たまごが甘いってか。」
「ん?」
「お前、ダビに甘過ぎ。」
 からかうように橘の頭をぽふっと叩いて、黒羽は玄関に走っていった。

「天根に甘いのは、お前だろう。」
 背後で、勢いよく扉を開く音がする。
 台所の窓を開ければ、名残の夏の日差しが、静かに世界をおおっていた。


Workに戻る  トップに戻る