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| 荷物は朝の内に作ってあった、というよりも、荷物らしい荷物など初めからなかったようなものだから。 各々、自分の鞄を担ぎ上げてしまえば、もう、橘家にいる用事もなくなってしまう。 時計の針は容赦なく前進し、名残などは惜しんだところで尽きるはずもないわけで。 「お世話になりました!!」 「……ました!!」 橘家の大人たちに挨拶をして、黒羽と天根は家を出る。 「駅まで送ろう。」 「平気だっての。道、分かるし。」 「送らせろ。」 別れを告げようと思った黒羽を制し、桔平はコートを羽織り直す。 すると、リビングの方から、やはりコートを着た杏が出てきて。 「私も行く!」 当たり前のように、靴を履いた。 そして、駅までの道を、黒羽は桔平と、天根は杏と、ゆっくり歩く。 だが、いくらゆっくり歩いたところで、掛かる時間など、たかが知れている。 この道を折り返して戻るときには、黒羽と天根が居ない。 そう思った瞬間、桔平はふと、一人で歩くより、杏と一緒に家に帰る方が良いなと思って、少しだけ杏に感謝した。唐突に一人になるのは、しゃくなコトだが、やはり寂しいモノである。 「天根。」 前を歩いていた天根を呼べば。 スローモーションのように、天根が振り返り。 「帰り道、よく覚えておけよ。」 「うぃ。」 「今度は一人でも来られるようにな。」 「うぃ!」 桔平のアドバイスに。 そうだ。石田や桜井とまた会う約束したし。遊びに来てもらうのも楽しそうだけど、俺が遊びに来るのもきっと楽しい。 そう思って、天根はにこにこした。 だが、穏やかじゃないのは黒羽で。 「なんだよ。俺は仲間はずれかよ。」 少しむくれたようにぼやいて、桔平を苦笑させる。 「お前も俺も、春から高校生だ。いつまでも後輩達とべったり遊んでいられるとも限らないだろうが。」 その言葉に。 黒羽は一瞬沈黙する。 そして。 「やっぱ寂しいよな。」 「何がだ?」 「や……。」 言葉につまる黒羽の顔を、ちらりとのぞき、桔平は言葉にならない何かを感じて。 「ああ。寂しいな。」 低く応じた。 「森にさ、写真、楽しみにしてるって伝えてくれよ。」 「ああ。伝えよう。俺も楽しみだ。」 こんなふうに、学年を越えて、学校を越えて、集まってはしゃぐなんて。 もしかしたら、とても贅沢な幸せなコトなのかも知れない。 きっと、あの写真は宝物になる。 明日以降、あるいはずっと未来にも、何かあったとき、勇気や元気をもらえるような、そんな大事な宝物になる。 駅は日頃の活気などなく、閑散としていた。さっきまでわいわいやっていた、あの賑やかな空気が、耳の奥に残っているだけに、なんだか駅の蛍光灯さえも哀しい気分を引き起こして。手のひらの百円玉さえも、何だかとても冷たくて。 「ほら、ダビデ。いつまで金握って、ぼっとしてんだよ。早く切符買えって。」 「……うぃ。」 「また遊びに来て良いって言われてるんだろうが!あんまりぐずぐずしてると、そんなやつはもう来るな!って言われるぞ?」 「……うぃ。」 からん、からん。 コインが切符の自動販売機の中を転がっていく。 天根は小さく。 「……いたしかたアルマジロ……。」 と呟いて、自らを慰めつつ、しょんぼりした。 だが。 聞こえなかったのだろうか、予期していた跳び蹴りは入ることなく。 「……?」 振り返ると、にこにこした杏の姿。 そして。 少し離れたところに、見つめ合う黒羽と桔平。 ああ。そうだ。 寂しいのは、俺よりも、バネさんたちだ。 「元気でやれよ?」 「ああ。」 「勉強ばっかして、倒れんなよ?」 「ああ。」 「たまには遊べよ?」 「ああ。」 「なんだよ、橘サン。『ああ』ばっかじゃねぇか。」 黒羽の苦情ももっともだが。 もう、何と言っていいのか、桔平には分からなかった。 受験、頑張れよ、だとか。今日は楽しかった、だとか。 月並みな言葉は、もちろん、とっても大切だけれども。 自分が言いたい言葉は、もっと他にある気がして。 でも、それが何か分からなくて。 相槌を打つしかできなくて。 「すまん。」 「や、別に謝らなくてもな。」 黒羽の大きな手が、ふわりと桔平の頭に乗る。 コドモ扱いされているようで。だけど、今のままで、不器用なままで構わないんだと言われているようで。 気恥ずかしさに、軽くその手を払いのければ。 その仕草に、黒羽が小さくにっと笑った。 「春になったらな、潮干狩りの季節だかんな。」 「そうだな。」 「一番良い季節に来いよ。八月の潮干狩りも悪くねぇけど。やっぱ春から初夏が最高だぜ?」 「それは楽しみだ。」 そうか。 「そしたらな、一番良い場所、連れてってやるから。」 「一番良い場所?」 「おう。樹ちゃんが見つけた最高の穴場!特別に教えてやる。」 「ああ。」 そうだ。 受験に、そんなに不安があるわけでもないけれども。 二ヶ月先が見えないことには、やはり何かもやもやした不安があって。 だけど。 「アサリの美味い食べ方、研究しておくからな。」 「おう!楽しみにしてんぜ!!ハマグリも採ろうな!」 見えない未来の先に、確かな明るい約束があったら。 こんなもやもやした不安なんて、消し去ってくれる。 だから。 「絶対、来いよ!来ないと、ちゅーするぞ?」 「全く、相変わらず破廉恥なやつだな。」 くつくつと笑って。 黒羽は、桔平の肩をぽんと叩き。 「じゃあな!俺ら、行くわ。」 「ああ。またな。」 改札を抜けて。 天根は数歩ごとに振り返り。 黒羽はずっと振り返りもせず。 二人は階段の向こうに消えた。 「帰るか、杏。」 「……そうだね。」 桔平が静かに杏を振り向いて、ゆっくりと歩き出す。 お兄ちゃん、寂しいんでしょ?と言おうとして。 なんだか思っていたよりずっと自分も寂しいんだというコトに気付く。 そうだよね。あの二人がいる間、私、ずっと笑ってたもん。 急に、静かになっちゃった。 桔平の手が、そっと立ち止まったままの杏の背中を押す。 「寒くなる前に帰るぞ。」 「うん!」 ホームの方から、電車の音が聞こえる。 黒羽さんたちが乗る方の電車かな、と。 杏は伸び上がって、もう見えない人影を捜した。
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