ちょっとだけマジカル。

「そういえば、書き初めの宿題とかってさぁ。」
 皿洗いしていた伊武と天根も、リビングに戻ってきて。
「俺、終わっちゃったもん。書き初め。」
 適当に座って、適当にくつろいで。
「何だよ、森ってば、優等生のふりかよ。信じらんねぇ。」
 なんでもないコトを、なんでもなくしゃべっている時間。
「俺も終わってるぜ?去年のうちにな。」
 何もしていないと思っているのに、時間が経つのは恐ろしく早くて。
「おいおい。石田。それって、書き初めじゃないだろ。書き終えだろ?」
 あっという間に、時計の針ばかりが進んでいく。

 一生のうちに笑う量というのが決まっているのだとしたら、もしかして、自分の将来はずいぶんとつまらないモノかもしれない。
 お腹が痛くなるほど笑いながら、杏はぼんやりと考えた。
 ま、良いか。今、これだけ幸せだから。後のことは後のこと。
 何が可笑しいわけでもないのに。
「ふふ。」
 自然と、笑みがこぼれるのは。

 黒羽さんがお兄ちゃんに。
 かかと落としをぶちかましているからかしら……?

 って!
 ちょっと待って。
「お兄ちゃんたちっ!」
「ん?どうした?杏?」
「一緒に遊ぶか?」
「人の家のリビングで暴れないでよ!!二人とも!!」

 全く。
 二人とも、オトナの顔して、相手のことしか、見えてないんだから!
 いちゃいちゃするのは良いけど、時と場所をわきまえてよね!ホントにね!

 大げさに溜息をついて見せると。
 しおらしく大人しく黒羽も桔平も元いた椅子に戻る。
 そして。
「杏、ちょっと見ててみ?」
 黒羽はにっと笑うと、何も乗ってない手のひらを見せ。
 一瞬、軽く握ってから、ゆっくりと開く。
 その手のひらには。
 小さなヒヨコのマスコットがちょこんと乗っていて。

「……魔法?」
「おう。魔法。」

 杏がそっとヒヨコを摘み上げると。
 ヒヨコのシッポから、万国旗が連なって。
 黒羽の指先と、杏の指先を繋ぐ、小さな橋になる。

「わあ。」
 いつの間にか、みな、それぞれの話を切り上げて、黒羽と杏の手元を覗き込んでいた。
「すげぇ!」
「可愛いね。黒羽さん。」
「だろ?ピヨちゃんってんだぜ?」
 ヒヨコも可愛いけど。
 いきなり、こんな手品をしちゃう黒羽さんも面白くて。
 ピヨちゃんなんていう、ありえないほどありふれた名前さえ、愉快で。
 また、幸せな笑いがこみ上げてくる。

「わざわざ、用意してたんですか?」
 杏からヒヨコを貸してもらった森が、目を輝かせて尋ねる。
「あー。いや、コートのポケットに入れっぱなしだったんだ。正月にオジイんとこで子守してな。そんとき、ちびっ子、笑かそうと思ってたヤツ。」
 桔平が小さく笑って、目を伏せたのは。
 杏や石田や天根が、万が一、泣いていたら使おうと、その手品を仕込み直していた黒羽を知っているからで。
 さっき、リビングの隅で、仕込みの仕上げを手伝わされた桔平は。
「不器用に見えて結構芸が細かいな。お前は。」
 などと褒めてやったばっかりに、照れた黒羽からかかと落としを喰らいかけたのだが。
 そんなコトは、杏たちの知るよしもなく。

 ホント。
 黒羽さんと出会えて良かったね。お兄ちゃん。

 ヒヨコのピヨちゃんは、森から、神妙な顔をした内村へ、興味津々な神尾へ、無表情なままの伊武へ、ダジャレ思案顔らしき天根へ、そして必要以上に照れくれそうな桜井へ、潰さないようにおっかなびっくりな石田へ、と、順繰りに回って。
 杏の手元に戻ってきた。
「黒羽さん、この子、連れて帰るの?もらっちゃダメ?」
「あー。可愛がってくれるなら、やるぜ?うちにいっぱいいるから。ゲーセンで取ったピヨちゃん。」
「ありがとう。可愛がるね!」
 そうか。
 この子がピヨちゃんなんじゃなくて。
 黒羽さんちにいるヒヨコのマスコットは全部ピヨちゃんなんだ。
 ちょっとだけ、杏は不安になった。
 お兄ちゃんと黒羽さんの間に子供が生まれて、全員「赤ちゃん」とかいう名前だったらどうしよう……?!
 でも、冷静に考えたら、まだその心配は早すぎる気がしたので、杏は心配するのをやめた。きっと平気。可愛い名前を付けてくれるよ。二人とも。

 ふと。
 黒羽が時計を見上げて。
 その視線を追って、桔平も時計を見上げて。
「……もうすぐ、4時、か。早いな。」
 低く呟いた。
「早いな。ホント。」
 黒羽の声音は少し、寂しそうに響いて。
「さっきの手品みたいに、どっかから時間がぽんって出てくれば良いのに。」
 杏は。
 冗談めかして言ったつもりだったが。
 なんだか急に、寂しさがこみ上げてきて。
 そんなコト、言わなきゃ良かった、と、後悔する。
 黒羽は、しばらく穏やかな笑みを浮かべて、杏を眺め。
 もう一度、時計に目をやって。

「もしかしたら……ちょっとだけ、魔法が使えるかもな。」
 いたずらっ子のように笑った。

「石田。ちょっと電話、借りるぞ?」
「は、はい!」
 急に立ち上がった黒羽は、電話のスピーカーのスイッチを入れ。
 部屋中に番号を押す電子音が鳴り響く。
 どこに電話しているんだろう。おうちかな。もう一泊、していってくれるのかな。でも、黒羽さん、受験生だし。おうちの都合もあるだろうし。

 そんな杏の思考を遮ったのは。
 コール音もなく、唐突に響く人の声で。

「ただいま、午後2時45分ちょうどを、お知らせします。」
 ぴ。
 ぴ。
 ぽーん。

 へ?!
 一同は一斉に時計を見上げる。
「……やっぱな。石田。あの時計、すげぇずれてるぜ?」
 黒羽のくつくつ笑い。そして。
「あー。昨日、電池入れ替えたときに、一時間ずれて合わせたんですね。」
 いたく納得したような石田の声。

 石田さんって、しっかりしているのに、なんでときどきこうなんだろう?
 別に何も不満はないけど。石田さんの大らかさは、本当にすごいって知っているから。でも。それにしたって。
 なんて思いながら、ふと目を上げれば。
 桔平がにこにこしながら、黒羽に何かをささやいている。
 黒羽も応えるように穏やかに笑って。
 良かったね。お兄ちゃん。幸せそうだね。

 杏は思った。
 ピヨちゃんを出せるコトよりも。
 時間を戻せるコトよりも。
 みんなを、そして何より、お兄ちゃんを幸せにしてくれるコトが。
 本当に素敵な魔法。
 黒羽さんは。
 もしかしたら。
 本当に魔法使いなのかもしれない。


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