華麗なるストーリー。

 最初は全員、不安だった。
 橘さんの口に合うだろうか。喜んでもらえるだろうか。
 そればっかりを気にしていた。
 だが、食事が始まって、十分もしないうちに、一同は黒羽の偉大さと桔平の寛大さに夢中になっていた。

「おい。見ろよ。」
 カレーの中からニンジンを拾い上げつつ、黒羽が真顔で言う。
「これ……。」
「ああ?」
「皮剥いてあるぜ?」
「……普通、剥くだろう?」
「や、俺は巧く剥けないぞ。自信ある。」
 石田に「頼むから、もう少し丁寧に剥け」と何度も注意されながら、何とかニンジンを剥いたのは神尾で。
 不細工なニンジンを笑われるのではないかと、危惧していたのは、完全な杞憂だったらしく。

「だいたい、ニンジンって、どこからどこまでが皮か、分かんねぇしな!」
「……分かれ。」
「や、皮も身も同じ色だろ?しっかし、すげぇな。このニンジン!」
「……練習しておけ。ニンジンの皮むきくらい……。」
「俺が剥くと喰うトコ残らねぇからダメだって。でもな。よく剥いてあるよな!これ!」

 黒羽はふざけているのではなく。
 大まじめに、ニンジンを褒めているのだ。
 自分より一歳年若い者達が作ったカレーを味わいながら、彼らの料理の腕に感心しているのだ。
 それだったらニンジンを褒めないで、ニンジンを剥いたやつを褒めてやれば良いんじゃなかろうか。
 内村は心密かに思ったが、まぁ、偉大な黒羽さんの考えるコトだから、俺のような凡人には理解できねぇのかもな!とムリヤリ納得した。

「今度、ニンジンの剥き方くらい、教えてやる。」
「あー。」
「時間があるときに手取り足取りじっくりとな。」
「あー。」

 桔平は黒羽に視線も向けず、ただ小さく笑みを浮かべて、口調だけは厳しく言葉を継ぐが。
「お前はホント、飯作るのうまいもんな〜。」
「俺の飯が食いたければ、皮むきくらい手伝えるようになれ。」
「へ〜い。」
 黒羽は動揺する様子もなく、ただ笑顔でニンジンを眺め、ぱくりと食らいついた。
 桜井が照れたように俯き、杏ちゃんがやけににこにこしているのと好対照だ!と内村は思ったが、その理由にまでは考えが及ばず、とりあえず水をごくりと飲んでみる。あれ?昨日も天根ってカレー喰ってなかったっけ?とか思いながら。
 そういや。
 橘さんってば、黒羽さんに飯作ってやる気満々なんだな。
 内村は勢いで、黒羽と桔平の未来図を心に思い描いてみようと思ったが、なんか間違ったモノを想像してしまった気がして、三秒と経たずに断念した。

「で。」
 今度は桔平がニンジンをスプーンに載せて。
 一同を見回す。
「これ、剥いたのは誰なんだ?」
 おずおずと手を挙げる神尾。黒羽さんにならともかく、橘さんには見られたくないできなのは自分でもしっかり分かっている。
 もう少し、家の手伝いとか、しておけば良かった。
 神尾はいまさらながら、少しだけ後悔した。

 だが。
「……神尾か。」
 桔平の声音は決して冷たい色を帯びず。
「この人数分、よく頑張ったな。時間が掛かっただろう?」
 できではない。ただ、その根気と努力を認めて。
「ジャガイモ剥いたのも、お前か?」
「は、はい。」
「……指、痛くないか?」
「だ、だ、だ、大丈夫です。リズムに乗って剥きましたから!」

 なんか神尾のやつ、一人だけ褒められて!生意気だぜ!神尾の癖に!と内村は、ちょっとだけむかついたが、桔平と黒羽がにこにこしているので、なんだかもう何でも許せるような気がしてきた。森も機嫌良いし。ま、良いか。

「美味いぜ。マジで。俺ら、何もしてねぇのに、ごちそうしてもらって悪いな。」
 と、黒羽。
「いえ、いつもお世話になっているお礼です。」
 こういうとき、そつなく返事ができるのが桜井で。
「や、俺、お世話してんの、ダビデだけだぜ?だけど、こいつ、何も手伝ってねぇだろ?」
「うぃ!」
 こういうとき、真顔で頷けるのが天根で。
「手伝ってないんだったら、もう少し申し訳なさそうな顔しろ!」
「……う、うぃ!」
 なんだかんだで。
 暖かい時間が流れて。

 そして。
 天根が。
「伊武は……ニンジン食べても……キャロットしてる。」
 などと言いだし。
「……なんなわけ?俺がどうだって言いたいわけ?お前が勝手にダジャレを言うだけでも、十分寒いのに、なんで俺の名前を使うんだよ?で、しかも、ニンジンとキャロットをかけたつもりなんだろうけど、日本語として意味が分からないんだよね。ぼそぼそ」
 と、伊武のスイッチが入ってしまい。

 2分ほど、食卓が伊武モードだったりして。
「深司。いい加減にしてやれ。」
「……はい。」

 また。
 普通の会話が戻ってくる。

 そんな中で、ふと。
「そういやさ。橘。」
 スプーンを止めて、黒羽が口を開く。
「トルストイ……だったっけな?アンナカレーニナって小説、知ってるか?」
「……トルストイなら聞いたことがあるが。アンナ……?」
「アンナカレーニナ。高校入試の文学史問題で、今年ねらい目なんだと。」
「……そうなのか?」

 唐突に。
 この二人が中三で、受験を控えた身であることを二年生達は思い出していた。
 こんなところで遊んでもらっていて、良いのかな。
 ちょっとだけ、申し訳ない思いに囚われながら。

「サエが言ってた。覚えておいた方が良いって。」
「そうか。なら覚えておこう。」
 佐伯が言うのなら、きっとそうなのだろう。桔平は口の中で小さく、「アンナカレーニナ、トルストイ」と繰り返す。

「サエから聞いたあらすじな。」
 テーブルにスプーンを置いて。
 黒羽はしばらく話の順序を思い出している様子で。
 一同は、さっきまでのおしゃべりモードを捨てて、黒羽と桔平の邪魔をしないよう、口を閉ざし、二人の様子を見守った。

「えっとな。トルストイってのはロシア人でな。それで……世界の真理を求めて旅をしているんだ。」
「ああ。」
「で……トルストイはある日、モスクワに行って、バレエを見た。」
「ふむ。」
「そのバレエが本当に美しくて、感激したトルストイは……こう呟いたんだ。」
「……。」
「あんな……華麗にな……!」
「……。」
「これ、第一話な。」

 天根は真顔で聞き入っている。
 ということは。
 これはこのまま真顔で聞いておいた方が良い話なんだろうか。
 不動峰の良い子達は、ちょっとだけどきどきしながら、桔平がノーリアクションなのを良いことに、フリーズしたまま、話の続きを待った。

「だけど、そのバレエの美しさの中には、まだ世界の真理はないと思ったトルストイは、次の日……インドに行った。」
「……翌日にインドに行ったのか?」
「すげぇよな。トルストイの行動力って。」
「……そうだな。」

 黒羽はごくりとコップの水を飲み干し、ピッチャーからなみなみと注いで。
 また一口、ごくりと飲み。

「インドを歩いていたら、トルストイは人々が食事をしているトコに出くわした。で、仲間に入れてもらったんだけど、インド人が喰ってるのが辛くてさ、トルストイは喰えなかった。」
「……ああ。」
「だけどインド人はばくばく喰ってる。で、トルストイは感動して呟いた。」
「…………。」

 内村はなんとなく次が読めた、と思った。
 しかし。
 口を開く勇気がなかった。

「あんな、辛ぇにな……!と。」
「……。」
「ここまでが、第二話ね。」

 黒羽の言葉に。
 森が頬をぽりぽりとかいて、内村を見やった。石田はさっきから桜井と桔平を交互に見ながら、狼狽えた様子でスプーンを手の中でいじっている。そのままいじってると折るぞ、お前。内村は内心、そう思ったが、話の邪魔になりそうだったので黙って天根に目をやってみた。
 天根はといえば。まだ真顔で黒羽の話に聞き入っている。
 不動峰の良い子達は、諦めてそのまま話の続きを待つことにした。

「結局、インドでもトルストイは真実に出会えなかった。で、翌日、トルストイは銚子漁港に出かけた。」
「……銚子?!」
「おう!さすがは銚子だよな!トルストイが真理を探究しに来ちゃうんだぜ?」

 天根が激しく頷いている。
 そうか。銚子って確か千葉県内の漁港なんだっけ。
 内村は、ない地理知識をフル稼働して、むりやり納得してみたが。
 黒羽は嬉々として話を続ける。

「でよ。」
「ああ。」
「銚子漁港では、あちこちでやけに薄べったい魚を取り引きしていてな。喰うトコなさそうなのに、それがまた、売れるわけよ。」
「……ああ。」
「そんな魚にわざわざ金払っている人々を見て、トルストイは感動して、また、ここで呟いたわけな。」

 そのとき。
 桜井が小さく頷いた。
 森も神尾も伊武も内村も石田も杏も。
 みな、同時に桜井の小さな合図に気付いた。

 そして。
 声を揃えて。

『あんなカレイにな!』

 と。
 タイミングぴったりに黒羽に応えた。

 一瞬、目を見開いた黒羽は。
 けらけらと笑いながら。
「お前ら、遅いっての!第二話から、ちゃんと突っ込め!」
 上機嫌でスプーンを手にして、ぱくり、と一口だけ残していたカレーを口にした。

 内村は。
 俺もまだまだ突っ込み修行が足りないと深く反省しながら。
 小さくくつくつ笑いながら額を抑えている桔平と、一同のリアクションに満足そうな黒羽とを交互に見比べて、なんだかだんだん幸せな気分になってきて。

 一方、天根は。
 トルストイってのはロシア人なのに、日本語のダジャレが上手で偉いなぁ、と。
 深く激しい敬意を胸に、大きくなったら、俺、絶対、トルストイになろう、と決意を固めていた。


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