ハッピー・アンバースディ。

「よっし、セッティング完了! 森、悪いけど、橘さんたち呼んできてくれるか?」
 片手におたまを持った桜井が振り返る。テーブルの上には、神尾がリズム良く並べた人数分のスプーンとフォーク、石田が盛りつけたカレー、杏の仕上げたサラダ。
 デザートのプリンは、今、森が冷蔵庫にしまい終えたところで。
「うん。呼んでくる!」
 ちょっとタイムオーバーだったけど、料理は結構良さそうな感じで。
 うきうきしながら。
 台所から居間を抜けて玄関に向かう道すがら。
 箸がこっそりテーブルに並んでいるのにも気付き。
 ……箸?
 森は小首をかしげつつも、そのままテーブルの横を通り抜けた。

「お待たせしました!」
 少し重い扉を押し開け、森は客人達を迎え入れる。
 玄関先で待たされて、さぞや退屈しているだろうと思いきや。
 黒羽は上機嫌に。
「ダビがしょうもねぇことばっか言って、すまねぇな。」
 と内村と伊武を労っているところで。
「いえ!俺、黒羽さんのために、頑張って突っ込んでましたから!」
 内村がなぜか胸を張れば。
 伊武は伊武で。
「ずっとあんなのの面倒を見ている黒羽さんを、俺うっかり尊敬しそうになりました。ホント、あんなのがずっとそばにいたら、気が滅入ります。黒羽さんって何も考えていないわりに、結構我慢強いんですね。ぼそぼそ」
 褒めているとは思えない褒め方で、黒羽を褒めちぎっていた。
 いや、森には分かる。内村も伊武も、黒羽を心から慕っているからこそ、あんな意味不明なコトを一生懸命主張しているのだと。
 だけど、他にもアピールの仕方がありそうなもんだけどな。
 そう思いながら、視線を転じれば。

 桔平は桔平で。
「深司も内村も容赦なくて、すまんな。」
 しょげている天根の頭を撫でていて。
「……平気。俺、強いもん。」
 ダジャレを突っ込まれたからといって、しょげる天根も天根だし、それで「強いもん」などと強がるのもあんまりだと思ったが。
 森は桔平が優しく微笑んでいるので、まぁ良いか、と思いなおした。
 確かに深司と内村は容赦がなさすぎたしな。
「あいつらは悪気があるわけじゃないんだ。分かってやってくれ。」
 うーん、悪気とか、そういう次元の話じゃないんじゃないかなぁ、と森は少しだけ首をひねったが。
 まぁ、それもどうでも良いか、と再度思い直し。

「お!森!」
「こんにちは。黒羽さん!」
 満面の笑顔を向ける黒羽に、スリッパを勧め、もちろん、桔平にもスリッパを出して。
 カレーの薫る廊下をたどって、居間へと戻っていった。

「橘さん!! 黒羽さん!!」
 神尾が嬉しそうな声をあげると、それを聞きつけて、石田と桜井が台所から顔を出す。
「お待たせして、すみませんでした!」
 エプロンを外しながら桜井が言えば、三角巾をほどきながら石田はもう一度台所に戻る。
「杏ちゃん、飲み物は水で良いかな?」
 なんて言いながら。

 石田って。
 なんで三角巾、巻いてたんだろ……?

 森は少しだけ疑問に感じながら、きっと石田は頭に何か巻くのが好きなんだな、と、また思い直し、台所へと向かった。
 そのとき。
「うわ。美味そう!なんだよ。これ、お前らが作ったのかよ?!すげぇな!おい!」
 耳に届く、黒羽のはしゃいだ声。
「黒羽さん達にごちそうしたくて……12時までに作る予定だったんですけど。」
 桜井の言葉に神尾が何度も頷いた。確かに神尾ってば、神尾のわりに一生懸命ジャガイモとかむいてたよな。文句も言わずにな。黒羽の大きな手が伸びて、神尾の頭をくしゃりと撫でる。
「サンキュ!」

 さっきまで修羅場だった居間には、桔平を小突いて嬉しそうに笑う黒羽と、それに応えるように小さく頷く桔平の姿があって。
 彼らが心から慕う二人の、幸せそうな笑顔があって。
「本当に美味そうだな。」
 桔平の柔らかい深い声。
 その何でもない一言に、居合わせた二年生達はどうしようもないほど、温かく嬉しい気分になった。
 黒羽は絶対、美味しいと言ってくれるだろうと、森は確信していた。実際、カレーもサラダもまずくはないし。何より、黒羽さんは作った者の気持ちを喜んでくれる人だから。
 でも、橘さんは料理が巧いし、厳しいところのある人だから、もしかしたら美味しそうだなんて言ってくれないかもしれないな、と。俺たちの料理なんか、手放しでは喜んではくれないかもしれないな、と。
 森は、いや、二年生達はみな、少しだけ心配していたのだ。
 まぁ、黒羽さんが喜んでくれたら、橘さんもきっと喜んでくれるだろうけども。いつもはあまり感情を見せない橘さんだけど、黒羽さんが一緒だと喜んだり笑ったり、なんだかとても幸せそうに見えるから。
 そうは思っていたのだけれども。

 くいっと冷蔵庫を開ければ。
 一番の奥に入れたプリンは、きちんと人数分揃って並んでいる。
 スも入らず、きれいにできあがりそうで。
 料理なんか、全然やらないけど、こうやってできあがったモノを見ていると、料理好きな人の気持ちも少しだけ分かるような気がしてくる。
 なんでもない、こんなコトが本当に幸せで。なんでもないコトが嬉しくて。
 なんて。
 いつまでもプリンを眺めていても仕方がないので、ぱたりと冷蔵庫を閉じた森の背後には。
 いつの間にか、大鍋を抱きしめた天根が立っていて。
「……みそ汁、作らないの……?」
 真顔で森に問いかけてきた。

 カレー、サラダ、プリン。
 こんなにカタカナが並ぶランチタイムのどこに、みそ汁が入り込む余地がある?

 天根の顔を見ながら、森は一瞬、どう返して良いのか分からず、固まったが。
「あ!そうか!みそ汁!みそ汁!」
 ドレッシングを取りに戻っていた桜井が、天根の言葉に、少し慌てたように小走りに居間に戻っていったのを見て。

 あれ?
 カレーにみそ汁って、もしかして普通の組み合わせなの?
 と、森は別の意味で固まってしまい。
「森?……森??」
 天根をびっくりさせてみたりしたのだが。

「橘さん!黒羽さん!みそ汁どうしましょう?」
 居間から届く桜井の声に、間髪入れず。
「カレーにみそ汁はオカシイだろ?」
 黒羽がまっとうなリアクションを返し。
「そうだな。あっても構わないが……わざわざ作らなくても良いと思うぞ。」
 桔平も同意したのを聞いて。

 なんだ。俺がオカシイんじゃなかった。
 と、森は胸をなで下ろした。

 そして、目の前の天根は、居間から聞こえてくる会話に目に見えてがっかりし。
「……お箸、出しといたのに……。」
 大鍋を抱きしめたまま、とぼとぼと森に背を向けて、歩き出した。
 あの謎の箸は、みそ汁のためだったのか……!!
 テーブルの上にこっそり並んでいた箸を思い出し、森は納得しつつ、少し笑ってしまい。
 そこへ。
「天根、お前、みそ汁喰いたいのか?」
 気付くと、台所の入口に桔平が姿を見せて。戸口の壁に寄りかかるように立つ桔平。その背後から黒羽が台所をのぞきこむ。
 いきなりの二人の登場に、一瞬、きょとんとした天根は、すぐに何度も頷いた。

「しかし。」
 桔平はそっと黒羽を振り返り、黒羽が苦笑しているのを確認してから。
「カレーにみそ汁はあまり合わないだろう? 今度、作ってやるから、今日のところはやめておこう。」
 そう言って、大鍋を天根の手から取り上げると、促すように背を押して。
「ダビ、折角みんなが作ってくれたカレーだ。熱いうちに喰おうぜ?」
 黒羽が天根の肩を抱いて、居間へと連行する。
「……うぃ。良い匂い。」
「おう!早く喰おうぜ! それにな、みそ汁とカレーってのは、どう考えても変だしな!」
「……みそ汁を……そしるのはやめて……!」
「下らねぇっ!!」
 げしっ!!

 そんな普通の情景が、とても温かくて、ぼんやり見守っていた森の肩を、ぽんと叩く大きな手。横に、いつの間にか、ガラスのコップを十個、お盆に載せた石田が立っていて。
「ほら、森も座ってろよ。橘さんたち、待たせちまう。」
 流しでは、杏が大きなピッチャーに氷を投げ込んでいる。
 もうやること、なさそうだな。
 台所を見回して、森はにっこりと頷いた。
 さぁ、お昼ご飯だ。
 なんでもない日の、なんでもない幸せなランチ。
 森は急に、自分が空腹であることに気付き、うきうきしながら居間へと急いだ。


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