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| 三月上旬。 日差しのゆっくりと降り注ぐ土曜の朝。 明日は練習がないのだから寝坊できるなと、眠い目をこすってゲームに精を出し。 力尽きて。 目覚まし時計を切ったまま布団に潜り込んだのは。 日付が変わってずいぶん経ってからのことで。 今日はずっと眠ってて良いんだ。布団の温もりの中で、とけてて良いんだ。 そんな贅沢を堪能していた黒羽を、何者かが揺り動かした。 「……バネさん……!」 うるせぇ……。寝かせろ。 「ねぇ……。起きて……。」 俺は眠いんだよ……!今日は何もねぇんだから放っておけ……! うめくように、彼はそう口に出したのかも知れない。あるいはそう考えただけだったのかもしれない。とにかくふわふわとした夢と現の境で。 黒羽は深い眠りの中へと戻っていこうとしていた。 「……。」 そのとき、唐突にがばっと布団を引きはがされ。 天国のような幸せをムリヤリ奪われて、黒羽は不機嫌に目を開く。 案の定、目の前には、平然とした顔の天根。自分の家のように普通に上がり込むことなど、六角の友人同士では何も珍しいことではなく。 そして、起き抜けに客を怒鳴りつけることだって、珍しいことでもなく。 「ダビ!!何、しやがる!」 「……お返し、買いに行く。」 「お返しだぁ?」 「杏ちゃんにホワイトデー。」 「……ああ。クッキーのお返しか。」 「うぃ。」 天根の言葉に、黒羽は身を起こし、首をこきこきと鳴らしてしばらく思案していたが。 「郵送すんなら、そろそろ買っておかねぇとまずいか。」 「うぃ。今日なら暇。」 「……だな。」 時計を見れば、十一時を過ぎていて。 起こされたからといって、文句を言えるような時間でもない。 「分かった。行くか。」 「うぃ。」 ぼりぼりと頭を掻きながら、適当に服を拾い上げ。 「髪、跳ねてる。」 「あー。んなの、いつもだろ。」 「……バネさん、漢らしい……!」 「惚れたか?」 「うぃ。」 なんて、どうでもいい下らない話をしながら。 リビングで、ご飯を一膳、あっという間にかきこむと。 自転車を連ねて駅前に向かう。 春の香りがどこからともなく漂ってくる三月の街は、ほのかに若草色に色づき始めていた。 「ねぇ。」 「あん?」 「……チョコももらったでしょ?」 「あー。もらったな。Kってやつからな。」 自転車を飛ばしながらの会話なので、当然、二人は大声になり。会話はとぎれとぎれになりながら。 「Kって……神尾?」 「神尾かよ!」 真顔で首をかしげる天根の自転車を、斜めに蹴りつける黒羽。 「うわっ!」 悲鳴を上げながらも、天根はバランスを崩すこともなく。 「だって……Kって他にいないし。」 「だからって、神尾からチョコもらうわけねぇだろうが!ま、誰からもらっても不思議はねぇけどな。何せ、俺はいい男だかんな!!」 天根は返す言葉が見つからないように、ふるふると首を振って。 そのまままっすぐ前を見据え、ペダルを踏み込んだ。 実は。 昨夜、天根の元に杏から電話があったのである。 花冷えの夕方、ちょっとだけ鼻をぐずぐず言わせながら、天根は予期せぬ人からの電話にびっくりしていた。 受話器越しに聞こえてくるのは、いつも通り元気な杏の声。 「黒羽さんさぁ、バレンタインにチョコ、いっぱいもらってた?」 「……いくつか……。」 「そっか。ねぇ、お兄ちゃんが贈ったチョコ、食べてくれたかなぁ?」 「……橘さん……??」 「うん。あれ?黒羽さんってば、天根くんに言ってなかったんだ?」 「……う……ぃ?」 その瞬間。 天根の思考回路が、ちーん!という軽やかな音を立てて繋がった。 なるほど!そういうコトか! あのKというイニシャルは、橘桔平のK!! って。 なんで、橘さんが本命っぽいチョコをバネさんに?? 「それでね、実はお兄ちゃん、黒羽さんにチョコあげたんだけどね。」 「う、うぃ。」 「ホワイトデーのプレゼントをね。前の日までに私宛に送ってもらえたら、お兄ちゃんが寝ている間に、枕元にこっそり置いてあげられるなって思ったの。」 「……う、うぃ。」 「それってなんかちょっとロマンチックだと思わない?!目が覚めたら、枕元に大切な人からの贈り物が……!とかって。」 「……うぃ。」 バネさんと橘さんが……ろまんちっく……!! や。確かにあの二人はお互いに相手を大事にしているし。親友だし。大切な人には間違いない……けど。 「でも黒羽さんに直接そんなコト言うのも、催促してるみたいでいけないかなって思ったんだ。だからさ、天根くんから黒羽さんに頼んでもらえるかな?」 「……うぃ。」 なんか。 よく分からないけど……。 重大なミッションを仰せつかった気がする……。 「俺……頑張る……!」 「よろしくね!」 そんなわけで。 天根は自転車を漕ぎながら考えていた。 一体、どうしたら良いのか。 バネさんに「K」さんのコト、かまかけてみたけど。Kが神尾だってのは否定してくれたけど。 橘さんだってコト、気付いてないのかな……? 「おーい?ダビ?」 「うぃ?」 大声で呼ばれて。 予定の店を通過してしまったことに気付く。 「ごめん。考え事。」 「お前がなんか考えてるなんて珍しいな。何、考えてたんだ?」 あっさりとひどいコトを言われても、天根は一切気にする様子もなく。 ゆっくりと開く自動ドアを見据えて。 「……Kさんのこと。俺……知ってるんだ……。」 ぼそぼそと応じた。 「K……ね。」 黒羽はまっすぐ前を向いたまま、軽く笑い。 「言っておくけど……内村京介じゃないからね……?」 「分かってるっての。内村から手作りチョコなんかもらったら、びっくりすんだろうが。」 黒羽の大きな手が、がしがしと天根の髪を撫でる。 店内にはホワイトデーのデコレーション。そして甘い香り。行きつけのスーパーの催し物会場は、いつもの「地元野菜特売」とか「海鮮大市」とかとはずいぶん違う雰囲気に満ちあふれていた。 「俺だって、ちゃんと分かってるから。」 「……ホント?」 「ああ。橘桔平のKだろ?」 少し照れくさそうに微笑む黒羽に。 天根は言いようのない安堵を覚えた。 なぁんだ。バネさん、ちゃんと分かってたんだ。 手近なキャンディボックスを手に取り、くるくると回して遊びながら。 俯いた黒羽は。 「橘が……あんな一生懸命なんだから……。」 「……うぃ。」 「俺も本気で応えねぇとな……。」 「……うぃ。」 その優しい眼差しは、スーパーのちゃちなワゴンを越えて、遥か遠い誰かを見守っているようで。 天根はちょっとだけどきどきする。 「お前もそう思うだろ?ダビ。」 「うぃ。」 「あんな……体張って……一世一代のボケかましてくれたんだからよ。」 「…………うぃ。」 「俺もきっちり渾身の突っ込み、入れてやるさ。」 「…………うぃ!」 「杏。」 「ん?どしたの?お兄ちゃん?」 「枕元に……この包みを置いたのはお前か?」 「ふふふ。」 3月14日の早朝。 のんびりとココアを飲む杏は、怪訝な顔をした兄がリビングの端で怪しげな紙の包みをぱりぱり開き。 中から真っ赤な手作りハリセンを発見し。 ますます怪訝な顔をしながら。 「From K……?」 首をかしげているのを。 「手作りのお返しなんて……!愛よね。愛!!きゃっ!」 と、にこにこしながら見守っていた。
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