抱きしめてピュアハート。

 杏と天根がうきうきしながら、パンをかじり。
 うきうきしながら、桔平と黒羽の将来を語り。
 うきうきしながら、ココアを飲み干し。
 いい加減、うきうきするのにも飽きてきたころ。
 リビングのソファに置きっぱなしになっていた杏の携帯が、軽やかに鳴った。

「あ。電話だ。ごめんね、天根くん。」
 食事中の中座を詫びながら、杏はぱたぱたとソファに急ぎ。
「桜井くんだ。なんだろ?」
 小首をかしげながら、通話ボタンを押す。
 天根は、桜井の名に、少し嬉しそうに目を見開いて、ココアのスプーンをくわえたまま、杏の様子をうかがった。

「もしもし?桜井くん?」
『おはよう。杏ちゃん。』
 いつもの穏やかな声に、杏はふわりとくつろいだ表情を見せる。
「おはよう。どうしたの?」
『いやさ、さっき、石田と電話でしゃべってたんだけどさ。今日、俺らで昼飯作って、橘さんと黒羽さんにごちそうしようぜって話になって。今、石田が他の連中に電話してくれてるんだけど。』
「へぇ。楽しそう。だけど、それってどういう風の吹き回し?」
 くすくすと杏が笑う。
 どんな提案がなされているのかは、天根には聞こえなかったが、その企みがなんだかとても楽しそうな気がして、天根もちょっとだけ口元をほころばせた。

『クリスマスんとき、思いっきりごちそうになりっぱなしだっただろ?だからさ。』
「ああ。あのときはね。でも、料理したのはお兄ちゃんと私だよ。黒羽さんは味見しただけ!」
『あはは。あの人らしいな。で、どうかな。黒羽さんたち、お昼に石田んちに来てくれそうかな。』
「うん!まだ今日の予定決めてなかったみたいだし、きっと喜ぶよ。」
『そっか。じゃあ、12時ごろに石田の家に来てくださいって伝えておいてくれる?あ、天根と杏ちゃんももちろん一緒にね。』
「うん。ありがとう!伝えておくね。……あ、私と天根くんは早めに行って良いかな。」
『いいけど。どうして?料理は俺らがやるよ?』
「手伝うよ。っていうかね、私と天根くんがいるとね、お兄ちゃんたち、二人っきりになれないでしょ?」
 杏の言葉に。
 電話の向こうで、桜井は一瞬、絶句し。
『そうだな。じゃあ、杏ちゃんたちも手伝いに来てもらえる?』
「うん! 天根くんは役に立たないけどね!」

 会話の内容はさっぱり聞き取れなかったが。
 天根は、とりあえず、自分が役に立たないと断言されたコトだけは理解した。
 そして。
 ○×ゲーム大会でもやるのかなぁ……と少しだけどきどきした。

「うん。じゃ、10時ごろ行くよ。うん。バイバイ。」
 杏が通話を終えたのを見て、天根はくわえていたスプーンをようやくカップに戻して。
「どこ行くの?」
 と尋ねた。
 そのまま持ってきた携帯を食卓に載せ、にっこりと杏は微笑み。
「石田さんち。お兄ちゃんたちにヒミツで、二年生みんなでお昼ご飯を作るんだよ。」
「ふぅん。」
「それでね、お兄ちゃんたちに食べてもらうんだ。」
「……素敵。」
 それを聞いて、天根は少し安心した。なんだ、それなら役に立つよ。俺。
「……じゃあ、俺……地味に味見するね。」
「あはは!黒羽さんがいたら、殴られるよ!天根くん!!」
 そう言いながら、杏はびしばしと天根の背を叩き。
 バネさんがいなくても、すげぇ叩かれてるよ。俺。と思いつつ、天根は、突っ込んでくれる人のいる幸せを密かに噛みしめていた。
 それに。
 バネさんと橘さんにヒミツで、不動峰の仲間達とご飯を作るなんて、わいわい大騒ぎで楽しそうだ。いや。絶対、楽しい。
 今日もなんだか素敵な一日になりそうな予感がした。



 そこへ。
 黒羽と桔平が戻ってくる。二人とも少しぎこちなく視線を泳がせたりしていたので、お兄ちゃんたち二人っきりで何やってたのかしら?!と、杏は目を輝かせた。
 そんな杏の嬉しそうな眼差しにも気付くことなく、二人は食卓につき、沈黙したまま数秒の時を過ごす。
 天根は黙ってコップに残ったココアをスプーンで混ぜて楽しそうである。
「ねぇ、お兄ちゃん。」
「なんだ?」
 二人の不思議な気配を見守るのも楽しかったが、他の日程が提案される前に、今日の昼ご飯の約束を取り付けよう、と杏が口を開いた。
「私たち、朝ご飯終わったら出かけるからね。」
「私たち……?!」
 表情を強ばらせる桔平。
「うん。天根くんと私だよ。」
「出かけるってどこへだ?!」
 黒羽も早口に問いかける。杏は、何事もないように、にっこり笑って答えた。
「石田さんち!」

 その言葉に。
 黒羽も桔平も凍り付いた。
 杏をめぐって、ついに天根と石田の直接対決なのか?! そうなのか?!

「俺も行こう。」
 桔平が極力、動揺を抑えた声で言えば。
「あー。俺もな。」
 黒羽も当然のように同行を申し出。
「「ダメ。」」
 あっさり、杏と天根にハモって断られた。

 冬の朝は、乾いた冷たい空気に満ちていて。

「……どうしてもダメか?杏。」
「ダメ。」
「ダビデ。なんでダメなんだよ。」
「ダメなモノはダメ。」

 とりつく島もない二人に、黒羽と桔平は視線を交わし。
 信じるしかないよな。こいつらが自分で決めることだしな。
 と。
 先ほど、桔平の部屋で分かち合った結論を、心の中で反芻した。

 その二人の様子を見て。
 お兄ちゃんたちってば、せっかく二人っきりになれるチャンスなんだから喜ばなきゃダメだよ!
 と、ちょっとだけ、後輩大好きな二人の行く末を心配しつつ、でも、そんなトコでも価値観が合うなんて、ホント幸せよね、と杏は少しだけ微笑ましく思ったりもした。
「でもね。お兄ちゃんたちも、12時になったら絶対石田さんちに来てね?」
「12時?!」
「うん。12時。」

 何があるかは、ヒミツだけどね。
 企むような笑顔の杏に、天根はうきうきして。
 黒羽と桔平はまた困惑したように顔を見合わせた。

「みんな、待ってるからね。絶対、来てね。」
「あ、ああ。……ところで、杏。みんなって誰だ?」
「やだなぁ。黒羽さん!みんなって、昨日会ったみんなだよ!!」

 黒羽の脳内には。
 「石田と天根のどちらが杏に相応しいか」について、不動峰二年生sが侃々諤々話し合い、決裂し、取っ組み合いになり、そのまま大混乱を生じて、紛糾する様子がリアルに思い浮かんだが。
 森なんか泣きそうになっていて可哀想だなぁとまで同情したのだが。
 ふぅっと息を吐いて。
 静かに黒羽は桔平に目をやると。
 さっきから思考を停止している桔平は、黒羽に視線に小さく頷いて。
「じゃあ、12時に石田の家でな。」
 いつもより低い声で、約束した。



「楽しみだね!天根くん!」
「うぃ。」

 台所の片づけも兄らに任せ、うきうきと出かけてゆく二人を見送りながら。
 桔平と黒羽は。
 自分たちは、いろいろ悩むのが得意な人種ではない、と分かっていたので。
 とりあえず。
 ま、良いか。
 と、そのまま、大きく伸びをした。


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