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| かしゃ! 乾いた音が桔平の部屋に響く。小さな光の束とともに、その音は駆け抜けて、そのままどこかへと消えた。しかしそのささやかな音に、びくっと身を震わせて、天根は瞬きを繰り返す。 カメラって、こんな大きな音がしたっけ……? とはいえ、それは目覚めている天根にとって大きな音であっただけで。 眠り込んでいる黒羽と桔平は微動だにしない。 黒羽の長い腕が、桔平の頭をかすめて伸びていて。よくもまぁ、ぶつかりもせず、これだけの巨漢が二人、上手いこと一枚の布団の中に収まっているもんだなと天根は感心し。 「……サエさんに教えてあげよう……バネさんと橘さんは……布団の中でも相性抜群だって……。」 と。 一人で何度も頷いた。 そして。 今度は少し近づいて。 かしゃ! 桔平の頬が黒羽の肩に触れそうに見える、良い感じの角度で激写してみた。本当はそんなに近いわけではないのだけれども、写真にすれば、寄り添っているように見えるだろう。ちょっと捏造っぽいけど、楽しいからいいや。 カウンタを見れば、残り枚数は一枚。 今度は、二人の顔がよく見えるように撮ろうっと。 かしゃ! 角度を変えて。黒羽が桔平の寝顔を見つめているような雰囲気で。実際は黒羽も目を閉じているし、目を開けたところでそっちを見ているわけもないのだけれども。狙いすまして切り取った空間は、きっとそんな風に見える素敵な写真になることだろう。 さて。 杏ちゃんが廊下で待っているだろうから。 天根はそっと扉に手を掛けた。ノブを回そうとして、指先に力を入れたその途端。 「天根……?」 いつもより少し低い、少し掠れたような桔平の声。 「あ。……橘さん。」 「起きたのか。早いな。」 その声に、びくっとして。天根は大いにあわてた。せっかく、上手く激写した写真。撮影を桔平に悟られては元も子もない。パジャマの上着の中にカメラを突っ込み、上からそっと押さえつつ、少し不自然な角度で斜めに振り返る。 うわ。カメラ、冷たい……! とは思ったものの、とにかく懸命に誤魔化しながら。 すると視線の先には、布団を下半身に掛けたまま身を起こした桔平の姿があった。いつもの凛とした気配は半減し、眠そうな目つきでふわりと天根を見やる。 「ちょっと……トイレに……。」 「ああ。そうか。今、何時だ?」 「……オヤジ……。」 「……?」 「じゃなくて……6時半ごろ。」 ついうっかり、お約束のダジャレを言ってしまったものの、半分眠っている桔平にはそれが通じなかったらしい。ちょっとだけ安心しながら、天根は時計を確認した。うん。まだ6時半すぎ。7時にはなってない。橘さん、もう一度寝てくれないかな……。 「7時前か……。」 「うぃ。」 窓の外は薄明るくなっている。そうだ。もう日の出の時刻は過ぎたんだな。でも寒いし。 そして、ふと思い出す。 「あ。橘さん。」 「うん?」 「昨日は……ごめんなさい……夜、俺、橘さんのコト、蹴った?」 一瞬、桔平は何を言い出すのかといった風情で首をかしげたが。小さく微笑んで。 「……俺がこっちで寝てたからそう思ったか?」 「うぃ。」 「安心しろ。お前のせいじゃない。俺が勝手にこっちに移っただけだ。」 「……うぃ?」 「ただ……黒羽の方で寝てみたくなった。それだけだ。心配させて悪かったな。」 「…………うぃ。」 桔平としては。 天根に余計な気遣いをさせたくなかっただけなのだろうが。 しかし。 天根はパジャマの中に潜ませたカメラをぐっと握りしめて。 こ、こ、こ、これは、杏ちゃんに報告しなきゃ……! と、大いに感激していた。 そして。 「俺はもう少し寝かせてもらうぞ。天根、お前は起きるのか?」 「……まだ寝る。」 片手をドアノブにかけたままの天根に、桔平がゆっくりと告げる。 「そうか。……目覚ましは8時にかけてある。……その前にでも目が覚めたら、起こしてくれて構わないからな。……俺は黒羽と違って寝起きは良いんだ。」 「うぃ。でも、俺、8時までは寝ると思う。」 「ああ。なら……ゆっくりお休み。」 少し安心したように、小さな笑みを浮かべ、それからはっとして。 「すまん。便所に行くトコ、呼び止めちまったな。」 「う。うぃ。」 「悪かった。ほら、早く行ってこい。」 天根が腹を押さえていたから、何か誤解したのだろうか。桔平は少し心配そうに、天根を急がせた。 そして、天根が部屋から出て行くのを横目で見ながら。 桔平はまた黒羽の隣りにそっとその身を横たえた。 まぶたが静かに閉ざせば、そのまま浅い眠りにすとんと落ちていく。そしてすぐに始まる、ゆっくりとした穏やかな呼吸。 ……ホント、神業的寝付きの良さだ……! 天根は、桔平への尊敬の念を新たにした。今までになく激しく尊敬した。 そして。 バネさんが橘さんと仲良くしたいと思うのも、もっともだ!だって橘さんはこんなにすごい人だもん!といたく納得した。 「あ、天根くん。」 「杏ちゃん……!」 廊下に出るなり、足早に杏の元に歩み寄る天根。手の中のカメラを杏にぐいっと押しつけて。 「温かいよ。何、このカメラ……?」 杏にちょっとだけ不審がられながら。 「あのね、俺が腹で温めてきた。」 律儀に状況を説明しつつ、杏の手をにぎにぎと熱く握りしめ。 「橘さんは……蹴られたんじゃない……バネさんと一緒……!」 意味の分からない報告をした。 「あのさ、天根くん……もう一度、説明してくれるかな?」 「うぃ。」 天根は深く頷いて。なるべく分かりやすく説明をやり直す。 「あのね……俺、部屋から出るとき……橘さんを起こしちゃったんだ。」 「え?じゃあ、写真、ばれちゃった?」 「それは平気……腹で温めたから。」 杏は天根の意味不明な日本語で、およその事態を把握したらしい。生暖かいカメラに一瞬目をやって、それから話の続きを促すように小さく頷いて見せた。 「でね。……橘さんね、俺に蹴られたんじゃなくてね……バネさんとね、一緒に寝たくてね……自分から布団移ったって言ってたの。」 そして、天根は目をキラキラと輝かせる。 良かった……!橘さんのコト、俺が蹴っ飛ばしたんじゃなくて……!俺が蹴落としたんじゃなかった……ああ。ホント、良かった! 天根の感動の理由は、もちろんその一点である。 しかし。 杏の感動はもっと激しかった。一瞬、目を見開き、それから何度も瞬きをして。天根の手を強く強く握りかえし。 「お兄ちゃん達……幸せになれると良いね……!」 少し涙ぐんだようにさえ見える目元に、天根はびっくりした。 でも、確かに橘さんもバネさんも幸せになれたら良いなと思ったので。 天根は素直に頷いてみた。 「うぃ。」 「たとえ、お兄ちゃんたちの選んだ道が辛くて大変なものだったとしても、私たちはずっとお兄ちゃんたちを応援しててあげようね……!味方でいてあげようね……!」 声を震わすように言葉を続ける杏に、天根は狼狽えながら。 確かに橘さんやバネさんが、辛かったり大変だったりするときには応援したいし、俺、絶対ずっと味方だもん、と思ったので。 天根は素直に頷いてみた。 「うぃ。」 優しいスズメのさえずりが聞こえてくる。 「私、もう起きるけど、天根くんは?」 「まだ寝る。」 「そう。じゃあ、また後で。」 「うぃ。」 凛と冷たい空気の向こう。 朝の気配はゆっくりと橘家を包み込んでいた。
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