もっと高く飛べたら。

 森が何かを考えているコトには気付いていた。
 こんな風に俯いて考え事をしているときには、こいつ、ろくなこと考えてない。きっと天根が怖そうだとか、天根が怖そうだとか、そうじゃなきゃ、天根が怖そうだとか、そんなコト考えているに決まってる。こいつのことだから、口に出しては言わねぇけど。
 あーあ。全く、しょうもねぇな。森はびびりで。俺がついててやんないとな。マジで泣きそうだかんな。
 そう思いながら、内村は空を見上げた。日は少し傾いて、風も冷たくなり始めている。冬だもんな。暮れるの早いよな。
 それからぐるりと辺りを見回して。
 桔平が黒羽にヘッドロックをかけられて、それをすんでのところで避けながら、思いっきり足払いを喰らわせているのを目にした。
 うわ。楽しそう……!
 そうだよ。最近、忘れてたけど、橘さんも結構強いんだよな。喧嘩!
 良いなぁ!俺も混ざりてぇ!
 考えるよりも前に体が動いていた。内村は、小さく跳ね上がるようにして、黒羽の背中目がけて体当たりをした。バランスを崩しかける黒羽。

「おっと!あぶねぇ。あぶねぇ。」
「へっへ〜。黒羽さん!油断してたっしょ!」
「何言ってんだよ。俺のバック取るのは百年早いぜ!!」

 身構える内村の脇腹を、黒羽の長い腕が捕らえる。
「喰らえ!くすぐり地獄!!!」
「わっ!」
 その瞬間、内村の脳裏からは森の存在は完全に消え果てていた。
 黒羽の腕を逃れて、上手く背後に回り込み、跳び蹴りを食らわすこと。それだけしか、内村の頭の中にはなかったのである。
 だから。
 天根がいつの間にか、森の隣りに居て。
 森が天根に懸命に話しかけていることには。
 すぐ横で笑いながら二人の暴れっぷりを眺めていた桔平が、ふと眉を上げるまで、気が付かなかった。

「あれ?森……。」
 桔平の視線を追って、黒羽の手が止まる。内村もまた同じように視線をたどり。
「あー。」
 ちょっとだけ後悔した。森が引きつったように笑っている。あいつ、怖くても嫌でも、絶対そういう風には見せないんだよな。我慢するんだよな。俺だったらできない。嫌いなやつにはあんな風には笑えない。びびりで情けないけど、森のああいうトコって、ちょっと偉いかもしれない。
 内村を捕らえていた黒羽の腕が、自分のコートのポケットに戻される。少し首をかしげるようにして。
「森のやつ、ダビデみたいなのやっぱ苦手か?」
 心配そうに尋ねた。
「森ってでかいやつ、怖いんすよ。びびりっすから。」
 視線を森から離さずに、内村が答えれば、一瞬桔平は困ったように黒羽の顔に目をやったが、黒羽は気にする様子もなく。
「じゃあ、可哀想じゃねぇか。ダビなんかにまとわりつかれちゃ。しっかし。ダビもよ、森があんなに嫌がってるんだから気付けっての!」
 と、不満げに口をとがらせ。
「……天根もお前に言われたくはないだろうな。」
 桔平の苦笑を呼び起こす。
「まぁ、森の場合、怖いといっても人見知りみたいなモノだから、心配するな。あいつはきちんと相手の良いところを見つけられる冷静なやつだ。」
「ふーん。でもよ。可哀想だぜ?」
 呟いて。
 黒羽はゆっくりと森たちのいる方に歩き出す。

「困っていると見たら、放っておけない。黒羽のまっすぐなすごいところだな。」
 すっと姿勢を正して、桔平が黒羽の後ろ姿に低くささやく。
 着物姿の桔平は、いつも以上に凛として、男らしくて。
 こんな風に正面から、自分の惚れた相手を褒められる男って格好いいな、と、内村はちょっと憧れた。俺も将来、万が一男に惚れたら、こんな風に渋く決めてやろう。だけど、どうせ惚れるなら、やっぱ女のが良いかな。女褒めるときもこんな感じで良いのかな?
「そうっすね。黒羽さんは格好いいっすよね。」
「ああ。」
 視線は黒羽から離さないまま、桔平の口元が優しく微笑みの形を結ぶ。
 良いなぁ。もしかして男に惚れるっての、なんかすげぇ良くねぇ?
 内村は桔平の横顔を見守りながら、ちょっとだけ二人の関係を羨ましく思った。

 そのとき、視界の端で何かが動いた。慌てて視線を向ければ、黒羽の長い足が空を切り裂いて。
「ネタでごまかして……嫌いなものを森に押し付けるんじゃねえ!」
 鋭い声と同時に、天根の巨体が吹っ飛ぶ。
「おい!」
 桔平があきれたように小さく声を掛けたが、黒羽には届かなかったらしく、そのまま天根を踏みつけて、激しい突っ込みの言葉を浴びせている。
 わぁ。森のためってか、黒羽さん、すげぇ楽しそう……!
 そっか。ああやって使うんだな。跳び蹴り!
 内村は思い出していた。クリスマスの日に教わった、跳び蹴りの極意というやつを。
 ああ。やっぱ理論も大事だけど、実践あるのみだぜ!黒羽さんの完璧な蹴り、今日こそ絶対盗んでやる!

 森と天根が二人仲良く野菜を食べ終えて、ようやく一息ついて。
 天根が下らないコトを言うたびに、黒羽が激しく突っ込んで。それを見て、森がくすくす笑う。
 なんだよ。もう怖くねぇのかよ。森は。
 ちょっとだけ拍子抜けしながら、内村は森のそばに歩み寄る。
 正確には黒羽のそば。
 もっと正確には天根のそばに。

 そして。
 内村は待つ。その一瞬を。
 しかし、待つ間もなく、それは訪れた。
 立ち上がった天根が辺りを見回しながら、ぼそっと口を開いたのである。
「……寺がすいてら……。」
「くだらねぇんだよ!!!」
 げしっ!げしっ!!
 黒羽の跳び蹴りが天根の背に炸裂するのとほぼ同時に、内村の跳び蹴りも天根の腰に決まった。
「……っ!!」
 さすがに天根もバランスを崩して転びかけ。
「こら!内村!!」
「う、う、内村?!」
 桔平と森の咎めるような声が聞こえる。
「おっし!内村!良い感じだぜ!」
 着陸態勢からゆっくりと身を起こすと、黒羽の手のひらが目の前にあり。
 ぱしっ!
 と、二人は軽くハイタッチをする。
 しかし、けほっと小さく咳払いをして立ち上がった天根が、首を振って。
「でも……少し遅い。あと、蹴る位置が低すぎ。」
 だめ出しをした。

「低すぎって、仕方ねぇだろ!俺、背が低いんだから!」
「違う……間合いが悪い。もっとタイミングをはかれば、ちゃんと良い位置に決まる。バネさんみたいに……。」
 真剣な眼差しで、人差し指を立てて解説する天根。
「お、おう。」
 つい気圧されて、内村は頷いた。
「良い?内村。」
「おう。」
「内村京介の誕生日は今日すけ?」
「んなわけあるかっ!!!」
 すかっ!!
 勢いよく決めたはずの跳び蹴りが、今度は軽くかわされて。

「ダメダメ。まだ遅い。」
 哀しげな目で、天根がまただめ出しをする。
 いつの間にか黒羽は森を連れて、桔平の横に戻ってしまっていた。
 だが桔平も黒羽も、内村&天根の漫才練習をにこにこと見ていてくれて。

「俺がボケる体勢に入ったら、内村は突っ込む体勢に入らなきゃダメ。……俺のボケを聞いてからじゃ遅い……。」
「なるほど!」
「じゃあ、もう一度……。」
「良し!」
 内村はやる気満々で帽子を深くかぶりなおす。

「と、思ったけど……やっぱやめ。」
「何でだよっ!!」
 ばしっ!!!
 今度は完璧に決まった。
 一瞬、バランスを崩しかけた天根が、嬉しそうに振り返り。
「完璧……!」
 内村に握手を求めてくる。
「おう!コツ、掴んだだろ?俺。」
「うん。素敵な突っ込みだった……!」

 二人の少年は、固く握手を交わす。そうだよ。跳び蹴りのタイミングはこうなんだ!不思議な充実感に満たされて、二人揃って、黒羽と桔平に走り寄ると。
「見てました?!俺、跳び蹴り、上達したっしょ?」
「内村くん、突っ込み上手……!」
 口々に報告する。
 黒羽が二人の肩を抱き込むようにぽんぽんと叩き、桔平は柔らかく小さく頷いた。
 内村が森を振り返って、にやりと笑って見せれば、森もとても楽しそうに声を立てて笑う。
 境内にはだんだん西日の色。
 桔平は空を仰ぎ、それからゆっくりと時計に目をやった。


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