覚醒して一番初めに気付いたのは。 肩に何か載っているということで。 あー。橘が俺に寄りかかって寝てる……。 そこまで思い至って、ようやく現状を把握する。 そうか、杏が紅茶を買いに行って、それを待っているうちに寝ちゃったんだな。 ふわりと掛けられた毛布。 たぶん、杏はもう戻ってきていて、気を利かせて寝かせておいてくれたんだろう。冷えないように毛布を掛けてくれて。 桔平を起こさないように、黒羽はそっと視線を動かして、杏の姿を探すが、見つからない。 台所の方で小さく音がするから、たぶん、今、台所で何かやっているのだろうな。 ソファに深く身を沈めて座っていると、肩越しに桔平の穏やかな寝息が、振動として伝わってくる。そっと心に染みるようなこのぬくもりは、毛布のおかげだけではなくて、桔平の熱もはらんでいて。 しかし。 胸のでかい美人のお姉さんとかに寄りかかられるなら嬉しいけども。 ダビデに寄りかかられたりしたら、蹴っ飛ばして、床に転がすところだけれども。 身長は自分よりも小さいにしろ、がっちりした橘に寄りかかられるのは、なんだか重たくて往生する。 かといって、蹴っ飛ばすのは可哀想な気がして。 なにしろ、いつも甘ったれているダビデならともかく、いつも凛として後輩たちを懸命に引っ張っている橘がこんな風に頼りにしてくれるのは。 嬉しいような、くすぐったいような。 とにかく、全然、嫌じゃないから。 日頃、橘の背負っている重荷を、たまには少しくらい引き受けてやりたかったし。 うたた寝の一瞬ぐらい、肩を貸してやることで、お前が少しでも楽になるなら、それくらい、おやすいご用だし。 無意識のうちに、微笑んでいる自分に気付く。 たぶん、こんななんでもないことで、優しい気持ちになれるのは。 こいつが本当に大切な友達だからで。 だけど。 重い。 そっと首を巡らせて桔平の寝顔をのぞき込む。 ちょうど、目の前にうつむいた額があって。 ちょっとだけ、ほくろを押してみたい衝動が心をよぎるが、それを懸命に押し殺して。 はぁ。よく寝てやがるぜ。全く。 穏やかな寝息に苦笑する。 どうするかなぁ。起こすかなぁ。 そう思いつつ、そっと桔平の寝息を数えていると。 かたり、と小さな音がして、リビングの扉が少し開き、隙間から、杏が顔を出す。 「杏?」 桔平の寝顔を見守っていた黒羽が静かに振り返れば、杏はにっと笑って。 「ごめん!おじゃましました!」 と、扉を閉めてそそくさと立ち去っていく。 「おじゃましましたって何だよ……!」 杏のリアクションに。 絶対、あいつは何かを誤解している!と、黒羽は頭を抱えた。 その動作故か、あるいは先ほどの声が届いたのか。 桔平が少し身じろぎをして、薄く目を開く。 「……どうした?」 おそらくは覚醒していない寝ぼけた声。 「あー。なんか、杏が誤解していたぜ?」 それでも、一応は事情を説明してやれば。 「……誤解?」 相変わらず、桔平は夢うつつの反応を返す。 「俺と橘のこと、なにか勘違いしてねぇか??」 黒羽の言葉を聞きながら、桔平はまたそっと目を閉じて。 「誤解するやつにはさせておけと、言っていたのは、お前、だろうが。」 つぶやくように答えながら、またすやすやと寝入ってしまう。 「……おい。」 そりゃ。 千葉に橘の彼女がいるっていう噂は、おもしろいから誤解させておけって言ったけど。 俺が彼女だってのは、ないんじゃないですか?橘サン? あるいは、橘サンが俺の彼女なんですか?? どうなの?それは。 「はぁ。」 勘違いした杏と、寝ぼけた桔平と。 この兄妹はホント何を考えているんだか。 ため息をつきながら、毛布のぬくもりの中で、途方に暮れていると。 「……くっ。」 寝ているのかと思っていた桔平が、小さく吹き出した。 「な、なんだよ!橘!!」 「いや、真剣に悩んでいるのがおもしろくてな。」 「からかってたのかよ!!起きてたのかよ!!」 「悪い。」 「ひでぇ男だな!!バネさんの純情をもてあそびやがって!!」 「そうか。もてあそばれていたのか。黒羽。」 ソファの背に額を押しつけるようにしてうつむいて、くつくつと笑い続ける桔平。 黒羽は憮然として、思いっきりその頬を引っ張ってやる。 「こら。やめないか。」 苦笑しながらも、桔平は怒る様子もなく。 「あ。お兄ちゃんたち、起きたね?じゃ、紅茶淹れるよ〜。」 今度は勢いよくリビングの扉が開き、杏が笑顔を見せた。 「悪かったな。せっかく買いにいってもらったのに、寝てしまって。」 「うふふ。寝不足だったの?」 杏の楽しそうな笑顔に。 絶対、こいつは何か誤解している!と黒羽は思ったのだが。 桔平は全く気にする様子もなく。 「確か、リンゴがあったな。食うか?黒羽。」 「……食う。」 このマイペースな兄妹に振り回されるのはどんなものかと思いながらも。 杏の手元のティーポットから柔らかな湯気が漂い出したのを見て、急に、喉が渇いていたことを思い出す。 もう、どうでもいいや。 たぶん、全部気のせいなんだ。きっと、杏は何も誤解などしていなくて。 普通に俺たちの安眠を妨害したことを詫びただけに違いなくて。 ああ。そうだ。そうなんだ。 黒羽は、そう信じた。そう信じようと思った。 「リンゴ、むけたぞ。」 台所から桔平が皿に盛ったリンゴを持って戻ってくる。 「おう!美味そうじゃねぇか。」 几帳面な桔平の性格を表すかのようにきれいにそろって並んだリンゴ。 カップを温めていた杏が振り返って。 「お兄ちゃん、ウサギは?!」 「ちゃんと作ってある。ほら。杏の分のは、ウサギ。」 そう言いながら。 ウサギの形にむいたリンゴを見せてやれば。 「黒羽さんの分は?」 不満そうに尋ねる杏。 黒羽と桔平は顔を見合わせて苦笑する。 「……黒羽もウサギがよかったか?」 「いや。……俺は普通で。」 杏の好意に感謝しつつ、普通にむいたリンゴに手を伸ばせば。 「いいよ。遠慮しなくて。黒羽さんにウサギさん、あげる!」 杏が大まじめに譲ってくれて。 結局、それに逆らえるわけもなく、黒羽はウサギの形にむかれたリンゴを手にとった。 そして。 「橘、お前、ホントに器用だなぁ。」 つぶやきながら、しゃりり、と一口かじる。 「美味いか?」 「おう。」 そんな二人の姿を。 杏はにこにこしながら優しく見守っていた。 |