振り返れば。

「バネさん……疲れた……帰ろうよ……。」
「うっせぇ。ダビデ。疲れたなら一人で帰れ!」
「やだ……一人じゃ寂しい……電車いっぱい乗るのに。」
「じゃあ黙って付いてこい。この辺なんだよ。絶対!!」

 グラウンドのフェンスの向こうから、聞き覚えのある声がして。
 橘はふと目を上げた。
 夏の終わりも近づくころ。
 真っ黒に日焼けした後輩達が、元気に声を上げて、黄色いボールを追いかけている。
 そんな土曜の夕方。

 ……なんで黒羽が不動峰の裏手を歩いて居るんだ……??

 地図に目を落として、一生懸命何かを探しているらしい黒羽と、その横で、じたばたと退屈をアピールする連れ。
 疲れたといっている割には元気そうだな。
 冷静に分析しながら、橘はフェンスに歩み寄り、通用口を開けて、声を掛ける。

「どこに行きたいんだ?」
「だから!さっきから言ってるだろっ!不動峰中学ってトコ!!」
「……今、初めて聞いたぞ。」
「全く。何聞いてるんだよ!……ああ。一体、どこにあんだよ。不動峰!!」
「……ここ。」
「……つまんねぇコト言ってるとしばくぞ。ダビ……あれ??」

 ようやく、地図から目を上げた黒羽。
 振り向き様に、声の主と目が合ってしまい。
「残念だが、俺は橘だ。」
 からかうように言ってやると、さすがに少し照れたように、黒羽は一瞬、言葉に詰まり。
「ど、どこから湧いて出た?!橘?!」
 すごく失礼なリアクションをした。
「そこからだ。」
 グラウンド横の通用口を指さして、橘はすごく真っ当なリアクションを返す。
「そうか……。相変わらず直球勝負なリアクションだな。お前。」

 久し振りの再会。というほどでもないのだが。
 こんなところに黒羽が現れるとは思っても居なかったので、橘は黒羽の様子をまじまじと眺めてしまう。
 だが、気が付くと、黒羽の連れも、彼の背中に張り付いて、胡散臭そうに橘を見ていて。
「バネさん……?」
「ああ。こいつが不動峰の中三の橘だよ。」
「橘……さん。」
 まるで橘の噂をさんざん聞いているかのように、天根は彼の名を反芻する。
 橘が急に居なくなったコトを気にしてか、不動峰の後輩達もわらわらと集まって、フェンス越しに様子を窺い始めた。

「ねぇ、バネさん。この人、タチさんなの?バナさんなの?」
「ムリに省略すんな!!普通に呼べ!!普通に!!」
 どがっ!!
 橘が後輩達に視線を移していたほんの一瞬の間に、黒羽の回し蹴りが炸裂する。
 なので、橘は見てしまった。
 不動峰の二年生達が、六角漫才の衝撃に目を見開いてフリーズしたコトを。
 怖い人が来た!とでも思っているのだろうか、恐がりの森などは内村の陰に隠れようと必死だった。
 内村の方が小さいんだから、隠れようとしてもムダだぞ。森。
 橘は心の中で優しく教え諭しながら、黒羽に向き直る。
 しかし不動峰の子供達の動揺に気付いた様子もなく、黒羽は微笑んで、後輩を紹介した。

「で、こいつが俺の後輩の天根。ダビって呼んでやってくれ。」
「アマネダビって言うのか?」
「……違う……。天根が苗字。ダビは綽名……。」

 もちろん、「ダビ」という名前だけは黒羽から何度も聞いていたが、フルネームまでは知らなかった。そんな橘の意図せぬボケに黒羽は、橘の肩をばしばし叩いて。
「天根ダビって!!ありえねぇ!!」
 と、大喜びする。

 黒羽にばしばしと叩かれながら。
「橘さんに……なんて失礼なやつ……許せないよね。ってか、誰だよ。あいつ。」
 伊武のぼやきスイッチが入ってしまったコトに気付いた橘。
 確かに今まで、俺にこんな派手なスキンシップを図るやつは居なかったからな。
 そう思いつつ。
 橘は、後輩達を振り返る。
「こいつは、六角中の中三の黒羽。で、こっちは中二のダビだそうだ。」
 後輩達のあからさまな警戒感をぬぐいさろうと、来訪者二人を丁寧に紹介してみるが、どうも彼らは宇宙人に見えるらしく、反応は芳しくない。
「で、こっちは俺の後輩で、全員二年生だ。あっちから、森、内村、石田、桜井、伊武、神尾。よろしくな。」
 黒羽はにこにこと全員の顔を見回して。
「よろしくな〜。」
 と笑った。まぁ、顔くらいは見覚えがあるかもしれない。
 あれだけ大会会場ですれ違ったのだから。

「で、今日はどうしたんだ?」
「いや、オジイにラケット注文した人がいてさ。それの配達。オジイは宅配便とか信頼してないから、客が取りに来るか、俺たちが届けるかなんだよ。」
「ほぉ。大変だな。」
「そうでもねぇよ。良い小遣い稼ぎだし!でな、この近所に来たからさ、ついでに、不動峰寄ってみたわけ。土曜は部活だって聞いてたし。ちょっと混ぜてもらって、打ちたくてさ。」
 笑いながら、背負っていたラケットバッグを指さして。
「なるほどな。」
 相槌を打つ橘の声にかぶさるように、天根が呟く。
「全然、ついでじゃない……30分も歩いたじゃん……。」
「うるせぇ!文句言うな!!!」
 天根の愚痴に、間髪入れず黒羽の蹴りが炸裂する。
「痛い……。」

「痛い、じゃねぇよ!」
「バネさんは橘さんに、逢いたい……あ、痛い。……ぷぷ。」
「くだんねぇコト言うな!!」
 びしっ!!
 今度は跳び蹴りが見事に決まって。
 橘はくすり、と口元に笑みを浮かべる。

「陽気で楽しいな。お前の後輩。」
「陽気じゃねぇよ。こいつの場合、もう、病気。」
「病気、か。はは。それはひどいな。面白くて良いじゃないか。」
 橘がこんなに上機嫌に笑っているところなど、そうそうお目にかかれない。
 フェンスに張り付いている後輩達は、少しだけ、不安そうな目をしてお互いを見交わした。

 その目配せに気付いて。
 ああ。悪ぃコトしたな。
 今度は黒羽が微笑む番だった。
 自分たちの先輩がよその後輩褒めるなんてさ。
 そりゃ、気分良くはねぇ、よな。

 自分にも、尊敬する先輩が居たから。
 彼らの気持ちは、よく分かる。

「そっちの後輩の方がさ、なんか素直そうで、可愛いじゃねぇか。」
 黒羽は、フェンスに近づいて微笑んだ。
「素直っていうか、まっすぐで不器用なやつらだよ。」
 不器用、はお前のことだろ、橘?
 黒羽はそう言いかけて、その言葉をぐっと飲み込んだ。
「あいつらのコト、お前がしょっちゅう自慢してるの、分かる気がするぜ。」
「自慢なんか、してるか?」
 橘が振り返ると、彼らはすっと背筋を伸ばす。
 そう。自信を持って良い。
 お前らの橘さんは、お前らのこと褒めちぎってるんだぜ。しょっちゅう。
「可愛いよな。ホント。」

「俺よりも……あいつらの方が良いの?バネさん……。」
 背中越しに拗ねて呟く天根の声に、ぐしゃぐしゃと頭を撫でてやりながら。
 黒羽は橘の横に並んで。

「なぁ、中入れてもらって、ちょっと打ってって良いか?」
「ああ。」
「サンキュ、橘!」

 黒羽は満面の笑みで振り向いた。
「よっし。行くぜ、ダビ!!」
「うい!バネさん!」

 橘も、いつもの凛とした笑みを湛え、後輩達を振り向く。
「お前ら。六角の二人に、不動峰の底力を見せてやれ!」
『はい!!橘さん!!』

 通用口をくぐって、グラウンドに足を踏み入れるとき。
 黒羽と橘は、顔を見回せて、小さく微笑んだ。
 ひっきりなしに上がる、後輩達の元気なかけ声。
 あいつらがいるから、自分はもっと行ける、と思う。
 そうなんだ。
 振り返れば必ず、あいつらがいるから。
 懸命に、追っかけて来てくれるから。
 俺たちはもっと、上を目指して走り続けられる。

「さて。一暴れすっか!」
「お手柔らかにな。」

 さぁ。
 振り返れば、あいつらが待っている。



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