落花生の食べ方。

「他にラーメン、食いに行く奴、いるか?」
 冬の昼は短い。あっという間に陽光が西日の色に変わる。
 まだ時計を見れば三時を過ぎたばかりだというのに、なんだか夕方のように心せかされて。汗を掻いた体が、少し油断するとすぐに冷えてしまいそうになる。
 もう、帰ろうか。
 そんな言葉を、誰かが口にしそうな気配の中。
「腹減った〜。」
 誰に聞かせるともなく、つぶやく黒羽。その声を桜井はしっかりと聞きつけて。
「じゃあ、ラーメン、行きます?」
 昨日の約束を思い出し、お勧めのラーメン屋に行くことを提案した。しかし、さすがに昼飯をしっかり食べたその後で、ラーメンまで食べてやろうなどという気合いの入った者はそうそういないもので。
「俺も行こう。」
 迷わず橘が頷いたあと、しばらく考えて石田も手を挙げ。
「行く。」
 と応じたが、それ以外のメンバーはみな、首を横に振る。
 そこで結局、黒羽、橘、石田、桜井の四人で、ラーメン屋に移動することとなった。

「ここっすよ。」
 人に案内されない限り、曲がらないような小さな角から横路に入ると、驚いたことに飲食店が数軒、軒を連ねる細い通りがあって。
 その三軒目、小さな看板に堂々と踊る「本場仕込み本格とんこつラーメン」の文字。
「期待できそうだな。」
 心なしか橘の声も弾んで聞こえる。

「東京ってのは、すげぇな。こんな角曲がっても、いっぱい店があるんだからよ。」
「千葉はそうじゃないんですか?」
「千葉ってか、うちの辺りはな。一つ角を曲がったら、海に落ちるぜ?」
「ホントっすか?!」
「……石田、騙されてやることはない。いくらなんでも、そんなに田舎じゃないぞ。黒羽の家のあたりは。」

 人の良い石田と黒羽の、漫才にならない漫才を聞きながら、桜井は通い慣れた店を覗き込む。
「大丈夫です。四人、座れます。」
「座れないときがあるのかよ?」
「昼時とか、結構混んでますよ。」

 桜井の声にいちいち感心したように目を見開いて。
 辺りを興味深げに見回しながら、黒羽は大人しく席につく。四人掛けのテーブルの奥に石田と桜井。手前に黒羽と橘。
 そして四人分のとんこつラーメンを頼むと、店内に並ぶお品書きの札を眺め。
「なぁ。」
 黒羽が口を開く。
「どうした?」

 一瞬、黒羽は言葉を選ぶのにためらったように見えたが。
 小さく瞬きをして、切り出した。
「とんこつラーメンのとんこつって豚の骨だよな?」
「ああ。」
「豚の骨って……食えるのか?」

「は?」

 橘が答える前に、素で聞き返してしまったのは、桜井だった。先輩相手にこのリアクションは失礼だろう、と焦ったのは本人だけで。黒羽は全く気にする様子もなく、橘は笑いを堪えるのに必死であった。

「入ってるんじゃないのか?豚の骨。」
「入ってない。だしをとるんだ。豚の骨で。」
「……だしか!」
 少し安心したように息をつく黒羽。

「お前、ずっと豚の骨が入っているって信じていたのか。」
「いや、俺が喰ったことがあるやつには入ってなかったんだけどよ。サエのやつが、本場のとんこつラーメンは具が豚の骨なんだよって言ってたからさ。」
 テーブルを叩いて、懸命に主張する黒羽に、橘は眼を細めて。
「信じていたんだな。」
「だってネギラーメンにはネギが入ってるじゃねぇか!」
「確かになぁ。」
 そして、堪えきれない笑みがこぼれ。
「笑うなっての!!すげぇなって思ってたんだよ!橘も桜井も、豚の骨、ばりばり食うのかなって!」
「杏もか?」
「おう。杏だったら、豚の一頭や二頭、頭からばりばり行けそうじゃねぇか。」
「伝えておこう。」
「待ってくれ!!伝えないでくれ!頼む!!」

 橘がこんなにくつくつと幸せそうに笑い続けるのは。
 たぶん、そう滅多に見られる光景ではなくて。

「じゃあ、ちょっと待てよ。橘。そんなら、メンマはどうなんだ?」
「メンマ?」
「あれは、割り箸煮込んだやつじゃないのか?」
「……メンマはタケノコだ。」
「……マジ?!」

 石田は黒羽の言葉にびっくりして、テーブルの端のケースに詰まっている割り箸を凝視した。
 確かに大きさとかは似ているけど。それを信じるのはないでしょう。黒羽さん。
 喉の奥でくつくつ笑うのは、橘だけではない。それは桜井も同じで。
 石田だけは、びっくりした目で、黒羽と割り箸を見比べている。

「それなら黒羽さん。」
 桜井がからかうように口を開く。
「あー?」
「うぐいすパンには鶯は入ってないって、知ってました?」
「ん?……待てよ。」
 腕を組んで思案顔の黒羽。
「それってことは、鶯でとっただしが使われてるのか?うぐいすパン。」
「それはない。」
 声が震えて答えられない桜井にかわり、小さく否定する橘。

 薄暗い店内。客は彼らの他に一組のサラリーマンがいるだけで。
「じゃあ、なんだ、あれは嘘か?レンコンが蓮の根っこだっての。」
「いや、それは正しい。」
「じゃ、えっと、こんにゃくが芋でできてるってのは?」
「それも正しい。」
「ポン酢はどうだ?ポン酢はポンと酢を混ぜて作るってのは?」
「ポンとは何だ。黒羽。」
「ポンって……何だ?」

 次から次へと言葉を連ねる黒羽。
 たぶん、彼は今まで、佐伯から教わった豆知識に「マジかよ?」と思いながらいろいろ騙されていたのだろう。
 カウンタに座り、背中を向けているサラリーマン達の表情は見えないが、肩を震わせて笑っているのが分かる。
 桜井は仕方ないよな、と思った。こんな変なことをしゃべりまくっている連中がいれば、そりゃ聞き耳も立てたくなる。笑いたくもなる。

「……ややこしいのな。食い物って。」
「まぁ、確かに正体不明のモノも多いがな。」
 黒羽は好奇心の塊で。
 だけど、いろいろ騙されやすい人で。
 そんな単純だけど前向きなところは、なんだかどうしても憎めなくて。
 さかんに唸りながら、黒羽は「そうか〜。なるほどな〜。」などと呟いている。

 そして。
「じゃあよ。桜井。」
 まっすぐな目で、黒羽が桜井を見る。

「ピーナッツってどんな風になってるか、知ってるか?」
「え?」
 今度は反撃らしい。確か落花生は……千葉の特産物で。
 えっと。
 桜井は、以前、テレビで収穫風景を見たことを思い出す。
「なんだか根っこにぶらさがってるんですよね?」
「ご名答!」
 上機嫌に、黒羽は頷いて。

「じゃあ、もう一個、問題な。」
「はい。」
「ピーナッツって、何で食べるのが一番正しい食べ方だ?」
「え?」

 ピーナッツの正しい食べ方?
 えっと。いつもは手で食べるけど。
 黒羽がすごく楽しそうに笑うので。
 たぶん、手で食べるなんて答えるのは不正解に違いない。きっと難しい問題なんだ。
 橘の表情を見ても、どこか当惑した様子で、小首をかしげていて。
 一体、なんだろう?箸?それともフォーク? いや、フォークじゃ刺さらないし、食べにくい。スプーンもなんだかオカシイし。

「降参か?桜井?」
「えっと。」
「あと十秒な。」
 大げさに時計を見ながらカウントダウンを始める黒羽。桜井は諦めて、肩をすくめた。
「降参しますよ。何で食べるのが正しいんです?」

 店の奥から、ラーメンが運び出される。
 石田が静かに人数分の割り箸をケースから抜き取って、各人に配って。
 店員ががちゃんと、勢いよくラーメンを置く。
「へい、お待ち!」

 両手でぱちんっと、割り箸を割って、黒羽は満面の笑みで答えた。
「すっげぇ当たり前の答えだよ。」
「当たり前の?」
「……決まってるだろ?ピーナッツは……口で食べるのが一番正しい。」
 目を上げてそのまま言葉を失う桜井に、黒羽はにぃっと笑いかける。
「簡単だろ?鼻で食うより。」

 橘がくつくつと額を抑えて笑っている。石田は自分の鼻をそっと触って何かを考えているようだったが、桜井は石田に何を考えているのか聞くのはよそうと思った。
「いただきま〜す!」
 一瞬だけ静まりかえった店内に、黒羽の幸せそうな声が響く。
 本当に美味しそうにモノを食べる人だ。
 いつでも全力で、いつでも楽しそうに。
 桜井はそっと目を細めて、黒羽を見、自分の割り箸を片手で器用にぱちりと割り分けた。


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