しりとり。

 伊武&神尾コンビがゲームを終えて。
「次、俺らっすから!!」
 内村と森が交代でコートに入る。
 日は高く上っているけども、まだ正午になるには時間があって。
「このままもう一勝負、できるか。黒羽。」
「余裕、余裕!」
 景気よくラケットを振り回しながら、黒羽は内村・森コンビにウィンクをする。

「……う。」
 内村に隠れるようにひっそりと立つ森は、黒羽のウィンク攻撃にたじろいで、そのまま家に帰ってしまいそうな勢いだったが。
「おいおい。びびってるんじゃねぇよ。」
 苦笑しながらも、一応は気遣ってくれる内村を捨てて帰るわけにも行かず、森は一生懸命、笑おうと思った。
「やっぱり橘さんと黒羽さん、強いね。」
「当たり前じゃねぇか。橘さんはもちろんむちゃくちゃ強いし、黒羽さんは古豪六角でダブルス究めた人だぜ?」
 内村は帽子を深くかぶり直し、森の肩をぽ〜んと叩く。
「だけどよ。コンビ歴は俺たちの方が断然上だろ!」
「そっか。そうだよね。」
 そっと相手コートに目をやれば、もう一度黒羽がウィンクを飛ばしてくる。
 ふるふるふる!と頭を振るって、森は気合いを入れようとした。
 隣のコートでは案の定、黒羽が橘に叱られている。

「破廉恥な嫌がらせをするな!森が引いているだろうが!」
「破廉恥な嫌がらせってなんだよ!俺は森と内村を愛おしく思えばこそだな!」

 ぶんぶんと肩を回して、内村が舌なめずりをする。
「腕が鳴るぜ。」
 内村ってば、橘さんの顔面狙うつもりだろうか??
 ちょっとだけ森は、相方のコトも心配した。

「さて、そろそろ始めようか。桜井、ジャッジを頼むな。」
 くじびきの順番待ちで、さっきまで打っていた石田と桜井も、一段落したらしく、試合見物に戻ってきて。
 たまたま目が合っただけなのか信頼の証なのか、橘に頼まれて、桜井は審判台に登った。
 そして、静かに視線を相手コートへと移し、サーブ権を決めるべくラケットを握り直す。
 そのとき。

「なぁ、普通のテニスだけだとつまんねぇからさ。ちょっと変則ルールでやらねぇか?俺ら、即席コンビだから、まともなダブルスできるわけじゃねぇし。」
 黒羽がのんびりと提案した。
 変則ルール?
 確かに森と内村はダブルス歴が長い。作戦も合図もしっかりと決めてある。
 それに比べて、今日いきなりコンビを組んだ黒羽たちは少し不利かもしれない。
 内村は森を見、異論はなさそうだな、と見て取ると、深く頷いた。
「いいっすよ。ハンデ、あげますから。」
「サンキュ。内村。」
 にっこりと微笑んで、黒羽は人差し指を立て。
「じゃあさ、しりとりテニスにしようぜ!」
 と、意味不明な提案をした。

「何だ?そのしりとりテニスってのは。」
「あー?知らねぇの?橘。しりとりしながらテニスすんだよ。ボールを打つとき、打つやつがしりとりを繋げなきゃいけないんだ。」
 ごく普通のルールであるかのように、黒羽はしりとりテニスを語る。
「六角だと、みんなできるんだけどな。」
「そうなのか……?」
 12月の風は冷たく、乾ききった枯れ葉を巻き上げて吹いてゆく。

「橘、お前、しりとり得意か?」
「得意かどうかは分からんが……最近、やっていないな。」
「何だよ。使えねぇ。」
 ふん、と鼻を鳴らす黒羽。
 森は、しりとりを最近やってないせいでばかにされるなんて、人生不条理だと思った。
「だけどよ。任せておけよ。俺、しりとりテニス、すげぇ得意だから!」
「得意なのか。」
「おうよ!ダビと二人で、しりとりの特訓とかしてっからな!!サエと樹ちゃんには負けたことねぇから!」
「そ、そうか。」
「だから、橘が少しくらいしりとり苦手でも、しりとりのバネさんに任せておけば平気だからよ。」
 森は、しりとりの特訓なんて下らないコトをした人を初めて見たと思った。
 橘はといえば、黒羽は「子守のバネさん」だったんじゃなかったっけ?と少しだけ新しい称号に面食らっていた。ちなみに初めて会った日には「無敵のバネさん」と名乗っていた気がするんだが。いくつ称号を持って居るんだ。この男は。

「じゃ、俺から行くぜ!しりとりっ!!」(黒羽)
 力強い音とともに、サーブが空気を切り裂いて飛ぶ。
「リスっ!」(森)
「すりっ!」(黒羽)
「り?り?えっと……リターンっ!!」(内村)

 内村の当たり損ねのような打球を軽くラケットに当てて高く打ち上げ、橘は自ら手で、ぽふっと受け止める。
「なるほど。これでうちにポイントが入るわけか。」
「そういうこと。」
 しりとりに負けたら、いくら良い打球を打ち返しても、負けは負け。
 しりとりが続いていても、テニスの勝負に負けたら、それも負け。
 同時に二つのラリーを続けないといけない。
 それがしりとりテニス。

「さて、続き、行くぜ!祭りっ!」(黒羽)
「リズムっ!」(内村)
「虫かごっ!」(橘)
「うわっ!!」(森)

 しりとりテニスに慣れている分、黒羽は余裕があるように見えた。しかし、だからと言って、橘を狙ってみたところで、橘は問答無用に強いので。
「いつも通り行こうぜ?森。固くなるなよ。」
「うん。内村もな。」
 声を掛け合うものの、いい手が思い浮かぶわけでもない。

「もういっちょ!香りっ!」(黒羽)
「理科っ!」(森)
「狩りっ!」(黒羽)
「力士っ!」(森)
「尻っ!」(黒羽)
「り、り、うわっ!」(内村)

 黒羽・橘ペアのサービスゲームが終わるころには、皆が気付いていた。
 黒羽は「り」攻め作戦をとっている、と。

「やべぇな。『り』から始まる言葉なんて、あんまりないぜ。」
「……うん。」
 額の汗をぬぐいながら、内村は森を振り返る。森は内村を見ようとはせず、静かに黒羽たちのコートに視線を泳がせていたが。
 小さく頷いて、呟いた。
「大丈夫。内村。手ならあるよ。」

 一瞬、相方の言葉の意味を理解しかねたかのように内村は首をかしげ。
 そして、ぱっと目を大きく見開いた。
「マジかよ?!すげぇな!」
「うん。俺、ホントは少しだけ……しりとり、得意なんだ。」
「そっか!そっか!さすがは森だぜ!で、どんな作戦だ?!」
「……うん。もう少し、このままで試合を続けよう。なるべく黒羽さんを狙って、俺がボールを返すから。俺が取れないときだけ取って。そのときは、『り』から始まる言葉を教えるから。」
「おお。分かった!頼むぜ!森!」

「じゃあ、行きますよ。リュックサック!」(森)
「栗っ!」(黒羽)
「理屈っ!」(森)
「釣りっ!」(黒羽)
「利益だっ!内村!」(森)
「オッケー!利益っ!」(内村)

 試合は続く。
 ひたすら、黒羽が「り」攻めを続け、森が果敢に打ち返す。
 いつの間にか、黒羽と森の二人でのラリーとなり。

「霧っ!」(黒羽)
「利子っ!」(森)
「栞っ!」(黒羽)
「利器っ!」(森)
「決まりっ!」(黒羽)
「リットルっ!」(森)
「瑠璃……っ!ちっ!」(黒羽)

 しりとりをしているのだか、テニスをしているのだか、さっぱり分からなかったが。とにかくラリーは続いて。

「やるじゃねぇか。森!」
「……黒羽さんこそ!」
 二人は熱く燃えていた。

「しりとり、好きだったのか?森は。」
「そうみたいっすね。俺も、初めて知ったんすけどね。」
 前衛二人が、こそこそと内緒話をしている間も、ライバル二人の戦いはとまらない。

 そして。
 「り」から始まる言葉が、ほとんどなくなったように思われたとき。
「内村。俺、やるから。」
 コート内をすれ違いながら、森が小さい声で宣言する。
 内村は大きく頷いて、信頼の気持ちを伝えた。

 ゲームは4−0。圧倒的に負けてはいたものの。
 テニスに負けたとしても、しりとり合戦には負けない。
 せめて、それだけでも。
 森の瞳には強い意志が宿っていた。

 ボールを、軽く握って、タイミングを見計らっていた黒羽。
 すっとその長い腕を伸ばし、ラケットを振りかざす。
「さて!そろそろ年貢の納め時だぜ!……鳥っ!」(黒羽)
 黒羽の放ったサーブが綺麗な軌道を描いて、森の手元に届き。
 キッと目を上げた森は、渾身の力を込めて、打球を返した。
「料理っ!!」(森)

 はっとして、目を見開く黒羽。
 そして、すぐににやりと笑い。

「やるな。森。しかし……」
 しっかりとした姿勢で、打ち返す。
「利尻っ!!」(黒羽)

 内村は、勝負あった、と思っていた。
 「り」攻めに「料理」で反撃した時点で、黒羽は崩れるだろう、と。
 しかし、黒羽はしっかりと打ち返してきて。慌てて森を振り返れば、森は動じる様子もなく、ラケットを構えていた。

「……利回りっ!!」(森)

 ぱーんっ!
 気持ちの良い音がして、森の打った打球が黒羽のすぐ横に突き刺さる。
 そして。

「やるじゃねぇか。」
 桜井がポイントをコールするより前に、黒羽はにやりと嬉しそうに笑った。
「……一矢、報い、ました、よ。」
 長いラリーのせいで、息切れがしているらしい森も、小さく笑って。
 試合が再開された。

 結局、試合は内村・森コンビの大敗ではあったものの。
 そして、その試合はまるきりテニスっぽくなかったものの。
 森と黒羽の間には、不思議な充足感が溢れていた。
 しりとりの戦いは、互角であった。いや、むしろ森が勝っていたというべきか。

「頑張ったな。森。」
 ぽん、と橘の大きな手が、頭上に下りてくる。
 ただ、しりとりしていただけなのに。
 橘さんが、褒めてくれる。
 それがくすぐったくて。

「六角ではよくこんな練習をしてるんすか?」
 ほとんどボールに触れなかったものの、汗をかいたらしい内村がタオルで顔をごしごし拭きながら尋ねれば。
「おうよ!」
 黒羽が上機嫌に応える。
「こういうのをやっとくとな。テニス以外のコトも考えなきゃいけなくて、視野が広がるわけよ。そうしたら試合んときに、結構余裕ができて、冷静にいろいろ判断できるってわけ。」
 それを聞いて、内村と森だけでなく、周囲に集まっていた中二たちは、一様に尊敬の眼差しを黒羽に送った。さすがは古豪。いろいろな工夫をしながら練習しているわけだ。
「なるほどな。」
 橘も納得したように腕を組む。たまには気分転換も兼ねて、こんな練習も良いかも知れない。

 しかし。
 間髪入れず。
「というのは嘘で。」
 黒羽は、にかっと笑い。
「試合んときは関係ねぇよ。試合になったら頭かっとして、ダメ。しりとり関係ねぇ。」
 あっさり、さっきの説を否定した。

「あのな……今、信じかけたぞ。俺は。」
「あはは。悪ぃ。」
「こいつらも、今、お前のことを尊敬しただろうに。」
「ははは!だけど、嘘教えてもしょうがねぇだろ?橘の後輩にさ。」

 声を立てて笑っているのは黒羽だが、心底可笑しそうにしているのは、実は橘も同じで。
 こういう光景を見せてくれるんだから。
 黒羽さんはすごい。
 たとえ、しりとりテニスなんていう意味の分からないモノを提案したり。
 そのためにしりとりの特訓なんかしたりしていても。
 黒羽さんはやっぱりすごいよ。
 俺だけじゃない、皆、そう思って居るんだろうなと考えながら、森は一歩下がって、静かにコートの隅に腰を下ろす。
 ホント、あの人はすごいよ。
 変な人だし、何考えているか分からないけど。

 静かに、しりとりのライバルの横顔を見ながら。
 森はまた、ふぅっと深い息をついた。
 見上げれば日は頭上に高く。
 そろそろお昼かな、と森は澄み切った空にゆっくりと白い息を吐きだした。


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