幸せな寝顔。

 やけに目覚めの清々しい朝、というモノがある。
 いつもなら睡魔と戦いながら、目覚まし時計を恨みつつ布団から抜け出して、やっとのコトで起きるのだが、今日はなんだかすっきりと目が覚めて。
 ああ。そうか。ここは橘の部屋だった。
 と、覚醒する。
 時計を見れば、まだ6時半にもなっていない時刻。
 昨夜、寝たのが結局、12時近かったから、まだ7時間も寝ていない。いつもなら眠いはずだけど、やはり「お泊まり」だから興奮しているんだろうか、やけに目が冴えて。

 横で静かに寝ている橘の顔を、上機嫌で覗き込んでみたりする。

 自分のベッドを黒羽に貸し与え、床に敷いた布団で寝ている橘。
 いつも家で布団を使っている分、たまにベッドで寝るのはわくわくするんだが、実は布団の方が寝心地が良いような気もして。
 せっかくの橘の厚意だったし、ベッドに憧れてないわけじゃないんだが。

 そういえば、橘より先に起きたのって初めてだな。
 そんな些細な事実にふと気が付く。
 お互い、日帰りで遊べるほどに家が近くないせいで、何度も一緒に寝たけども。
 いつも俺の方が後に寝て、後に起きてたよな。
 性格を表すかのように、きっちりと布団を掛けて、まっすぐな姿勢で眠っていた橘が、身じろぎをしてから、ゆっくりと寝返りを打ち、黒羽に背を向けた。

 相変わらず、寝相の良いやつだな。
 ってか、ホント、幸せそうに寝るやつだ。
 規則正しい寝息。
 あーあ。無防備に熟睡してやがるぜ。

 ベッドの縁に腰掛けて、部屋を見回してみれば、面白いモノも見あたらず。
 アイドルの写真とか、エロ本とか、ちょっとエッチなマンガとか、そういうモノはないのかね?橘サン。
 ベッドの下をのぞいてみても、本棚に目をやっても、これといって楽しそうなモノはない。
 ふぅっと息をついて、天井を見上げ、そしてもう一度ゆっくりと部屋を見回す。
 橘は。
 目が覚めたら、毎朝、こんな風景を見てるわけか。
 そんな事実に思い当たった途端、面白くもなんともない部屋の眺めが、なんだか少しくすぐったく感じられて。

 あーあ。ホント、こいつ、色気もなんもねぇな。俺のお気に入りのグラビアアイドルの水着ポスターでも持ってきてやれば良かったぜ。
 で、橘が起きる前に、貼っておいてやれば、きっとびっくりしたに違いない!
 黒羽は、起きぬけの寝ぼけた顔でグラビアポスターを呆然と眺めている橘を想像して、なんだか楽しくなってきた。

 だいたいさ、橘サンは真面目すぎだっての。
 背を向けて眠る橘の肩が、呼吸に合わせてゆっくり上下している。

 昨夜、後輩をとられたみたいで悔しいのかって聞かれて、マジでびっくりしていたよな。
 それから、間髪入れず、ムキになって言い返したりして、相変わらず負けず嫌いだったよな。
 それがお前だろ?
 去年見かけた、金髪で、世界中に喧嘩を売りたそうな目をしていた、九州二翼の橘桔平。
 あれもお前なんだろ?

 俺は、ダビがお前に懐いて、悔しかったけど。
 悔しいと同時に、なんかすごく嬉しかった。
 俺の大事な後輩が、俺の大事な友人を認めてくれた。それが嬉しくて。

 だから、お前も少しは嬉しかったのかな。俺に後輩が懐いてさ。
 あいつらはまっすぐにお前を追いかけてくるけど。
 それがお前の誇りであって、生き甲斐であって、すごく幸せなことには違いないだろうけど。
 お前一人で背負うには、ちょっと重すぎるんじゃねぇの?
 だから。
 たまには俺が一緒に背負ってやるさ。
 あいつらが嫌がらないでいてくれるなら、さ。

 ぽふ、と橘の眠る布団に下りる。
 橘が布団の端で寝ているおかげで、黒羽が一人座るくらいのスペースはあって。
 あぐらをかいて座れば、その振動に橘が軽く身じろぎをし。
 低い声で呟く。

「……もう少し寝かせろ……杏。」

 ……こいつ。
 完璧、寝ぼけてやがる……!

 黒羽は愉快で仕方がなかった。
 橘サンがこんなに油断するなんてな。
 たぶん、部屋に後輩を泊めたとしても、こんな寝ぼけた姿は見せないに違いない。
 その確信が、いかなる根拠から生まれているのかは、黒羽本人にも分からなかったが、やはりくすぐったいような幸せな気分が心に染みてきて。
 頬杖を突いて、また寝息を立て始めた橘の後ろ姿を、ふわりと見つめていた。
 ゆっくりと上下する橘の肩。
 その呼吸を数えているうちに。
「ふぁ。」
 なんだか急に眠気が戻ってきて。
「んー。」
 もう少し、横になっていようかな、と。
 黒羽はそのまま、ぱたりと身を横たえた。
 寝るつもりはない。
 ただ、少しだけ転がって……。
 ちょっとだけ、目を閉じて……。

 そして、8時近く。
「……なんでお前は、俺の布団で寝ているんだ。黒羽。」
 身を起こし、横に転がる友の姿に、橘は苦笑を禁じ得なかった。
「寝相が悪いにもほどがあるだろうが。」
 当の黒羽は、気持ちよさそうに豪快に眠りこけていて。

「全く。……お前は張り切りすぎるんだ。」
 適当にベッドから引きずり下ろしたような斜めの布団を、適当に羽織る黒羽に、ふわりと自分の布団をかけてやりながら、橘は独りごちる。
「……一晩で、あいつら全員を、手なずけて……。あの曲者揃いを全部、受け止めてくれるなんてな……。恐れ入るな。ホントに。」
 窓の外には小鳥の声。
 黒羽の幸福そうな寝顔を見ていると、起こすに忍びなくて。
 橘は、そっと布団を立った。

 石田達との約束まで、まだ二時間ある。
 小さく伸びをすると、橘は足音を殺して、カーテンの隙間から外をのぞく。
 なかなかのテニス日和、だな。
 振り返れば、黒羽はまだぐっすりと眠っていて。

「今日もあいつらのこと、よろしく頼むぜ。相棒。」
 静かにカーテンを戻して、橘はベッドに腰を下ろし、黒羽の豪快な寝相に小さく呟いた。


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