四月生まれ。

 今日のクリスマス会はとても楽しかったな。
 と、森は心から思いながら、じゃんけんに負けて皿洗いをする内村と伊武に積み重ねた皿を手渡した。
 ホント。楽しかった。
 ちょっと黒羽さんは苦手だけど、クリスマス会自体はとてもうきうきした。
 そう思いながら、リビングへ戻る廊下をゆっくりと歩く。
 神尾のはしゃぎ声がするけど、また黒羽さんと暴れてるのかな?
 森は正直に言えば、声やアクション、身長の大きい人が苦手だった。嫌いなわけではない。ただ、ちょっと怖いと思ってしまう。だから、黒羽は少し苦手なタイプで。
 橘さんの友達だし、悪い人じゃないのは分かっているし。
 みなで盛り上がるテーブルの片隅で、森はひっそりと座っているのが好きだった。神尾と伊武に挟まれていたおかげで、全く目立たずにすんだし。みんなの話を聞いているのは本当に楽しかったし。ラーメンって、ホント、いろいろあるんだな。俺、いつも食ってるのってなんだろう?醤油かな?塩?

 そのとき、彼は少しだけぼんやりしていたのかもしれない。
 桔平の名を呼びながらリビングから飛び出してきた黒羽に、激突されそうになって。
「うぉっと!悪ぃ!」
 黒羽は正面から森を抱きとめた。そして、そのついでに、森をぎゅっと抱きしめた。
「森、やっと捕まえたぜ!」

 黒羽の腕の中で。
 完璧に森はフリーズした。
 どうして良いのか、分からない。
 この激しい人は一体、何を考えて居るんだろう……。

 そのとき、台所から救いの声が届く。
「黒羽。森が嫌がっているだろう。離れろ。」
「あんだよ。嫌がってなんかいねぇだろ。なぁ?」
「……森はびっくりしすぎて動けなくなってるだけだ。」

 桔平の言葉に、黒羽は少し驚いたように抱きしめていた腕を緩め、森の顔を覗き込んだ。
「悪ぃ。嫌だったか?」
「え。あ。」
 嫌だったともそうじゃなかったとも言えず、森は俯いてリビングに駆け込んだ。
 やっぱり苦手だ。ああいう人。
 後ろから労るような桔平の声が追いかけてくる。

「森!黒羽はでかくても、お前と半年しか年が違わないんだから、そんなに遠慮することはないんだぞ!嫌なら嫌と言って良いからな!」
 そんなコト、言われても。
 先輩は先輩だし。大きい人は怖い。
 いつもだったらこんなとき、内村がそばにいてくれて。
 しょうがねぇなぁ、四月生まれのくせに森はびびりだもんなぁ、とか言いながら、心底呆れた顔しながら、絶対そばにいてくれて。
 だけど。内村は、黒羽さんの味方、だよなぁ。

「橘だって一ヶ月ちょっとしか、俺と違わないじゃねぇかよ!」
「まぁな。」

 リビングでは、石田と桜井が駆け込んできた森に、心配そうに近づいてくる。
「どうした?」
「べ、別に。」
 放っておいてくれたら良いのに。
 俺は別に、黒羽さんのこと邪魔しないから。俺のことも放っておいてよ。
 俯いて、リビングのソファに座り込んだ森。石田と桜井が顔を見合わせて、それからそっと森の横に腰を下ろした。
 よく考えたら、俺、石田のコトは怖くないんだよな。
 橘さんのコトだって、全然、怖くない。

「ん?」
「石田と……黒羽さんってどっちがでかいの?」
「う〜ん。……たぶん、俺かな?なんで急にそんなこと。」
「ううん。なんとなく。」

 変だな。俺。
 でも、怖いモノは怖い。どうか、黒羽さんがこれ以上、俺にちょっかいを出しませんように。放っておいてください。お願いだから。

 気が付くと、森は、黒羽のことなど忘れて、石田、桜井と三人で、普通に楽しくおしゃべりしていて。
 いや、正確に言えば、石田と桜井がしゃべるのを楽しく聞いていて。
 うん、やっぱり俺、こいつらと一緒なの、好きだな。
 森は改めてそう思う。

 リビングの片づけが終わった頃、どうしても食後にアイスを食べるんだと主張する黒羽を連れて、桔平が買い物に出かけ。
 遊び疲れた神尾がテーブルで眠そうにあくびをしながら、ソファの会話に耳を傾けていて。
 台所からは皿を洗う音と、伊武のぼやきが聞こえ。
 石田と桜井、そしていつの間にか混ざっていた杏の声。
 居心地の良い、不動峰の空気。
 森はソファの隅で、ソファを囲む全員の顔をゆっくりと見回した。

 そのとき。
 森以外のメンバーが、何かに気付いたように、はっと視線を上げた。
 森は彼らの目線を追って、その何かを確認しようと、背後を振り返りかけて。

「うぎゃ!」
 いきなり脇腹をくすぐられ、ソファから転落した。

「黒羽さん!」
 神尾の楽しそうな声。アイスを買って帰ってきたらしい。
「よっと!」
 転がり落ちた森に追い打ちを掛けるように、黒羽はさらにくすぐりを続ける。
「や、やだ!」
 身をよじって逃れようとしても、それはかなわなくて。

「黒羽……いい加減にしないか。」
 桔平の呆れた声。
 石田や桜井、杏が、少し心配している気配も感じて。
 俺は。
 いつもみんなに守ってもらって。
 かばってもらって。
 でも。
 俺、四月生まれで。みんなより少しだけ年上で。
 それなのに……。

「だって森ってば、俺のこと構ってくれねぇんだもん。」
「だからと言って……いい加減にしろ。森が嫌がっているだろうが。」
 桔平が少しだけ語調を強めた。
「でもよ。俺、森と遊びたいんだってば!」

 ねぇ、なんでだよ。
 なんでなんだよっ。
 俺は放っておいてもらえれば、幸せなのに!
 なんで、俺の平安をわざわざ邪魔するんだよ!

 得体の知れない悔しさが、急にこみ上げてきて。
 森はくすぐり続ける黒羽の腕にしがみついた。
 そして、そのまま勢いよく体を起こし、黒羽を押さえつけようとし。
 当然、黒羽の反撃にあって。
 ソファの横では。
 黒羽 vs 森。
 大乱闘が幕を開けた。

「おい。内村!すげぇぞ!森が黒羽さんと戦ってる!」
 神尾が台所に内村たちを呼びにいった声も、森には届かない。
 ただ、夢中で。
 取っ組み合いなんて、やったことはない。内村が暴れているのを物陰からびくびくと眺めたことはあったけど。
 内村も誰も、森に取っ組み合いをしかけたことなんか、なかったから。

 気が付くと。
 森は仰向けに転がった黒羽の腹に馬乗りになっていた。
 両手で黒羽の肩を押さえ込んで、ぜぃぜぃと荒い息で。

「その辺でやめておけ。森。」
 桔平の声が響く。それは、叱責しているのではなく、温かい声音で。
 いつもなら。
 黒羽、その辺でやめておけ。森が可哀想だろう、とか。
 きっと橘さんはそう言ったに違いない。
 だけど。

 森は深く息を吐く。
「どうだ?黒羽。不動峰の中二も骨があるだろう?」
「あー。」
 黒羽が森の下で、苦笑している。
「油断したかな。」
「負けは負けだ。残念だったな。」

 そんな嬉しそうに、森のことを語る桔平は見たことなかった。
 森は瞬きを繰り返す。
 どうして?
 俺のことなのに?

「やるじゃん!森!」
 いつの間にか、台所から戻ってきた内村が、森の頭をくしゃりと撫でた。
「え。あ。」
 急に頭が冷静になって。
 他校の先輩に馬乗りになってしまっている現状にうろたえる。
「あ。う。」
 慌てて転がり下りれば、黒羽は頭を掻きながら身を起こし。
 静かにその腕を伸ばして、握手を求めてきた。

「森。お前、ダブルスだったよな?」
「あ。はい。」
 黒羽の静かな声。
 この声なら……怖くはない。
 大きい手にそっと握手を返せば、それもまた、怖くはなくて。
「橘がいつも褒めてた。うちはシングルスばっかり注目されるけど、ダブルスも両方、すごい充実しているって。」
 橘さんが……褒めてた?
「橘の話聞いてさ。森とも一度お手合わせ願いたいって思ってたけど。相方がすげぇとんでもないプレイするんだろ?それをフォローしている森ってのは絶対、冷静で面白いプレイヤーだと思ってたからさ。ぜひ一度、やってみたかったんだ。だけど、テニスの前に取っ組み合いするとは思わなかったぜ。」
 けらけらと笑う黒羽に、ぽかんと口を開けて。
 どうして、俺なんかと?
 困惑する森の肩を抱くようにして、内村が自慢げに言う。
「森の相方、俺っすから!明日、勝負してくださいよ!」
 黒羽が視線を上げて。
 ゆっくりと柔らかく微笑む。

「ダビ、置いてきちまったからさ。橘、俺の相方やってくんね?」
「仕方ないな。」
 振り返れば、桔平もまた優しい微笑を浮かべ。
 森の頭に、ふわりと手を置いた。
「お手柔らかにな。森。」

【ゲームオーバー?】


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