ケーキを平らげて、ごちそうも半分くらいお腹に収まって。 みな和やかにおしゃべりする、ただそれだけのコトが、無性に幸せで。 勢いあまった神尾と内村が取っ組み合いを始め、桔平が止めに入るより前に、黒羽が審判として混入し、それがプロレスごっこになってしまったりしても。 杏も桔平も嫌な顔一つせず、伊武でさえぼやき始めないので。 桜井と森と石田は、なんとなく居心地の悪さを覚えたまま、雰囲気になじむよう心を配っていた。 「前衛にHigh!!」 とか。 「リズムキラー!!!」 とか。 訳の分からない叫び声が聞こえてきても。 桔平はにこにことそちらを見守っている。止める様子もなく、黒羽を信じ切って任せてしまっている。 取っ組み合いがプロレスごっこになって、それからただのじゃれ合いになって、数分後。 黒羽が戻ってくる。 しかし、黒羽は最初に座っていた席には戻らず、一つ隣の内村の席に陣取って、元いた席から空のコップを拾い上げた。黒羽のコップに桔平がオレンジジュースを注ぐ。 急に黒羽と隣席する羽目に陥った石田は、逆隣に座る杏が、桔平の気配りに苦笑したのに気付いた。 なんか、杏ちゃん、あの二人は仲が良すぎるって言ったけど。 う〜ん、と石田は二人を見比べ。 確かに橘さん、まめだけど、それ、黒羽さんがお客さんだからじゃないのかな。 と判断した。 その瞬間、黒羽が石田の腕を掴み、ぴたぴたと肩を触って。 「うわ。やっぱり良いガタイしてるな!石田!」 「わ、あ、え?!」 いきなりのコトに、石田は狼狽えて、言葉を失い。 「お前だよな。元祖波動球は!!」 にっこり笑う黒羽の言葉に、しばらく視線を彷徨わせる。 「黒羽は青学戦で河村と対戦したそうでな。」 桔平の解説で、石田はようやく事情を理解して。 なるほど。河村さんの波動球を受けているわけか。それで俺が元祖波動球。 「ああ。はい。波動球、使います。」 「明日、良かったら、一緒打たねぇ?俺、見たいんだよ。元祖波動球。」 「え……?」 いきなりの申し出。この人はどうしてこんなに全力で突撃してくるんだろう。すごいバイタリティだな。 背後で、遊び疲れてへばっている神尾と内村の気配を感じながら、石田は少し言葉に詰まった。 「あの、俺、波動球はちょっと。」 「なんだよ。使えるんだろ?」 不満そうな黒羽の目に、石田は少したじろいだ。 橘さんのお客さんに嫌な思いをさせちゃ、いけないよな。でも。 「は、はい。だけど。……体への負担が大きいから使うなって、橘さんが。」 言い訳じみた口調が、自分でも嫌で、石田は途中で言葉を濁す。 だが、黒羽の目はすぐに不満の色を消して。 「そっか。橘が止めるなら、使っちゃいけねぇよ。」 あっさりと引き下がった。 そうなると、ますます申し訳なく感じるのは人の情で。 「で、でも、一度くらいなら。」 「ダメ!橘が止めるんだったら、それなりの事情があるはずだろ!だからダメ!そういうのは先輩の言うことを聞け!」 黒羽さんは。 橘さんのことを信じている。 不思議な安堵が、石田の胸に広がった。今まで感じていた違和感がふわりと薄まるような。橘さんが信じているのと同じだけ、黒羽さんも橘さんを信じている。そうか。そうなんだ。 だが。 そんな安堵は一瞬にして拭い去られて。 「良いか?勝手に橘の言いつけを破ったら、ちゅーするぞ?石田?」 がたりっ!と椅子から落ちかける石田。 隣の席で杏が目を見開いて固まったのが分かった。 斜め前の桔平は、額を抑えて苦笑していて。 「そんな台詞、俺以外に言うな。黒羽。」 力の抜けたような笑いを含む声で、桔平が黒羽をたしなめたのも、逆効果だった。 えっと。 橘さんは黒羽さんに……ちゅーするぞっていつも言われてるのか? そんで、黒羽さんが俺にちゅーするって? ってか、杏ちゃんが横に居るのに……!! ぼっ!と音を立てるように、石田の顔が朱に染まる。 伊武はぼんやりと石田を見ながら、へぇ、人間赤面すると頭まで赤くなるもんなんだな、と変に納得していたが。 石田は完全に狼狽しきって、椅子ごとずりずりと10センチほど黒羽から遠ざかった。 「わ、悪ぃ!」 焦った黒羽の声がようやく耳に届く。 「今のは嘘だ!忘れてくれ!石田!!」 黒羽は困惑しきりで、必死に石田に事情を説明する。 六角では悪い子を叱るとき、「ちゅーするぞ」と脅す困った伝統があること。 そして、それは今も受け継がれていること。 納得できる内容ではなかったが、それ以外の理由でちゅーするぞと脅されても困るので、石田は一応、その話を信じることにした。 「いつ口を滑らせるかと思っていたが、よりにもよって石田に言うとはな。」 桔平が笑う。 「ホント、悪かったって。」 平身低頭、黒羽は謝り倒している。 仕方ないな、といった様子で、杏は小さく息をついた。 兄が黒羽を信じるなら、杏も信じるのだろう。石田は目を細めて杏を見た。 頬がまだ赤くほてっているのが自分でも分かる。なんだか「ちゅー」という生々しい言葉が耳に残っていて。 しかも、隣の席には杏がいるわけで。 石田は邪念を払うように、ぐっと、コップに入っていた冷茶を飲み干した。 そのとき。 またしても、黒羽が爆弾発言をする。 「あー。あのさ、石田。ホント、悪かった。」 「いえ、良いです。気にしないで下さい。」 「あー。うん。ありがとな。……あのな、今度、何かあったら、俺に言って良いからな。」 「はい?」 「うん?だからさ、俺に『ちゅーするぞ』って言って良いから。」 がたりっ! 石田は今度こそ、椅子からずり落ちた。 「お、おい!石田?!」 慌てて席を立つ黒羽の額を、桔平が弾く。 「石田をからかうのもいい加減にしろ。」 「からかってねぇよ!!六角じゃ、一番真剣な後輩へのお詫びの仕方なんだよ!!これが!!!」 立ち上がる石田に手を貸して、黒羽は慌てたように言い訳する。 その言葉に、一瞬、桔平は絶句してから、声を立てて笑い出した。 「破廉恥すぎるぞ。黒羽!」 橘さんの笑い声が、こんなに無防備なのは。 黒羽さんの力、なのかな。 黒羽さんがこんなにも全力でこんなにも開けっぴろげだから、橘さんも肩の力が抜けて、笑っちゃえるのかな。 黒羽の手を借りて、立ち上がった石田は、ゆっくりと席に戻る。 いつの間にか杏もくすくすと口元を押さえて楽しそうにしていて。 「明日、テニスに行くんですか。」 静かに石田は黒羽に尋ねる。 「おう。橘と打つんだ。」 ちらりと桜井の様子を窺ってから。 「あの。」 石田は意を決して口を開く。 「俺も仲間に入れてくれませんか。仲間に入れてくれなかったら、俺と打ってくれなかったら……黒羽さん、その。」 「……あー?」 「……その。ちゅーしますよ?」 言ってしまってから、また自分が真っ赤になっていることを自覚する。 ああ。ばかだ、俺。 そう思いつつも。 黒羽がびっくりした顔をして、それから石田の肩を抱いて激しく笑い出し。 桔平もまた額を抑えて俯いたまま、くつくつと堪えきれない笑い声を漏らし。 「石田さんってば!!」 杏が思いっきり背中をぱしんと叩いて。 「くっ。ばかだね。石田。」 ぼやきながらも伊武までが吹きだしたのに気付くと。 なんか、こういうのも、良いかな、と。 ただ、黒羽の厚意を受け止めたくて。お詫びの気持ちを受け止めたくて。 怒ってないですよと、そう伝えたくて。 でも、それだけじゃない。黒羽と打ってみたかった。この気持ちの良いほどパワー全開の元気な人と、全力でぶつかってみたかった。 「もちろんだ!一緒に打とうぜ!石田!」 肩を抱いたまま、黒羽は笑いすぎて苦しい息の下、力強く応えた。 桔平も優しく頷いていて。 石田はもう一度、桜井の顔を見た。 【残り2人】 |