リズム。

 リビングに入ると、みな、荷物を隅に集めて、鞄から取り出したプレゼントやら差し入れやらを、お互いのぞきあったりして。
 そんな楽しいはずの雰囲気にも、やはり黒羽という異物が混入した橘家にはどこか違和感がぬぐいきれず、内村をのぞく五人は困惑した様子でため息をつく。
 内村は内村で、どうも居心地が悪いらしくて、やはりおろおろしているのだが。

 そんな中、唐突に神尾が台所のある方を振り返って、少し早口で言った。
「俺、ちょっと台所行って、手伝えることないか、杏ちゃんに聞いてくる!」
 その言葉に、一同ははっとする。
 そうだ。杏ちゃんは台所にいるんだ。あの黒羽って人と一緒で大丈夫かな。
 立ち上がった神尾に、ほかの者たちが続こうとする前に、桜井が静かにそれを制す。
「何かあったら、俺たちも呼んでくれよ。」
「うん!」
 ただでさえ三人も台所で立ち働いているのだから、これ以上、ぞろぞろ手伝いに行ったら、それこそ邪魔になるに違いない。
 桜井の言葉に皆はそれを感じて、そのまま神尾を見送った。

「あのさ。杏ちゃん、手伝えること、ない?」
 台所は活気に満ちていた。湯気、笑い声、調理器具の触れあう音。
 料理は終わっているものの、盛りつけがまだ片づいていないようで。
 そんな中におずおずと声をかけた神尾に、三人が一斉に振り返って。
「お!神尾!!」
 なぜか、嬉しそうに黒羽が応える。
 ……あんたに声かけたんじゃねぇんだよぅ。
 少しだけ眉を寄せて、神尾は黒羽を無視した。

「ごめん。じゃあ、少し頼んでいいかな?アキラくん。」
 ケーキにイチゴを飾りながら、杏がにっこり笑って。
「おう。何でも手伝うよ!」
 神尾は現金にも、上機嫌に応じた。何でも、とか言っても、料理はからきしだけど。
「食器棚の一番上の白いお皿あるでしょ?12枚組の。それ、今日使うんだけど、最近使ってないから、ちょっと洗ってもらっていいかな?」
「任せて!」
 それくらいなら、楽勝!楽勝!
 神尾は食器棚の最上段を見上げ、ちょっと手が届かないかな、と、椅子を引っ張り出そうとした矢先。
「お。取ってやるよ。」
 よけいなやつが、口を挟んだ。
 しかも、手にしていたイチゴを、口に放り込んで、ずかずかと歩み寄ってくる。
 ……杏ちゃんのイチゴを盗み食いしやがって……!

「……いいよ。自分でやるから。」
 つとめて不機嫌に、ぶっきらぼうに言い返せば。
「神尾!黒羽に取ってもらえ。」
 大皿に何かを盛りつけていた桔平が、振り向いて。
「そいつは背が高いのが取り柄だからな。たまには役に立ってもらわないと。」
「へいへい。チビっ子のお役に立てるなら、がんばりますよ。」
 橘さんの優しさは嬉しいんだけれども、こいつの言葉はなんか、むかつく!
 食器棚に手を伸ばし、余裕で皿を取り出す黒羽の背に、神尾は小さく舌を出した。
 なんだよ。チビっ子って!ちょっとくらい、背が高いからって偉そうだぞ!
「この棚、高ぇな。チビっ子橘サンは届くのか?」
「さすがに届くぞ。……後輩の前で俺をチビっ子と呼ぶな。」
 不機嫌そうに切り返す桔平に、神尾が驚いて振り返れば、なんのことはない、桔平は怒っている様子もなく、むしろやけに楽しそうで。
 ……こいつ、橘さんをチビっ子ってばかにした!
 けど。
 橘さん、なんで怒らないんだ……?

 それでも渋々、黒羽から皿を受け取って。
 流しの前に立てば、杏がすぐ横に居て。
「ありがと。」
 なんて小さく言ってくれるモノだから、神尾の機嫌はあっという間に良くなった。
「よっし!リズムに乗るぜ!」
 皿を洗う気満々である。

「リズムに乗るぜ、かぁ。良いなぁ。それ。」
 背後で黒羽が呟いているのが聞こえたが。
 今、俺は機嫌が良いから見逃してやるよ、と、神尾はその声を無視して皿を洗い始める。

「お。美味そう。味見して良いか?」
「一口だけなら。」
「ケチだな。橘サン。」
「放っておくと皿が空になるだろうが。」

 調理台の前で、桔平の背中に張り付くように、手元をのぞきこんでいる黒羽。
 ちらりとそっちに目をやって、杏が苦笑しながら、神尾を突いた。
「あの二人、なんか新婚さんみたいだよね。……さっきからずっとあんな感じなんだよ。もう、やになっちゃう。」
「……し、新婚さん……。」
 でも!
 さっき、誰かが言ってたぞ!!18歳になるまでは結婚できないって!
 神尾の混乱した頭の中では、噂の「橘さんの千葉の彼女」と目の前の黒羽とがごちゃごちゃになって、訳が分からなくなりかけていたが。
 とにかく、ふるふるっ!と頭を振って、皿洗いに目を戻す。
「リズムを上げるぜっ!」

 しばらくは水の流れる音を耳に、神尾は心安らかに皿を洗っていた。
 杏ちゃんがすぐ横にいる。橘さんの姿も、視界の端に映る。……要らないのも居るけど。橘さんの邪魔、すんなよ!お前!
 そんな中。
 桔平が笑みを含んだ声で、振り向きもせず黒羽に言った。
「そんなに暇なら、神尾の洗い上げた皿を拭いててくれ。」
「おう。布巾、どこだ?」

 桔平の言葉に、神尾はぎょっとする。
 ちょっと待て。俺のそばに来るな!
 心の叫び空しく、黒羽は神尾の洗い上げた皿をのぞきこむ。

「リズムに乗るぜ!だっけか?」
 しかも話しかけてくる黒羽に、神尾は俯いたまま、小さい声で返事を返す。
「……うん。」
 ケトルがピーッと声を上げた。
 黒羽はそちらをびっくりしたように見やってから、視線を神尾に戻すと、布巾を振り回しつつ尋ねる。
「……なぁ、俺もリズムに乗って良いか?」
「……へ?」

 そして、なぜかむちゃくちゃ楽しそうに皿を拭き始めた黒羽に、神尾は混乱した。
 何?この人……?……無視しちゃおうかな……??
 しかし、すぐ横に杏と桔平がいる手前、返事を返さないわけにもいかず。
「……別に……良いけど。」
「じゃ、お言葉に甘えて!……リズムに乗るぜ!……こんな感じか?」
「……う、うん。」

 なんだ?なんだ?この人。
 なんでリズムに乗るの?なんで俺に許可得てるの?
 神尾の脳内はますますパニック状態になっていった。
 だけど。
 あんまり悪い気はしない。

「良いな。格好いいよな。神尾の決めぜりふ!」
「……か、格好いいか?」
 つい、普通に返事をしてしまう。黒羽の言葉がなんだかくすぐったくて。

「で、次がなんだっけ?リズムを……?」
「リズムを上げるぜ、のコト?」
「おお!それだ!それだ!リズムを上げるぜ!!」
「……もっとリズム良く言わなきゃ!」
「リズム良くか?難しいな!……リズムを上げるぜ!!」
「うん!良くなってきた!」
「よっし!!神尾に認めてもらったぞ!」

 なんだかすげぇ、楽しそうなんだけど。この人。
 変なの。
 みんな、俺の口癖、オカシイって笑うけど。
 この人の方がもっとオカシイや。

「で、もう一個、あったよな?」
「うん。リズムにHigh!」
「おう!リズムにHigh!!」
「違う!もっと最後のトコ、軽やかなリズムで!」
「リズムにHigh!!!……こうか?!」
「そうそう!」

 神尾がはっと我に返ると。
 すぐ横にいた杏は、くすくすと口元を押さえて笑っていて。
 大皿を前に、桔平は俯いたまま激しく肩を震わせている。

「おい!橘!俺、リズムにHigh!を究めたぜ!」
「……そうか……良かったな。」
「何笑ってるんだよ!」
「いや……二人とも様になっていると思ってな……。」
 懸命に笑いを堪えている桔平の声が、とても楽しそうで幸せそうだったので。
 三人の顔を代わる代わる見回す杏の目が、とても優しくて温かかったので。
 台所の心地よい喧噪の中。
 神尾はふと、黒羽の顔を見上げる。

 黒羽はにやりと笑って、神尾の頭をくしゃりと撫でる。
「うわ!やめろってば!!」
 じたばたしながらも、神尾は、その大きな手のひらが気持ちいいなと気付いてしまって。

「台所で暴れるな。黒羽。神尾。」
 桔平の声に神尾は、にぃと黒羽に笑い返した。



【残り4人】


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