おかえり。

「秋だけに……お疲れ秋刀魚……ぷぷ。」
「くだらねぇってんだよっ!!!」

 天根の後頭部に黒羽の飛び膝蹴りが炸裂して、今日も無事に部活が終了する。
 夕方、もう秋の気配に、日の入りもすっかり早まって。
 薄暗くなった部室の窓を見やり、黒羽はそわそわと着替えを始める。

「どうしたの?バネさん。今日はテンション高いし、急いでるし。彼女とデート?」
 葵がまっすぐな眼差しで直球勝負に突っ込んできても、黒羽は軽く裏拳で。
「違ぇよ。」
 と突っ込み返すだけで。
 横で着替えていた佐伯が苦笑しながら、説明した。
「惜しいんだけどね。剣太郎。バネが早く会いたいのは、彼女じゃなくて、彼氏なんだ。」
「彼氏?!面白い!!誰!?」
「橘だよ。橘。くすくす。」
 おかしくてたまらないように今度は木更津が答える。

「彼氏じゃねぇっての!なんだよ!俺は女かよ!!」
 黒羽の真っ当な反論も、あっさり流されて。

「バネってば、自分の誕生日には言い出せなくてさ。俺の誕生日をだしに、橘を呼び出したんだ。素直じゃないよな。」
 佐伯もくつくつと含み笑いし。
「だって俺の誕生日は平日だし!」
 懸命に言い訳をしようとしても、あっさりと視線でいなされてしまい。
「ほら、早く着替えて迎えに行かないと。六時半に改札で待ち合わせなんだろ?」
「おう。そうだった。」
 慌てて着替え出す黒羽に、しゅぽーっと樹が肩をすくめた。

 なぜか、全員で橘を出迎えに行く羽目に陥って。
 そりゃ、「何?二人っきりで感動の再会なの?くすくす。俺たち、お邪魔かな?」と木更津に尋ねられては、「お前ら邪魔だ。」とは言えるはずもなく。
 ぞろぞろと駅に向かう道すがら、佐伯が尋ねてくる。
「橘は、バネの誕生日知ってるの?」
「ああ。電話でおめでとうって言ってもらったぜ。」

 一瞬、つまらなそうに佐伯は目を細めたが、すぐににこりとほほえみ。

「ふぅん。バネも結構、愛されてるんだ〜。」
「……愛されてるって何だよっ!」
 突っ込む前に吹きだしてしまい、裏拳もほとんど威力がない。
 木更津と言い、佐伯と言い、何か勘違いして居るんじゃないだろうか。
 少し憮然とした気持ちになって、黒羽は空を見上げる。薄暗い空の向こうに淡い星の光が浮かぶ。

 昨夜の電話では。
 おめでとうと言ってもらった瞬間に、なぜか無性に照れくさくなって、思わずぶっきらぼうに。
「プレゼントとか、用意するんじゃねぇぞ。お前、交通費だけでも大変なんだからな。」
 と。
 かなり色気のないコトを言って、そそくさと電話を切ってしまったのだが。
 本当はすごく嬉しかった。
 覚えていてくれて、ありがとう、と。
 それだけでも、言いたかった。

 駅に着くと、約束よりまだ十五分も早い時間だったので、橘はまだ来ていない。
 改札前でうろうろとたむろしながら、黒羽は伸び上がるようにホームの方を見ていた。
 五分もしないうちに、人の波の中に橘が姿を現す。

「橘!」
「橘さぁん!!」

 一斉に勢いよく手を振って名を呼べば。
 顔を上げた橘が、一瞬、ぎょっとしたように目を見開き、すぐに照れくさそうに俯いて急ぎ足で改札に歩み寄る。
 そりゃ、そうだろう。こんな大所帯で迎えに来るとは思っていないはずだし。
 改札を一歩出たところで、すぐに天根と葵に捕まって。

「橘さん!おかえりなさい!」
「……おかえりなさい!」

 がしっと二人に手を取られる。
 橘は苦笑しながら。
「おかえりなさい、なのか?」
 と小さく尋ねれば。
「一度、千葉で潮干狩りをした人は、みんな千葉県民だよ!!」
 と、葵がよく分からない理屈で、熱く語り出す。

 全く。あいつらは。
 橘にまとわりついて離れない二人に苦笑しながらも。
 ぼんやりと、橘の笑顔に、黒羽は口の中で小さく「おかえり」と呟いた。
 そこへ、ぱっと橘が目を上げて。

「黒羽。制服姿は初めて見たが……見違えるな。」
「……なんだよ?惚れ直したか?」

 ああ。そういえば、制服着て会うのは初めてだっけか。橘は一度、帰宅して着替えてきているから、秋めいた私服姿で。
 まだ夏服を着ている自分とは少し季節のギャップがあるようで。
「馬子にも衣装というやつか。」
 にやり、と、橘が憎まれ口を叩く。
「素直じゃねぇな。バネさん、格好いいって言えよ。」
 そうぼやきつつ、橘の頭にぽふっと手を置けば。
「……バネさん、格好いい。」
 なぜか天根が口を挟んで。

「お前じゃねぇっての!!」
 黒羽の回し蹴りが鮮やかに決まる。

 がやがやと、にぎやかに。
 橘を伴って六角中テニス部の面々は、駅を後にした。

「じゃあね、橘。また明日なのね。」
「ああ。また明日な。樹。」

「橘さん!またね!」
「ああ。またな。葵。」

 一人、また一人と、曲がり角のたびに、メンバーが別れていき。

「橘さん……バネさんにちゅーされずにすんで……良かったね。」
「……はは。そうだな。」
 遊びに来ないとちゅーするぞという黒羽の脅しを真に受けて、心配していたらしい天根が、優しく喜んでくれる。
 橘は複雑な表情を浮かべながらも、一応、天根に感謝して。
「じゃあね。おやすみなさい。バネさん、橘さん……。」
「おやすみ。天根。」

 天根が何度も振り返りながら、手を振って家路に就き。

「後はお若い二人でごゆっくり〜!」
「サエ!!」
「何?バネ?」
「……お前は十四歳で俺らより若いだろうが!!」
「ふふふ。じゃあ、後はオトナの二人でごゆっくり〜!」

 ついに最後まで一緒だった佐伯とも別れ。

「誕生祝いは明日言うからな。佐伯。」
「ありがとう。橘。また会えて嬉しいよ。明日ゆっくりしゃべろうね。」
「ああ。」

 佐伯が小走りに薄闇の道を帰っていくのを見送って。

「さて。帰るか。」
「ああ。」

 見覚えのある道を行けば、すぐに黒羽家が見えてくる。

「……帰ってきたぞ。」
「一ヶ月ぶり、かな。」
「ああ。……おかえり。橘。」
「……やっぱり、おかえり、なのか?」

 微笑しながら、見上げれば。
 空には小さな星が柔らかく光を放ち。

「誕生日、おめでとう。黒羽。」
「……ありがとな。覚えていてもらえて、嬉しかった。」
「……そうか。」
「もう、十四歳のくせにとは言わせないぞ。」
「ははは。ならばもう言わないことにしよう。」

 玄関の扉を開くとき。
「ただいま。」
 橘が小さく呟くのを聞いて。
 黒羽は静かに、優しく、ほほえんだ。


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