エピローグ・2

 破裂するクラッカーの音が十秒ほど、途切れる事無く部屋中に響いた。
『誕生日おめでとう、樹っちゃん!』
 六人の手から放たれた、色とりどりの紙テープは、本日の主役である樹の頭の上に続々と舞い落ちる。
 部屋に足を踏み入れようとしたその瞬間のできごとに、樹はたいそう驚いたのか、数秒ぼんやりして、はっと気が付くと、照れくさそうに頭をかきながら笑った。
「あ、ありがとなのね」
「はい、樹っちゃん、ここ座る! お誕生日席!」
「オジイもあとから来るって」
「何か用があって遅れるの?」
「ううん。クラッカーの音でショック死したら危険かと思って、遅く来てもらうようにしたんだ」
 爽やかな笑顔で、労わるような台詞で、佐伯は何気に酷いことを言ってる。
 と、黒羽は思ったのだが、あえてツッコミを入れる事はしなかった。今日の主役は樹っちゃんで、樹っちゃんが幸せそうに、楽しそうに笑っていれば、それでいいのだ。
「とりあえずケーキだケーキ!」
 黒羽が合図をすると、天根が冷蔵庫に潜ませておいたケーキをテーブルに運んだ。
 小さなロウソクを十五本立て、そこに火をつける。
 電気を消して、窓にはカーテン。精一杯の闇を部屋の中に呼び込むと、樹は息を吹きかけて、ロウソクの火を消す。たとえ火を消したのが鼻息だったとしても、長年樹と付き合いを続けている彼らにとっては、大して気にする事ではない。
「おめでとう、樹っちゃん!」
「十五才だな!」
「おめでとう」
 カーテンが開け放たれ、電気のスイッチが再び入る。
 眩しい明るさの中で、顔を近付けてケーキをまじまじと見つめる樹。
「あれ? このケーキ、もしかして……」
「へへっ、すげぇだろ! 手作りだぜ!」
「誰の?」
「俺とバネさん」
 肩を組み、黒羽と天根が得意げに笑うと、樹の笑顔は急激に曇っていった。
「……いらないのね……」
「おいおい、そりゃどう言う意味だ、樹っちゃん」
「そりゃあんまりだろう」と樹に迫りつつも、その反応は当然の事だろうと黒羽は考えた。
 ここに居る連中は全員、黒羽が作るものはカップラーメンしか食べたくないと思っているだろう事を、黒羽は自覚している。
 カップやきそばですら、昔湯きりに失敗して麺を流してしまい、こっそりカップに戻してごまかそうとしたのを佐伯に発見されて以来、誰も食べたがらないのだ。
 大人と変わらない、むしろその辺の大人より大きく成長した今ならば(そして多くのカップ焼きそばの湯きり口が失敗しにくく進化した今ならば)、そんなミスをするわけもないと言うのに。
「まあまあそう言うなって! これはウマイから! 騙されたと思って、食ってみろって!」
 黒羽はケーキを八等分に切り分けて小皿に乗せ、一番大きいものにフォークを添えて樹の前に置いたのだが、
「絶対騙されるのね……」
 樹は口をつけようとしなかった。
「ボク食べた事無いんだけどさ、バネさんの料理ってそんな酷いの?」
「ああそうか、剣太郎が物心つく頃には、バネには料理禁止令が出てたからな。うーん、酷いって言うか、料理じゃないんだ」
「あはは! 本当に!? すごいねバネさん、どんな事したらそんな事になるのさ。おもしろすぎだよ!」
 六角中の部長と副部長は、爽やかな笑顔で本当に酷い事を言う。
 けれど本当に酷いのは、大声で笑ったりくすくす笑っているだけで、ちっともフォローを入れてくれない同級生かもしれない。
 真実であるだけにフォローの入れようがないのかもしれないが。
「でも今回のは本当においしいかもしれないな。なんなら俺、毒見してもいいけど?」
「ホント? サエ」
 味見じゃなくて毒見かよ、と黒羽は小さく訴えたが、誰の耳にも届かなかったようだ。
 ふてくされた黒羽は、乾杯もしていないのにさっさとジュースに口を付け、
「だってダビデが言ってたからさ。バネが東京から来た料理上手の美人にケーキのつくり方を習ったって」
 吹き出さないようにこらえるためにのたうち回った。
「ゲホッ……てめ、サエ、何言って……ゲホッ、やがる!」
「本当なの?」
「なんだよ、誰だよ! 言えよ、そう言う事は! どんなやつだよ!」
「俺、去年、バネがその人に一目ぼれした瞬間までバッチリ見たよ」
「って事はそれが実って付き合いはじめたって事か?」
「そそそ、そうなの!? バネさん、そうなの!? チュ、チューはしたの!?」
「するか!」
「結構奥手なんだね、バネ……くすくす」
「二晩もふたりきりで過ごしたのにもったいないなあ」
「バババ、バネさん……!」
「って、誤解を招く言い方をするな、サエ! とりあえずお前ら全員、黙れ!」
 ドン、と拳でテーブルを叩くと、身を乗り出して黒羽に迫って来ていた者たちも、静かに元の位置に戻る。
 黒羽は深呼吸して気分を落ち着け、正面に座る佐伯を睨んでみるが、佐伯は微笑んでいるだけだった。
 ゴホン、と咳払いをひとつ。
「橘だっつうの! 潮干狩りの時、お前ら全員、会ったろ! みそしるつくってもらったろ!」
 黒羽がそう力説すると、全員、一気に納得した。
「ほら、俺、嘘は言ってないだろう?」
「確かに、東京から来た料理上手だね」
「美人と言うのが正しいかはまあ置いといて」
 そして、沈黙。
 全員が大人しく、目の前に置かれたケーキに視線を注ぐ。
「あのみそしるを作った橘直伝ならば、おいしいかもしれない」と、それまで口にする事すら拒否していた連中(樹だけでなく、おそらくは木更津と首藤もだ)も、ケーキに期待をもちはじめたようだった。
「あらためて。誕生日おめでとう、樹っちゃん」
 佐伯の言葉を合図に、全員がフォークを手に取った。
 食べてみたケーキは、生クリームが少し甘すぎて、スポンジは少しパサついていて、ヘタが残っているイチゴがいくつかあったが、充分に食べられるものであったから、七人の間に自然と微笑みが広がる。
「ありがとね。バネ、ダビデ」
 感謝された事の照れ隠しに、黒羽は樹の頭をぐりぐりと撫で回した。
 いつだって幸せだけれど、いつもよりも更に大きな、幸福。
 その+αを与えてくれたのは、間違いなく、『東京から来た料理上手』だ。
「今夜、電話でもすっかな」
 ケーキのできを報告して、感謝の言葉を伝えれば、きっと橘は電話の向こうで微笑むだろう。
 そうしてもう一度伝えよう。
「また来いよ」と、ただ一言。


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