幸福のプレゼンター

 盛りつけは全てが完了した。
 片付けはまだほとんど手をつけてないが、おかわりの分が残っているカレー鍋以外はちゃんと水にはつけてある。食べ終わったあと、食器と一緒に片付ければいい。
 さて、他に食卓につく前に、何かやりのこした事はないだろうか?
 石田が、そんな事を考えながら、台所のはじっこでエプロンを外していた時だった。
「お兄ちゃん、なんかお兄ちゃんあてにヘンなの届いてたよ」
 石田の元に、小さな妹(この「小さい」が一般的になのか、自分にとってのみなのか、石田は計りかねていたが)が、一枚のハガキを持ってきたのは。
「……なんだ、これ」
 妹は石田にハガキを渡した瞬間、逃げるように立ち去っていく。まあ、妹がここに残っていたからと言って、ついつい口をついた疑問に、答えられるとは思えないから構わないのだが。
 今石田の手の中にあるものは、ハガキ、と言うには少々と言うかだいぶお粗末で、ただの画用紙を誰かがハガキサイズに切り抜いた事はあきらかだった。
 しかも、裏面にあたる部分には、「あけましておめでとう」だの「賀正」だのといった、年始のお決まりの挨拶はまったくなく、ただ大きく「と」と書かれているだけ。
 さっぱり意味が判らない。
 ものすごく、ヘンだ。
「ヘンなの届いてた」と言う妹の絶妙な表現に感心しつつ、石田は首を傾げながら思案した。
 不幸の手紙とかいった類の、新種か何かなんだろうか。
 それにしても、なんで「と」だけなんだろう。「不幸になります」とか「死にます」とかはっきり、具体的な事を書いてくれないと、どうしようもない(書かれたところでやはりどうしようもないのだが、石田はそこまで思考が回らなかった)。
「うーん……」
 なんだか、せっかくこれからみんなで昼ご飯なのに、ちょっと嫌な気分になっちゃったなあ。
 石田は明るく楽しく盛り上がった心に、少しだけ影をさして、とぼとぼと食卓に近付いていく。
 その途中、「差し出し人誰だよ?」と小さく呟きながら、くるっとハガキ(の用なモノ)を裏返すと、影は瞬時に吹き飛ばされた。
「石田?」
 他の九人が席についても、食卓の傍らに立ち尽したままの石田を不審に思ったか、一番はじっこに座っていた神尾が声をかける。
「なんだよ、ソレ」
 そうして振り返ったのならば、石田が手にした長方形の白い紙が目に入るのは当然の事。石田がそれを見下ろしながら硬直しているのだから、気になって当然だ。
 石田は慌ててハガキ(の用なモノ)を背中に隠し、それからゆっくりと後退して、近くの電話台の隣に置いてあるメモの下に隠すように置いてから、
「年賀状、届いてたって、弟が持ってきてくれた、だけだよ」
 苦笑いと共に答える。
「……ふうん」
 石田の態度は明らかに不審であったが、神尾は気にせずに納得したようで、目の前のカレーに視線を落とす(単に好奇心に空腹が勝っただけかもしれない)。
 何か勘繰るような目を向けてくる桜井や、心配そうに見つめてくる森の視線に気付かないふりをして、ひとつ余っている席についた。

「それじゃあ……いただきます」
『いただきます!』
 全員が声を合わせてそう言ってみたものの、いつもならば速攻でスプーンを手に取ってカレーをがっつきそうな少年たちは、微動だにしない。
 八人分の、緊張ぎみな視線を集めた黒羽と桔平は、少し驚いてから見つめ合う。
 後輩たちが何を望んでいるかは、明らか。
 まったく、と少々呆れつつ、小さく吹き出してから、カレーを口に運んだ。
「うまい!」
「……美味いな」
 ごく短い感想の言葉に、八人の緊張はほぐれ、それぞれがそれぞれなりの笑顔を浮かべる。
「ほ、本当ですか!?」
「本当に決まってんだろ。俺がお世辞言えるような男に見えるのかよ」
「九州?」
「……?」
「三重、ない……プッ」
「別に四国でも東北でもいいじゃねーか!」
 すっかり手馴れた内村のツッコミを眺めながら、「確か九州には三重なんたらと言う駅名があったから、おそらく三重と言う知名があるのだろうな」と桔平は思った。
 しかし、天根が不憫だったので、言わないでおいた。
「橘さん、本当に、口に合ってます?」
 伊武が直球の質問を桔平に投げかけてきたのは、三口目のカレーを口に運んだころ。
「もちろんだが?」
「それならいいんですけどね。黒羽さんはああ言う人ですからまあ安心してたんですけど、橘さんは自分で料理する人だから、舌も肥えているでしょうし、ちょっと不安だったんですよ」
「いらん心配だ」
 桔平は笑ってそう返しながら、四口目のカレーを飲み込んだ。
 カレーそのものが本当においしいので文句の付け所がないが、たとえカレーの味がイマイチであったとしても、桔平は――おそらく黒羽も――とてもおいしく感じただろう。
 それだけ、彼らの気持ちが嬉しいと、思うのだ。
「そうですか」
 伊武は安心したのだろう、ようやくスプーンを手に取った。
「てかそもそもお前、調理にはまったくと言っていいくらい、関わってないだろ!」
「お前が言うなよ、うまいとかまずいとかって事を」
 そばに座る桜井や神尾たちに文句を言われた伊武が、何倍ものぼやきを返す様子を微笑ましく見守っていた桔平の肩を、トントン、と軽く叩く感触。
「なあ」
 振り返ればもちろん、肩を叩いた犯人である黒羽がいる。
「どうした?」
「いや……さっきの石田、なんで俺たちからの年賀状、隠したんだろうな」
 黒羽は、いつの間にやら半分以上がなくなっているカレー皿に、一度スプーンを置いた。視線は、天根と内村の微妙な噛み合いの漫才を隣から見守る石田に注がれている。
「そうだな……」
 ふたりからの年賀状は、隠すようなものではない。むしろ、全員がハガキを一箇所に集める事ではじめて意味をなすものなのだから、みんなに公表すべきだ。
 石田の事だから、そんな差し出し人の意図に気付いていない恐れもあるが、黒羽と桔平からの年賀状だと言うだけで、自慢すべきアイテムのはずである。
「石田の事だから」
「ああ」
「自分が嬉しかったから、ではないか?」
「……」
 なるほどな、と小さく呟いて、黒羽は再びスプーンを手に取った。
 嬉しかったから。
 予想もしなかったハガキが届いた事に驚いて、驚いた分だけ、嬉しかったから、同じ気持ちを味あわせてやりたかったのだろう。仲間たちに。
「だとしたら、悪い事したかもなぁ」
「誰にだ? あいつらはもれなく喜ぶぞ?」
「あいつらはな。でも、お前。ネタバレしまくりだから今更びっくりも嬉しいもないだろ?」
「ああ……」
 確かに、黒羽の言う通り、年賀状を送られた人物の中で自分だけが、驚きやそれから来る喜びを知らない事になる。
 それは少し寂しい事なのかもしれない、が。
「構わんさ。あいつらを喜ばせるのに一役買わせてもらえたわけだからな」
 言って桔平は、静かに微笑む。
「それに、今更年賀状一枚分の喜びをもらったところで、大して変わらん」
 と、口に出して言ってやるべきか否かを、胸の内で悩みながら。


Workに戻る  トップに戻る