コーヒーを一緒に

「黒羽はコーヒーでいいか。インスタントしかないが」
「おう、頼むわ」
「天根はココアでいいな」
「……うぃ」
 天根は心の中でこっそり、「なんで俺だけ断定的なんだろう」と思いつつも、反論せずに頷いた。桔平の選択は、間違っていなかったからだ。
「お兄ちゃん、私もココア!」
 天根の正面に座る杏は、台所に居る桔平からは見えないだろうに、身を乗り出して、力一杯手を上げてそう主張する。
「自分で入れるつもりはないのか?」
「うん、無い!」
「堂々と言い切るな。ったく、しょうがねえな」
「お願いね〜!」
 杏は満足そうに席に戻り、にこにこと微笑んだ。
 そしておそらく桔平は、台所でひとり苦笑しているのだろう。
 なぜだか理由はよく判らないが、なんとなく、天根もにこにこと微笑む事にした。
「黒羽。朝食の準備ができるまで手持ち無沙汰なら、テレビ欄でも見ているか?」
「新聞じゃなくてテレビ欄って限定なのかよ!」
「悪ぃ。スポーツ欄も読むか」
「……」
「天根くんは四コマ漫画でも見る?」
「俺は、テレビ欄すら、見なさそう?」
「あれ? 見るの?」
「……」
 沈黙の中、黒羽はテーブルの端に置いてある新聞に手を伸ばし、おもむろに一面を読みはじめ、天根は裏から覗き込むかたちで、テレビ欄を見ていた。
「うちと同じ新聞だな」
「うい」
 が。
 一分もせずに諦めたのか、大人しく新聞を裏返し、黒羽はテレビ欄を、天根は四コマ漫画を見る、と言う形に落ち着く。
「待たせたな」
 やがて、桔平が四人分のカップを持って現れるころに、トースターに放り込んだパンがぞくぞくと焼き上がる。
「お前は絶対朝は米派だと思ってたけどな」
「普段はそうなんだが、正月だからな」
「……正月だと、パンなのか?」
「おせち料理の余りでないだけ、ましだと言う事だ」
「あー」
 なるほどな、としきりに頷ずく黒羽の正面に座り、桔平は手早くトーストにマーガリンを塗る。
「お前も米派だろう、どちらかと言えば」
「まあな。なんか、腹にたまって食った気になるしな」
 マーガリンが塗られたトーストが、黒羽の目の前にある皿に置かれた。
 そのトーストを手にとった黒羽が、大口をあけてかじりつく様子を、天根は何とも言えない温かい気持ちで見守る。おそらくは、正面に座る杏も、だろう。
「天根くんは、どっちかって言うとパンっぽいね」
「……そう?」
「うん。朝から菓子パンいっぱい食べてる感じ」
 杏の鋭い指摘に言葉を失う天根を横目に、黒羽は低い笑い声を響かせる。
 こう言う時に限って豪快に笑わないのが、絶妙な嫌がらせにも思えて、天根は眉間に皺を寄せながら、黙ってココアを口に運んだ。
「天根くんも、パンにジャム塗る? 天根くんの好きなイチゴだよ」
「うぃ!」
「ジャム、おいしいのよね? なのにお兄ちゃんってば、いっつも嫌そうな顔するんだよね」
「バネさんもそう。このおいしさが判らないなんて、かわいそう」
 天根と杏は、ジャムをたっぷりぬったパンをひとくちかじり、どちらからともなく、隣に座る人物の顔を見上げた。
 桔平は妹の冷たい視線に慣れているのか、何事もないようにコーヒーカップに口をつける。
 黒羽は首を傾げつつも、やはり動じる事なく、桔平のあとを追うようにコーヒーをすすった。
「あ、天根くん。ほっぺのとこ、ジャムついてるよ」
「う?」
「違うよ、そこじゃなくてここ。あー、いいよ。拭いてあげるから、じっとしてて」
 ティッシュを手にした杏が天根の頬を拭えば、
「ダビデ、お前完っ璧ガキだな」
 すかさず黒羽が天根をからかう。
 すると何かに気付いた桔平が、コーヒーカップを置いてから、
「自称大人の黒羽」
 正面に座る人物の名を、余計な枕詞を付属して呼んだ。
「なんだよ。なんかひっかかる呼び方するな?」
「お前もパンくずがついているが」
「……」
 黒羽は他の三人から目を反らしながら、拳で乱暴に頬を拭った。
 そんな黒羽を、少しだけ寂しそうに眺める杏の視線に気付いたのは、天根だけ。
 たぶん。
 今の杏と天根のように、桔平が黒羽の頬をぬぐってあげるのを期待していて、その期待がはずれたから少し寂しがっているんだろうなあと。
 天根は、何の根拠もなく確証を抱いた。
 もちろん、その確証に間違いはない。
「でもさ、なんかいいよね、こう言うの」
「……何が?」
「何て言うのかな、生活観が近いって言うのかな? 朝ごはんは何を食べるとか、新聞はどこのだとか、同じなの。あと、相手の行動パターンを理解してるのとかも。一緒に暮らす時、相手に無理に合わせたり、バラバラになったりしなくて、いいなあって」
 杏が何を意図してそんな事を言い出したかも、天根は判っていたので、こくりとひとつ、深く、頷く。
 たとえば将来、黒羽と桔平が同居する時があったりして。
 朝はパンを食べるかごはんを食べるかとか、パンなら飲み物はどうするのかとか、新聞はどこの会社のをとるかとか。
 そんな些細な事でもめたりせずに、仲良く楽しそうにしていたらいいなあと、天根も思うのだ。
「それは、すごくいい」
「判る? 判ってくれる? 天根くん!」
「うぃ」
 真正面から見上げてくる杏の瞳が、キラキラと輝いているように見える。
 ああ、本当に杏ちゃんは、嬉しいんだなあと。
 思った瞬間、ドン、とコーヒーカップが置かれる音が大きく響き、天根は身を硬直させた。
 見ればどうやら、黒羽と桔平が同時にカップを置いたらしい。
 そしてまた同時にテーブルに手をつき、同時に立ち上がり、同時に相手の目を見る。
「黒羽。ちょっといいか」
「おう。俺もお前だけに話があんだ」
「ちょうど良かった……お前たちはそのまま朝食を続けていろ」
 神妙な顔をして、階段に続く通路へと姿を消したふたりを見送ってから、
「何かな、話って、何かな!?」
 杏は興奮ぎみに天根に話をふる。
「高校に入ったら一緒に暮らそうとかだったら、どうしようか!?」
 ふたりの志望校がどの辺りにあるのかを天根は知らなかったが、おそらくは、一緒に住んだらどちらかの通学(あるいは双方の通学)に支障があるのではないだろうか?
 でもまあ、それならそれで、遊びにいくところが一箇所になっていいかもしれない。
 天根はのんきに、そんな事を考えていた。

 桔平は黒羽を自室に押し込むと、杏や天根がついてきていない事を確かめてから、後ろ手にドアを閉める。
 適当な場所に腰を下ろしていた黒羽の前に桔平が座ると、ふたりはほぼ同時に口を開いた。
「黒羽」
「橘」
「天根は」
「杏のやつ」
『どう言うつもりなんだ?』
 最後の言葉が重なった事に、少なからず驚いてから、ふたりは顔を見合わせて苦笑する。
「今のは……なんだったのだろうな」
「杏のやつ、どう考えても自分とダビの事、言ってたよな。新聞とか、ジャム塗りたくったパンとか、ココアとか、なあ?」
「遠回しな交際宣言だったのだろうか……しかしいくらなんでも同棲は気が早いだろう」
「ってか、石田はどうなったんだよ。石田は」
「! そうだったな! クリスマスの時も昨日も妙なそぶりはなかったから、ふたりは上手くやっているのだと思っていたが……」

 年長者ふたりが、こうして無駄に悩みこんでいる事を。
 天根と杏のふたりは、当然知るわけもない。


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