「電気、もう、消していいか?」 一足先に寝る準備を整えた黒羽が、電気のスイッチに手をかけながら、橘と天根に振り返る。 普段ひとりで眠るベッドに、自分と同じくらいの(むしろ自分より少し大きい)少年をひとり加えて眠るのは、少々どころでなく狭苦しいが、なんとかふたりぶんの体をベッドにおさめて。 「うぃ」 「ああ、すまないな黒羽。頼む」 夜の静けさの中だからこそ、かろうじて耳に届くスイッチを切る音と共に、桔平の部屋は暗闇に包まれた。 視覚が意味を持たなくなったせいだろうか、急に別の感覚が今まで以上に働き出す。 先週泊まりに来た時に、桔平の部屋の構造を熟知しただろう黒羽が、闇の中をよどみなく進んで布団に入ったのは空気の動きと音で判った。 もっとも、桔平の部屋は黒羽曰く「無駄に殺風景」であるから、視覚に頼らなくてもそうそう何かにぶつかる事はないのだろう――天根ならば、ゴミ箱やら椅子の足やらにつまずいて転び、大騒ぎになりそうだが。 「ところで、明日はどうする?」 「おおそうだ。明日はどうするんだよ、橘」 左右から時間差で質問をされて、桔平が一瞬迷った後、 「客人の意思を尊重するぞ。何かしたい事があったら言ってみろ」 と返答すると、黒羽と天根は、あれやこれやと話し合いはじめた。桔平や杏はいいとして、不動峰の二年生たちを当然のように仲間に入れているのが、実にふたりらしい。 こうしてふたりの声に耳を傾けていると、何か不思議な感じがするのはどうしてだろうと考え、「そう言えば自分がふたりの間に入った事など今までなかったな」と桔平は気付いた。三人が並んでいる時はたいてい、天根が黒羽と桔平の間に入っているのだ。 左右から聞こえる、聞き慣れた声。 じんわりと伝わってくる、布団を共有する天根の体温。 それらが桔平に与える何とも言えないくすぐったさをごまかすように、桔平はそっと目を伏せた。 そうして思い出される記憶はなぜだか、自分がまだ小学生で、杏もやはりまだ小学生の頃の事。 闇夜を引き裂く激しい雷雨に怯えた杏が、泣くのを必死にこらえながら桔平の布団にもぐり込んできたのは、いつの事だっただろう。杏が雷雨ごときに怯えるのも、桔平の布団にもぐりこんでくるのも、今では絶対に考えられない事だから(なんせ同じ部屋で寝る事すら許してもらえないそうだから)、そうとう昔だろう。 恐怖をこらえるためにしがみついてくる杏の温もりが気持ちよくて、あっさり眠ってしまった次の日の朝、「お兄ちゃんのはくじょうもの!」と罵られたのも、今となっては優しい笑い話でしかない。 「? 橘さん、笑ってる?」 「……いや」 静かで暗いからこそ、気配に敏感なのだろうか。 桔平は天根の鋭い指摘を、軽く受け流した。 きっと、本当の事を言ったら、天根はむくれるだろう。「俺と小さい杏ちゃんと一緒にするな」などと言って。 だから何も言わず、静かにしている事が、賢明に思えた。 天根がその事実に気付いたのは、天根の感覚が狂っていなければ、部屋の電気が消えてからほんの数分後。 隣で眠る桔平の、ゆっくりとした規則正しい寝息が、天根の耳に届いている。 桔平を挟んだ向こう側の、布団で眠る黒羽と、「明日は何をして遊ぼうか」と話し合っていたはずなのに、互いに自覚がないまま話題が変わりそうになった、そんな僅かな間に。 「もう寝ちまったか? 橘は」 天根が言葉を失っている事で気付いたのか、黒羽は平然と、天根にそう聞いてきた。 「う、うぃ……」 「驚くなよ。だから言っただろ、こいつは寝付くのがガキみてえに早いんだって」 聞いてはいたけれど、でも。 いくら暗くても、左右に居る天根と黒羽が、声を抑える事もせずに会話を交わしていたと言うのに。 想像以上の素早さに、天根はただ驚いた。自分も寝つきのいい方だと思っていたが、これには負ける。 それに天根は、せっかくこうして泊りがけで遊びに来たのだから、この時にしかできない事をたくさんやってみたいと思っていたのだ。 具体的に何がしたいのだ、と聞かれても困るのだが、とりあえず、夜更かしして色んな事を話す、と言うのも、そのひとつだと思う。夜の魔力は口を軽くして、天根の(あるいは、天根と黒羽の)知らない桔平の話を、たくさん聞けるかもしれなかったのに。 それなのにこうして、その桔平にいきなり眠られてしまっては、静かに寝ると言う選択肢しか残されないのではなかろうか。 「橘も寝ちまった事だし、明日何するかは明日決めようぜ。おやすみな、ダビ」 黒羽の声が届く。 それは桔平の眠りを守るような、望みの断たれた天根を労わるようで。 「……うぃ。おやすみ」 天根は少しだけずれた布団を、自身と桔平にかけなおす。 優しい温もりと、静かな寝息に包まれながら、天根はふと思った。こんな穏やかで幸せな夜も、もしかしたら、今日この時だけ手に入る特別なものなのかもしれない、と。 なら、いいかな。 天根は微笑みを浮かべながら、静かに目を伏せた。 |