そばにいるから

 フィルムをすべて使い切ったか、残量を再度確認していた森は、自分の手元をじっと眺める少年の視線に気付く。
 鋭い目付きでこちらを見ながら、彼は何を考えているのだろう。もしかしたら、何も考えていないのかもしれない。
「焼き増ししたら送るからね。住所は、橘さんに聞けば判るかな?」
「……年賀状、送ったし、届いたから、たぶん」
「そっか。じゃあ楽しみに待ってて」
 楽しそうに、でもどこか寂しそうに、小さく肯くその様子は、まるで小さな子供のようだ。
 そういえば、こんなに体は大きいけど、俺より半年以上年下なんだっけ。
 森がおそるおそる手を伸ばして、天根の頭を軽く撫でてみると、天根は驚いたのか一瞬だけ硬直したが、すぐににっこりと笑う。
「ありがとう。楽しみにしてる」
 笑みを保ったまま、ぺこりと頭を下げてから、天根は森のそばを離れた。
 それから、ぽてぽてと伊武に近付いていけば、
「少なくとも今日は、お前のつまらない駄洒落をもう聞かなくてすむのかと思うと、せいせいするよ」
 伊武は冷たい言葉で、あっさりと天根を切り捨てる。
「俺のダジャレ、つまらなくない……」
「あのさあ、少しは己を知った方がいいんじゃないの? 黒羽さんだってさんざん、『お前の駄洒落はつまらない』って言ってるだろ? それが現実なんだよ。橘さんは優しいから、お前に付き合って笑ってくれるかもしれないけどさあ……」
 ぶつぶつと呟かれるぼやきに、天根は納得して肯くでなく、首を小さく左右に振る事で必死に拒否する。
 伊武は意外にも短時間でぼやき飽きたらしい。すぐに口を閉じて、天根に背を向けた。
 天根は少し落ち込んだそぶりを見せ、ポケットにコートのポケットに手を突っ込んでから、
「伊武が笑うダジャレ、頑張って考える」
 明らかに「余計なお世話」な捨て台詞を残し、伊武に背を向けた。
 すると目の前には、石田と桜井。
「あれ? 天根ってこんなに小さかったか?」
 天根のはるか上方から、石田の大きな手が、優しく天根の頭にのる。
「背中丸めてるから小さく見えるんだろ。寒いのか?」
「……うい」
「六角の連中って、暑いのには強そうだけど、寒いのには弱そうだもんな」
 桜井が笑いながら、己の荷物を漁り、まだ身に付けていないマフラーと手袋を取り出した。
 そのふたつと、天根を見比べて、
「俺の手袋、お前が使えるわけ、ねえよな」
 手袋を荷物に戻し、マフラーを天根の首に巻く。
 そんな桜井の行動を見て、石田も荷物から手袋を取り出し、天根に差し出す。
「手、出して歩かないと危ないぞ。お前、すぐ転びそうだし」
「ほら。ここまですりゃあったかいだろ? 背中伸ばせよ」
 桜井と石田が同時に天根の肩を軽く叩くと、天根は嬉しそうに笑いながら肯いて、ポケットから手を出し、しゃんと背筋を伸ばした。
「ありがとう。このご恩はごおーんと鐘が鳴るたびに思い出す……プッ」
「もっと頻繁に思い出せ!」
 げし。
 絶妙なタイミングで、内村の蹴りが天根の背中に決まる。
 妙に静かだと思ったら、内村は天根がボケるのをずっと待っていたんだろうか。
 って言うか、ツッコミ所はそこなんだろうか。
 石田と桜井は些細な悩みを抱えながら、天根のコートにくっきりと残る足跡をうっとりと眺める内村を、冷たい視線で見下ろした。
「なんだよお前ら、その目! 判った、お前らもやりたいのか? まあ無理だな。黒羽さんから直々に飛び蹴り習ったのは、俺だけだからよ!」
「いやー……別にいいや……」
「うん。俺たち、内村には敵わないから、その役目は、内村にまかすよ」
 楽しそうに(?)話す三人を、天根はじっと見つめる。
 首元は温かくなり、手も暖かくなり、けれどなんとなくまた、背中を丸めてしまう。
 ぽん、と、そんな天根の背中を叩く手は。
「なんだよこの足跡! 内村に蹴られたのか?」
「うぃ」
「お前、リズムがなってねえよ! いいリズムなら内村の蹴りなんて、ひょいって避けられるぜ!」
 これはボケに対するツッコミだから、避けてしまっては何の意味もないのだが。
 足跡を消そうと背中を叩いてくれる神尾の手が嬉しくて、天根は小さく肯く。
「リズムにHigh! なら?」
「お? おう、リズムにHigh! ならだよ。なんだお前。話、判るじゃねえか!」
 神尾の顔が赤いのは、寒いからか、それとも嬉しくて興奮しているからか、天根には判らなかった。
「でも俺、こんな恥ずかしい台詞言えない」
「恥ずかしくねーよ! お前のダジャレのが恥ずかしいっつうの!」

「……なんだ、ありゃ」
 そんな天根たちの光景を眺めながら、呆れたように黒羽がこぼすと、桔平は微笑み、白い息を吐いた。
 店に入った時は辛うじて日の光が残っていたのだが、中で賑やかな時間を過ごしているうちに、辺りは完全に闇に包まれてしまった。空気は昼間よりもいっそう冷え込んでいる。
「別れを惜しんでるんだろう」
 もう、それぞれの家に帰るためには、分かれなければならないところまで辿り着いてしまったから。
「いや、それは、判るけどよ」
 まともな別れの惜しみ方してんの森しかねえじゃねえか、と言う黒羽の訴えを、言葉にせずとも桔平は理解していて、苦笑しながら肯いた。
「さて、と。お前ら、もう暗いから気を付けて帰れよ」
「はい、橘さん!」
「橘さんも気を付けて!」
「杏ちゃんも!」
「黒羽さんも!」
「天根はどうでもいいや!」
「う……うぃ!?」
「むしろ事故って頭打った方がいいんじゃないの……賢くなって、あんな駄洒落もう言わなくなるかもしれないし。ああそうだ。きっとそうだよ。なんなら俺が道路に押し出してあげようか?」
 伊武の鋭い眼差しから逃れるように、天根が桔平の背中に隠れる。伊武なら本当にやりかねないと、怯えながら。
「じゃあね」
 ある者はそのまま、ある者は手を振りながら、遠ざかっていく。
 黒羽と、桔平と、杏と。まとまって歩く三人とはぐれないように、けれど名残惜しそうに、天根はいくども振り返りながら着いてくる。
「寂しそうだな。ダビデの奴」
「仲良くなったばっかりだもの。しょうがないわよ」
「それに、いつだって、どんな小さなものでも、別れと言うのは寂しいものだからな」
「確かにな。ガキの頃なんて、明日もまた遊べるって判ってても、仲間たちとわかれて家に帰んの、ヤだったし。つまり、ダビはそんだけガキって事か」
 天根に隠れるように、三人は声を殺して笑う。
 覗くようにちらりと振り返れば、とぼとぼと歩く天根の姿。
 再び前に向き直って、また、天根に隠れて笑いながら、黒羽はふと、桔平を見下ろした。
「? 何だ?」
「や。って事は、橘サンも、今寂しいんだなって思ってよ」
 くっくっくっ、とからかうように笑う黒羽。
 いつもの桔平ならば、黒羽がそうすれば多少のうろたえを見せるはずだったが、
「そうでもないぞ。なんせ、帰路が賑やかすぎて、寂しいと思う余裕もない」
 逆に黒羽をうろたえさせるような、辛辣なコメントを返してくる。
 桔平が口元に浮かべた笑みが、まるで勝ち誇っているように見えてあまりにおもしろくなかったので、黒羽は反撃に出る事にした。
「つまりあれか。杏と、ダビデと」
「ああ」
「俺が居るから、寂しくないって事か」
 桔平は完全に言葉を失う。
 後に残ったのは、こらえきれずに吹き出した杏の笑い声のみだった。


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