「なあ、石田」 「なんですか、黒羽さん」 「俺の肉とお前の何か、とっかえねえ?」 「イカフライならいいですけど?」 どちらからともなく、桔平と杏は視線を合わせた。 ちょうど口に運んでいた一口ぶんを数回咀嚼してから飲み込み、それからふと、表情を和らげる。兄妹揃って同じ事を思っているだろう事が、おかしくて。 ふたりはほぼ同時に、隣に座る人物――桔平にとっては黒羽、杏にとっては石田――を横目でちらりと覗き見た。 「……牛肉とイカってのは、ちょっと不平等な交換じゃねえか?」 なにやら不満げに唸る黒羽に、笑みをこらえきる事が不可能だと気付いたか、桔平はさりげなく視線を避ける。 「別のものが食いたいなら俺のを一切やるから、石田からカキフライを奪おうとするな」 「いやっ、俺はカキフライを奪おうとなんてしてねえぞ。狙いはその隣のエビフライだ」 「駄目よ! エビフライのないシーフードフライなんて、華がなくなっちゃうじゃない。ねえ? 石田さん」 「あー……うん、そうだね……」 杏にわけの判らない同意を求められ、石田はどうしようもなく、苦笑しながら肯くしかなかった。 実のところ石田は、「別にエビフライなら差し出してもいいかな」とぼんやり思っていたのだが、話の展開上言い出す事も出来なくなり。 ふと桜井に目をやってみれば、桜井は微笑みながら首を小さく振ったので、石田はとりあえず、最後にとっておこうかとこっそり思っていたカキフライに箸をつけた。 「じゃあ、遠慮無く貰うからな」 「……少しは、遠慮しろ」 大きな体を縮こまらせて、石田がカキフライを食べ終える頃には、黒羽は桔平の皿からカツを一切れ奪い取って、満足そうにしている。 「杏ちゃん」 石田は困惑を解消するために、杏に質問してみる事にした。 「何?」 「俺、エビフライ食べちゃっていいのかな?」 すると杏は、にっこりと笑って、 「いいんじゃない? 黒羽さん、もう、エビフライの事も石田さんの事も目に入ってないみたいだから」 と答えてくれた。 石田は、それはそれで寂しいなあと、思わない事もなかったのだが。 確かに杏の言う通り、黒羽は二切目のカツをどうやって奪おうかしか考えていないようだし、桔平も桔平でそんな黒羽をどうやって阻止しようか、しか考えていないようだ。 「なんか、あてられちゃうよね。ふたりとも人目をはばからないでラブラブなんだもん」 一切れのカツを巡る攻防戦って、ラブラブなのかな? と、石田は杏に訊ねようと思ったのだが、杏も、黒羽も、桔平も、みんながなんだか幸せそうなので、黙ってエビフライを食べる事にした。 天根はカレーを口に運んだスプーンを咥えながら、そんな光景を黙って眺めていた。 「最悪……君さあ、今までどう言う教育受けてきたわけ? スプーンを咥えたままなんて、ちょっと行儀悪すぎるんじゃないの? まったく、なんでこんなヤツが俺のそばに座ってるわけ……気分悪いよな……」 「う、うぃ。ごめん」 天根がカレー皿にスプーンを戻すと、伊武は満足したのか、ぼやくのを止めて再び箸を進める。 しかし天根はそれでも、食を進めるのを忘れ、今度は黒羽たちではなく伊武をじっと眺めた。 「……何?」 視線に気付いたのか、伊武がキッと天根を睨み上げてくる。 「あ……う……伊、武」 「だから何。さっきからジロジロジロジロ人を見てさ。気分悪いんだけど」 「さ」 「さ? さ、何なのさ。言いたい事があるならさっさと言ってくれない?」 「えっと……魚の食べ方、きれいだなと、思って」 別にそんな事を言いたかったわけではない。 でも実際、伊武の魚の食べ方はとても綺麗だったので(六角の仲間たちの魚の食べ跡はもっと無残だ。特に天根と黒羽のものは)、ついうっかり言ってみれば、伊武は少し呆気にとられたような顔をして、 「別に……普通だろ」 それだけ言って、黙ってしまう。 天根は、カレーを一口口に入れて、咀嚼しながら、俯きがちに魚を食べる伊武を見下ろし、今なら言っても怒られないんじゃないかなと、妙な自信を持ってしまった。ので。 「伊武」 「……」 「俺、実はちょっと、魚食べたい」 「だから?」 湧いてきた自信は、どうやら気のせいだったらしい。 「……ごめんなさい」 伊武の冷たい切り返しに、天根はすっかりへこたれて、背中を丸める。 黒羽と桔平のやりとりを見ていて、ちょっと楽しそうだなあと思ったから、自分も言ってみたのだが、まったくもって伊武の気には召さなかったらしい。 寂しいなあと。 思いながら、天根は再びスプーンを咥える。 「……あのさあ」 「うぃ?」 「別に俺まだ何も言ってないよね? それなのに勝手に謝って勝手に引くってどう言う事? 食べる気ないなら、はじめから言い出さないでくれないかな。これじゃあまるで俺が悪人みたいだろ? 俺別に何もしてないのにさ。むかつくよなあ……」 それって言うのは。つまり。どう言う事なんだろう。 どうしていいか判らずに戸惑っていた天根は、こちらを見ている黒羽や桔平と目が合った。 黒羽はにやにやと笑いながら、桔平は微笑みながら、肯いている。 「伊武」 「……」 あまっていた箸を割って、そっと焼き魚の皿に伸ばしてみても、伊武はけして拒否はせず。 「いただきます」 どうしたって、安っぽいレストランで出る魚が、いつも食べている新鮮な魚に勝てるわけもなく。 それなのに、新鮮な魚と同じくらい、いや、もしかしたらそれ以上に、おいしく感じてしまったのは。 きっと気のせいじゃない。 |