桔平の携帯電話が震えたのは、リビングにあるテレビから除夜の鐘が聞こえはじめた頃のこと。 こんな時間に一体誰だろう。 桔平は後輩たちの誰かであろうかと考えた。彼らは約一年前、年が明けた瞬間に、「あけましておめでとうございます」の一言を言うために桔平に電話をかけてきたからだ。まるで誰が最初に言うかを争っていたかのように、全員が「俺より先に挨拶したやつ、いますか!?」と聞いて来た事が印象深い。 去年六番目になって悔しそうにしていた桜井あたりが、早めにかけてきたのかもしれない。彼らの中で前日からかけてはいけないと言うルールがなければ、それもひとつの手であろう。 「誰? もしかして黒羽さん? 大雑把に見えて意外とマメね〜」 「まさか」 桔平は微笑みながら、相手を確認する。 そこにあった名は、桔平が予想していた後輩たちの名前ではなく、杏の言う通り、千葉に住む友の名前だった。 何やら意味ありげに笑う杏の視線に耐えきれず、桔平は立ち上がり、自室に向かいながら電話に出る。 「もしもし」 『おう、橘! 悪いな、こんな夜遅くに。ダビデが宿題終わらせたからどうしてもって聞かなくてよ』 桔平には、天根が宿題を終わらせた事と、夜遅くの電話に、何の関係があるか判らなかったのだが、とりあえず流しておく事にした。 自室の電気を点け、ドアを閉めると、ベッドの端に腰を降ろす。 「いや、構わんが」 『橘さん、こんばんはー』 『こら、邪魔だダビ、あっち行ってろって! あー、橘、本当に大丈夫か? 寝てなかったか?』 「……大晦日に日付が変わる前に寝る奴は、そう居ないだろう」 『や、寝付きのいいお前なら、それもアリかと思ってな」 俺を何だと思っているんだと。 反論するにも説得力のない所しか見せた事がなかったので、それもできず、桔平は眉間に皺を寄せる。 他の言葉も考え付かずに沈黙を保っていると、電話の向こうの黒羽が、話を切り出した。 『あのな、ダビデが一刻も早くそっちに遊びに行きたくてたまらないんだと』 「ほう」 『俺が宿題終わらせたらなって言ったら、こいつ、年内に終わらせやがったんだぜ! 奇跡としか言いようがねえよ。やっぱ橘サンパワーは偉大だな〜』 『東京にとうとうきょう行けるのかと思うと嬉しくて……プッ』 『話が進まねえからお前は黙ってろ!』 ふたり揃うと必ず聞こえる、激しい衝撃音。 そうして常識はずれの激しいツッコミを入れてから、 『大体今日はもう行けねえっつうの』 桔平もこっそり胸に秘めていた、ごく常識的な普通のツッコミを重ね、黒羽はゴホン、と咳払いをした。 『ま、そう言うわけで、冬休み中にまた、そっちに邪魔する事になりそうなんだが、大丈夫か?』 訊ねられ、桔平は新しく準備したカレンダーを眺め、自身の予定を思い出す。 「それは問題ないが……そうだな、元旦と二日は無理だ」 『ああ、俺らもこれから樹っちゃんちで徹夜で騒ぎまくるから、どっちにしても元旦は無理だしな。じゃあ三日にそっち行っていいか?』 「そうだな。それがいいだろう」 桔平はさっそく、ペンを手にとってカレンダーに予定を書き込んだ。 再びあの賑やかな非日常がやってくるのだと思うと、胸が踊る自分が居る。 それに気付いてしまうと少々悔しかったりもするのだが、それ以上に素直に、楽しみであったから。 「来年もよろしくな」 桔平がそう言うと、いつもならば元気良く返してくる黒羽が、黙り込んだ。 まさか来年はよろしくしたくないともで無言で主張しているのだろうか。いや、それはありえまい。 と。 桔平が内なる自問自答を終えた頃、電話の向こうで小さく吹き出す黒羽の声が聞こえた。 『あー、それは違うだろ、橘』 「違う? 何がだ?」 『お前が今居る部屋、どこだか知らねえけど、時計とかねぇの?」 問われて桔平は、すぐそばにあった目覚し時計に目をやる。 大掃除の際に時報にピッタリ合わせた時計の針は、十二時を過ぎている事を示している。 「……ああ、そうだな、間違えた」 『だろ?』 「あけましておめでとう、黒羽、天根」 『おう、おめでとう!』 『あけましておめでとうゴザイマス』 それから。 桔平が小さく息を吸ってから続きの言葉を紡ぐと、狙っていたのかいないのか、三人の声が重なった。 『今年もよろしく』 |