誕生日

 お腹も胸も、いっぱいいっぱいだった。
 仲間たちが開催してくれた天根の誕生パーティのおかげで、天根の今日と言う日は幸福に満たされており、ふと時計を見上げるとまだ十時そこそこだったのだが、すっかり暴れつかれている事だし、今日はこの幸せを胸にもう眠ってしまおうと、そんな事を考えながらベッドに転がった瞬間。
「ヒカル! 電話よ!」
 母親の声に呼ばれ、天根は仕方なく体を起こした。
 普段の天根ならば、睡眠妨害した電話に対して大きな怒りを抱くのだが、しかし今日は幸せなので、「まあいいか」と呟きながら、電話の元へ早足で歩く。
「誰?」
「橘くんってコよ。クラスメイト?」
 黒羽か葵あたりだろうと見当をつけていた天根は、母の唇に紡がれた意外な人物の名前に驚き、即座に母親の手から受話器を奪い取った。
「もしもし! 橘さん!?」
 大声で受話器に向けて叫ぶと、低く小さな笑い声が、受話器を通じて天根の耳に届く。
『相変わらず元気そうだな』
「うぃ」
 天根は満面の笑みで頷いた。
 今日は本当に楽しくて、幸せであったけれど。
 自分の誕生日を祝うメンバーの中に、橘が居てくれたらもっと幸せだっただろうと思っていたから、今日中に声が聴けてとても嬉しかったのだ。
「なんでウチの電話番号、知ってる?」
『黒羽に聞いた』
「なるほど。それで、どうした? 何か用?」
『もちろんだ』
 橘は力強く答え、一瞬だけ間を開けてから、
『十四歳の誕生日おめでとう、天根』
 静かにそう言ったのだ。
「……そのためにわざわざ?」
『いけなかったか? 何か用事の最中だったか? それはすまない事をしたな……』
「そんな事ないない」
 受話器の向こうの人物が見ているはずも無いと言うのに、天根は力一杯首を振って否定する。
 いけないわけがない。それどころか。
「嬉しい。わざわざありがとう、橘さん」
 笑いながら、天根はそっと目を伏せた。
 ああ、今日は、本当に幸せな日だ。

 十一月二十三日の朝。
 黒羽はゆっくりと目覚め、布団の上で大きく伸びをひとつ。それから洗面所に向かい、顔を洗っていると、玄関が開く音がした。
 続いて、バタバタバタ、と廊下を走る音。
 どうせ天根だろうと判断し、黒羽はのんびり、タオルで顔を拭いた。
「バネさんバネさん!」
 予想通り、足音の主は天根だった。
「なんだ? 今日は早い上に、なんか嬉しそうだな?」
 黒羽は天根を適当にあしらいながら、食卓へと向かう。起き抜けの黒羽にとって、天根の相手をする事よりも、腹を満たす事のほうが優先なのだ。
 どうせ天根は、そんな黒羽の態度など気にする様子もなく、後ろをとてとて着いて来ながら話を続けるのだから。
「うん、嬉しい! バネさん、橘さんに、俺んちの電話番号、教えた!?」
 黒羽は「いただきます」と挨拶をひとつ、茶碗と箸を手にとって、とりあえずひとくち米を口の中に放り込んでから、天根の問いの答えを考えはじめる。
「あー、そう言やこの間電話した時に聞かれたから教えたな。それがどうかしたか?」
 天根は笑顔を浮かべたまま、コクコクと何度か頷く。
「昨日橘さんから電話かかってきた! 誕生日おめでとうって! 嬉しい! ありがとうバネさん!」
「……は?」
 黒羽は、一度手にした茶碗を、食事が終わる前に置く事を滅多にしないのだが、今日はそれをした。
 茶碗を置いてから箸も置き、ぎこちない動作で、天根に振り返る。
「橘から電話?」
「うぃ」
「誕生日おめでとうって?」
「うぃ!」
「お前に?」
「うぃ!!」
 天根の力強い肯定に、黒羽は愕然とした。
 あいつ、俺には電話なんぞ、かけてこなかったくせに……!
 橘が電話をかけようと努力していた事や、その努力が先に黒羽が電話をしまったために報われなかった事を、黒羽は知るわけもなかった。
 なかったので、黒羽はなんとなく、むかついた。むかつく対象が天根なのか橘なのかは、自らの事ながらはかりかねたが。
 結果的には誕生日当日に祝ってもらえたのだから、問題はないのかもしれないが、やはりむかつくものはむかつくので、とりあえず手の届く位置にいる天根のこめかみを殴りつける。
「いたっ! 何すんだよバネさん!」
「うるせえ」
 黒羽は食卓に向き直り、再び茶碗と箸を手にとる。
 食事を進めながら、「次に橘と会う時はダビを仲間はずれにしてやる」と、子供じみた決意を固めていた。


Workに戻る  トップに戻る