ツバサ

「40−15」
 男にしては充分長髪と言える金の髪を持つその男は、場から浮く形で相当目立っていた。
 脱色するなり染めるなり、髪の色を変える者は昨今の日本に腐るほど溢れていて、むしろ黒髪を貫く者の方が少ないほどだろう。
 だから金髪など、彼がまだ中学生であることを差し引けば別に珍しいものでもないはずなのだが、その少年の後姿は妙に印象的に黒羽の目に焼き付いたのだ。
「どうしたんだ、バネ。誰か気になる選手でも居るのか?」
 声をかけられて初めて、黒羽は隣を歩いていた佐伯の事を、一瞬とは言え完全に忘れ去っていた事に気がついた。
 それほどまでに自分は、夢中でコート内を駆けるその少年の背中を必死で追っていたのか。
「あのウェア、確か九州代表の獅子楽だよな? 去年応援に来たとき見た気がする」
「そうだよ。そして彼はエースの橘くん。俺らと同じ二年生」
 黒羽の視線が追う少年の名を、佐伯はいとも簡単に口にする。
「お前、他校の選手にチェック入れてるタイプだったか?」
「バネほど情報に無関心じゃないだけだよ。有名な選手の情報は、集めようとしなくたって集まってくるもんだろ。あれほど目立つ風貌をしている選手なら余計に。俺はそれに耳を傾けて、バネはそれを気にしない。その違いだ」
 そう言って微笑む佐伯の表情は勝ち誇っているように見え、そう思った時点で、黒羽は佐伯に負けていたのだ。
 黒羽は降参を示すために軽く両手を上げ、再び金髪の少年に向き直る。
 佐伯と軽く会話を交わしている間に、橘は一ゲームを決めていた。これでゲームカウントは5−2。
「アイツ、ずいぶん派手に染めてんな、髪」
「まったくね。校則で禁止されてないのかな? 校則破って染めたり脱色してる奴、うちにだって居るけど、せいぜい茶髪止まりだよなあ。あそこまでやったらウチの学校じゃあ大会出場停止だよね」
「だよな。あれじゃ頭髪検査の時だけ黒く染め直したって、逆に目立つしな」
 獅子楽中と言う学校は、自由な校風なのか。
 それとも、橘と言う男がルールを大幅に破ってまで我を貫いているのか。
 フェンスを挟んだ位置からしか橘を見れない黒羽には、それを知る事などできない。
 判るのは。
「さすがに強いな」
「ああ」
 判るのは、コートに立つその男が、外見を飾るだけの男ではないと言う事。
 見ているだけで判る。一球一球が重いストローク、キレのあるスピン、確実なコントロール、相手の返球を読む冷静さ、どんなボールに食らいつく身体能力と精神力。
 どれをとっても一流のそれらは、観戦者を惹きつけてやまないものだった。
「さすが九州二翼、だな」
「あ? きゅうしゅうによく?」
「うん。彼、そう呼ばれてるんだって。九州で一、二を争う実力者って事かな」
 ふうん、と黒羽は生返事で応える。
 九州二翼。ふたつの翼と書いて、二翼。
 聞いて即座に、あの少年の背に翼が生えている様子を想像してしまい、黒羽は小さく笑った。己の思考の、あまりの単純さに。
 そして、思うのだ。
「なんかイメージじゃないよな」
 思ったことをそのまま声に託すと、佐伯が不審そうに黒羽を見上げた。
「何が?」
「翼っつったら鳥とか天使とかの、アレだろ。なんかアイツには、そんな穏やかなもん似合わねー気がする。プレイスタイルも攻撃的だし、パワーかなりあるみてぇだし」
 あの少年に似合うのはそんなただ美しいだけものではなく、もっと力強く、荒々しいものに思える。
 なんの意味も成さないと判っているが、それでもこの思いを誰かに――今そばに居る佐伯以外はありえないのだが――伝えたい。しかし上手い言葉が出てこなく、もどかしくてたまらなかった。
「バネが翼と言ったら白しか浮かんでこない貧困な想像力だからいけないんだよ。違う色でもいいだろ。たとえば黒。黒い翼」
 思考の迷路に迷い込んでいた黒羽を一瞬にして引きずり出したものは、佐伯の声。
「ああ、そうだ、それだ」
 意思の強さや破壊的な雰囲気と、孤高ともとれる気高さが同居する黒い翼。
 それならばあの男が持つイメージに違わないように思う。
「じゃあバネと同じだな」
「ああ? 何言ってんだよ、お前。この朗らかで爽やかなバネさんに向かって」
「本当の事でも自分で言うなよ」
 佐伯は笑いながら、黒羽のこめかみを軽く小突く。
「そう言う内面的な事じゃなくてさ、バネは『黒羽』だろ? だから」
「あー……」
「さて、戻ろうか。そろそろウチも試合だからさ」
 ためらう事もなくコートに背を向けて歩き出す佐伯。
 先を歩く友を追うにはあまりに名残惜しく、黒羽は再びコートの中を見つめる。
 圧倒的とも言えた試合は終わり、審判が橘の勝利を高らかに告げている――それは、獅子楽中の勝利を告げると同じだった。
「九州二翼の橘、か」
 声に出し、頭の中で、胸の奥で、少年の名前を反芻すると、黒羽は歩き出す。
 もう視界内に橘の姿はない。
 けれど目を伏せれば、いつでも彼の姿を思い出せるような気がした。
「いつかあいつと試合とか、できっかなぁ」



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