そこそこ腹も満たされた八人は、ファーストフード店を出て、再びコートに足を運んだ。 伊武と神尾、内村と森は午前中に対戦したので、午後の第一戦はもちろん、黒羽・橘ペアVS石田・桜井ペア。 使い慣れたラケットを手に、四人はコート内に入る。 ネットを挟んで、鋭く睨み合い――。 「はい、はーい、提案!」 突然、コート脇の内村が、両手を振り回して自己主張した。 おかげで、ほんのりと漂う緊迫した空気は、あっさりと掻き消えてしまう。 「なんだよ内村。邪魔すんなよ」 「うっせ! 試合はじまってからじゃないんだから、ありがたく思え!」 正当な文句を口にした桜井に、無茶な理論で返した内村は、黒羽と橘の方に向き直った。 「俺たちと試合した時は、しりとりテニスだったじゃないっすか」 「ああ、そうだな」 「それなのに、桜井たちと普通のテニスするのは、どうかと思うんです」 確かに、と橘は肯いた。 内村たちとの対戦が遊び半分だったのに、桜井たちとだけ本気で打ち合うのは、内村たちに申し訳ない気がする。 だいたい、内村たちとの対戦をしりとりテニスにしたのは、即席ペアへのハンデと言う意味でだ。ならば、不動峰ナンバーワンダブルスであるふたりと対戦するには、しりとりテニス以上のハンデを貰うのが筋である。 「またしりとりテニスにしますか?」 「いや、もう森との試合で出し尽くしちまったから、パス。しかもお前ら冷静っぽいし、しりとり得意そうだし」 「うーん。他に単純な頭脳ゲームって言うと……古今東西とかかなあ?」 審判役の森が何気なく口にすると、 「それいいな! それいただき! よし、古今東西テニスに決定! あんがとな、森!」 他の三人の意見は聞かないらしく、黒羽が即決。 森にずかずかと歩み寄り、森が少し迷惑そうな顔をしている事に気付いているのか否か、何度も背中を叩く。 橘が見かねて、森から黒羽を引き剥がした。 「『東京二十三区』……目黒!」 はじめからいじわるなお題を出しても、つまらないだろう。 桜井はとりあえず、簡単そうなお題を出してみた。 が。 「ち……千代田?」 黒羽は不安げに答えながら、打ち返してくる。 「文京!」 「……大田区!」 橘は力強く答えたものの、妙に口をつくのが遅い。 どう言う事だ? 二十三もあるんだぞ? まだ、四つしか言ってないんだぞ? 有名どころがまだ沢山残ってるんだぞ? 混乱しはじめた桜井は、一瞬振り向いた石田と、目が合った。 それだけで通じた。 「豊島!」 桜井のトップスピンロブが、コートの隅に突き刺さる。 後衛に居た黒羽に、届かないものではなかった。彼が全力でボールを追いかければ、返せたはずである。それを返さないと言う事は――何も浮かばなかったのだろう。 「ふぃっ……15−0!」 コールする森の声が、驚愕に歪んでいた。 間違いない。桜井は確信する。 生まれてから今まで千葉県民の黒羽と、上京して一年と少しの橘。 ふたりはきっと、東京ネタにすこぶる弱いのだ。 「えーっと……『中央線快速が停車する駅名』……新宿!」 かくして、東京都出身ペアによる、東京ネタ攻めが行われた。 ゲームカウントは5−1。 容赦ない石田・桜井ペアの東京ネタ攻めに、黒羽・橘ペアは手も足も出なかった。 もちろんふたりも、ただやられていたわけではない。サービス時に、石田や桜井には難しいだろうネタをふってきた。 「千葉県の市町村名!」 だの、 「九州にある県名!」 だの、 「東京と名が付くくせに東京にないモノ!」 だの。 本人は自信を持って答えられるが、石田・桜井には難しいお題で、サービスゲームだけは絶対にキープしようとしていたらしい。 しかし。 それらのお題は、石田・桜井だけでなく、相方にも難しかったらしく、彼らは自滅していったのだ。 「40−15!」 森のコールが、石田・桜井ペアのマッチポイントを告げる。 サーバーは黒羽。 次のお題が何であれ、なんとかひとつ答えて、橘に返球すれば、勝てる。 レシーバー桜井は、口元に余裕の笑みを浮かべながら、ぐっとラケットを握った。 「『夏の大会時点での不動峰テニス部員のフルネーム』! 橘桔平!」 桜井は、うろたえた。 今まで、何があろうと千葉県ネタか海ネタで攻めてきた黒羽が、そんなネタで攻めてくるとは。 「桜井雅也!」 「森辰徳!」 「石田鉄!」 「神尾アキラ!」 「内村京介!」 打ち返した瞬間、桜井は絶望を知った。 今までの千葉ネタ海ネタ攻めで失敗を続けていたのは、自分たちを油断させるための芝居であったのだろうか、とさえ思うほどに、黒羽が狡猾な男に見える。 黒羽がニヤリと笑った。 勝ち誇っている。勝てる自信があるのだ。 「伊武……深司!」 最後の仲間の名を叫びながら、黒羽はボールを打ち返してくる。 終わった。 もう、他に部員は居ない。 桜井は自分に向かってくるボールをじっと見つめながら、呆然と立ち尽くす。 「桜井、どけ!」 石田の大柄な体が、ボールと桜井の間に飛び込んできた。 「やめろ、石田! 無駄だ!」 桜井は叫ぶ。 しかし石田はやめなかった。 ぐっと両手でラケットを握り、力強くボールを打ち返す。 「橘……杏!」 「何!?」 渾身の力が込められたボールが、黒羽と橘の間を抜けた。 力強くバウンドした後、コートの後ろにある壁にあたり、コート内まで跳ね返ってきたころには、力無く転がるだけだった。 ボールの動きが止まるころ、黒羽の、橘の、そして桜井の視線が、次々と石田に集まる。 「黒羽さん。不動峰『男子』テニス部員とは、一言も言ってませんでしたよね」 石田は、『男子』のところだけを強調して言った。 橘が静かに笑う。 「……なるほどな」 「あー、そう来たのかよー。ちくしょー、負けた!」 続いて黒羽が悔しそうに息を吐き、それから満足そうに笑った。 「ゲームセットウォンバイ、石田・桜井ペア!」 高らかに響き渡るのは、審判である森のコール。 振り返る石田の微笑みが、どこか力強く、爽やかだ。 「やったな、石田!」 桜井は喜びと感謝の気持ちを込めて、石田の背中に突撃した。 |