「電気、消すぞ」 声を発した二秒後、パチン、と小さな音が立ったかと思うと、桔平の部屋の電気が消える。 明りに慣れていた目は、突然の暗闇に対応しきれず、黒羽の目にはただ一面の闇だけが広がっていた。 もちろん同じ状況にある桔平も同じであろう。しかし、部屋の主ならば視力に頼らなくても室内移動程度ならば容易い。よどみなく移動して寝床についた事が、音や空気のふるえで判った。 「なんか静かだな」 思わずそんな言葉が口をつく。 「もう夜中だ。あたりまえだろう」 「そうなんけどよ、数時間前までみんなで騒いでたのが嘘みたいだなと」 「確かに」 数時間前までリビングに溢れていた、笑い声や、光や、食欲をそそる匂い。それらが今ここには一切無い。 それをなんとなく寂しいと思うのは自分だけでは無いだろうと、黒羽は妙な確信があった。 たとえば、この部屋の主も。 「しかし、驚いたぞ」 「何がだ」 「あいつらがああも見事にお前に懐くとは思わなかった」 「ああ」 桔平の言う「あいつら」が、彼の愛しい後輩たちである事は間違い無く、彼らの事を思い出すと、黒羽の口元には自然と笑みが浮かんでいた。会った瞬間の不愉快そうな視線も、パーティで和んでからの楽しそうな視線も、どちらも愛しく思えるのだから不思議だ。 しかし。 「……懐いてたか?」 ふと浮かんだ素朴な疑問を、黒羽は桔平に投げかける。 内村と神尾のふたりは、間違いなく懐いてくれていただろうと言う自信がある。ふたりの「構ってオーラ」は相当なものであったから。 石田と桜井のふたりも、心を開いてくれたなと言う手応えはあった。あのふたりは他の連中より大人で、嫌いな人間に「嫌いですオーラ」を剥き出しにできない礼儀正しいタイプではあるから判りにくいが、浮かべる笑顔が外向きではなさそうだったので、問題無いだろう。 問題なのは、他のふたり。 「森と伊武が微妙な気がするぞ」 「ふむ」 流れる沈黙。 暗闇の中で、あまりに沈黙が続いたので、寝付きの良い桔平の事だからもう眠ってしまったのではないかと、黒羽は少し心配になった。 「深司は基本的に、他人は全員嫌っていると思っていい」 どうやら、まだ起きていたらしい。その点には安心しつつ、 「……それってどうなんだ」 伊武の将来が心配になった黒羽だった。 「嫌われてなければ、充分慕われていると思っていいって事だ。あいつ、大抵の相手にはぼやきこそしても、口聞いたりしないからな」 「……いいのか、それで」 「それから森の方だが……年上の人間に嫌悪感を抱いているのはみんな同じだが、森は特にその傾向が強いからな、戸惑ってるんだろう。時間が解決する」 かすかに耳に届く笑い声。 後輩たちに絶対の信頼を置かれ、また絶対の信頼を置いている桔平がそう言うのならば、まず間違いないのだろう。 「そう言うモンかねえ」 「そう言うモンだ。あいつらとの付き合いはもう一年以上になるが、俺以外の先輩にあんなに好意的な態度を示した事、見た事ないぞ?」 それは、彼らにとって「橘さん」がとても大切で、特別で、唯一の人であったのだと言う何よりの証拠。 更に言うならば、彼らの気持ちに負けないくらいに、桔平が彼らを愛している証拠にも聞こえるのだが。 「お前さあ、ひょっとして」 「何だ」 「ちょっと悔しいなあとか思ってるか?」 それは質問ではなく、ほぼ確信に近かった。 「なっ」 目はだいぶ闇に慣れたが、桔平の表情を覗く事は適わなかった。 しかし桔平が体を起こしてこちらを見ているのがシルエットと音で判ったし、桔平がとても複雑な表情を浮かべているだろう事は、容易く想像できる。 「橘サンは後輩クンたちが大好きだからなぁ?」 からかうように言うと、橘は無言で黒羽に背を向けて布団に戻った。 それで終わりかと油断していると、 「せいぜい、天根が俺に懐いたときのお前と同じくらいだと思うぞ」 思わぬ反撃を受け、黒羽は絶句する。 返答に詰まるとはまさにこの事。 つい数秒前の桔平も、こんな状態だったに違いない。 「まあ、そーゆー事にしておいてやるよ」 黒羽はとりあえず、引き分けで終わらせておくことにした。 |