ぼやき

「だから、ケーキは丸だから、360度だろ? それを九人で割るなら、ひとり40度で割り切れるじゃねえか」
「そっか! 不公平にならずに割れるのか!」
「賢いッスね、黒羽さん!」
 顔を突き合わせて、ケーキをどうやって九分割しようかと一生懸命悩んでいる三人を眺め、伊武は小さくため息を吐く。
 三人のうちひとり、ケーキを切るためのナイフを持つ男は、六角中の黒羽春風。なぜか伊武の正面に座っている。
 もう二人は、ついさっきまでその黒羽に対抗意識を燃やしていた内村と神尾である。
「恥ずかしいくらい子供だよねアイツら……やんなっちゃうよ。黒羽さんがアイツらと俺を同レベルで扱ったらたまらないよね。どう責任とってくれるのかなあ……」
 伊武は誰に聞かせるわけでもなく、そうぼやきながら、視線を三人からずらした。
 まさに今、すべての準備を終えてリビングにやってきた桔平に。
 桔平は視線を部屋の中で一周させ、あいている伊武の隣に座る。
「その40度をどうやって測るんだ? 分度器でも持ってくるか?」
 楽しそうに微笑む桔平の表情には、心なしか、いつもほどの強引さにも似た頼もしさはない。
 油断した顔。
 後輩たちだけに囲まれている時には、けして見せないものだと伊武には判る。
 いや、判っているのは伊武だけではなく、ここに居る全員――橘を除いた――なのであろう。判っているからこそ、内村と神尾は子供じみた対抗心を抱き、桜井と石田と森は、戸惑いを隠せないのだ。
 伊武もどちらかと言えば桜井たちと同じだった。
 桔平を黒羽に奪われたような悲しさ。自分たちは桔平にとって頼れない存在なのだと言う事実を見せつけられた空しさ。
 そんなものが胸に沸き上がりつつも、神尾たちのように独占欲を剥き出しにしたり、あっさり鞍替えして懐いたりできるほど子供にはなりきれず、戸惑うしかない。
「分度器なんてめんどくせえ。カンでなんとかするって」
「カンで40度ぴったりに切れるんですか?」
「切れるわけねえだろ。どっかのデータマンじゃあるまいし!」
「じゃあ、やっぱ不公平じゃないッスか!」
 三人分ののんきな声は、橘家中に広がりそうな勢いだ。
 まったく、戸惑ってるこっちの気も知らないで、そんなばかばかしい事でいつまでももめるなよ。お前たちの悩みなんて、こっちの悩みに比べれば、どうでもいい悩みだろ。ケーキが小さくたって死にはしないんだからさぁ。まあこっちの悩みだって解決しなくても死にはしないけど。
 いつもの伊武ならばそうぼやいているはずだったが、しかし珍しく、伊武はぼやきを音にしなかった。
 桔平が、幸せそうに笑っているから。
 自分たちを幸せにしてくれた男が、誰よりも尊敬し、大切な人間が、幸せであるなら。
 その幸せを、壊すような事をしたくない――できるはずがない。
「そんなにもめるなら、ケーキを八等分にすればいいだろ。それならよっぽど下手な切り方しない限り、平等になるし」
 伊武の発言に、部屋の中はシンとなる。
「バカ深司。そんな事したら、ひとり食えねーじゃねーか!」
「なんで神尾にバカって言われなきゃいけないのかなあ。ひとり食べられない事くらい判ってるよ。俺は神尾みたいに後先考えずに発言するようなバカじゃないからね。別に俺、ケーキなくてもいいって言ってあげてるんだよ……神尾みたいにお子様じゃないから、甘いものあまり食べられないんだよね」
「深司!」
 単純な神尾は頭に血を上らせて、今にも伊武に掴みかかりそうな勢いだったが、黒羽が神尾の首根っこを掴み、それを制止する。
「まあまあ、せっかくのクリスマスにもめるなって」
「でも……」
「伊武、ほんとに八等分しちまっていいのか?」
 何か言いたげな神尾を放置し、黒羽は、伊武に問い返してきた。
「だからいいって言ってるだろ。聞き返すなよ」との意味を込めて、伊武は静かに頷く。
「判った」
 納得したのか、そう短く答えて、黒羽はケーキにナイフを入れた。
 別に、ケーキなんてなくてもいい。杏の手が入ったケーキよりも、桔平が作った料理の方が美味いだろう。
 などと、杏に失礼極まりない事を考える伊武。
「お、失敗」
「黒羽さぁん!」
「これが一番でっかいな。俺、これな」
「ずるいッスよ!」
「うるせえ、歳の順だ!」
「歳の順なら」
 桔平の声が、静かに響く。
「俺が一番だろう、黒羽」
 黒羽は一瞬だけ両目を大きく見開いたが、すぐに、
「……しょうがねえな」
 そう言いながら笑った。
 黒羽に切り分けられた不公平なケーキは、誕生日が早い順に選ばれていき、結果一番図体の大きい石田に一番小さなケーキが渡る。
 それを不憫に思ったのだろう、杏が自分に分けられた四番目に大きいケーキと交換し、ケーキの振り分けが完了した。
「準備も整った事だし、乾杯するか」
「おう! じゃあお前ら、ジュース持て! メリークリスマス!」
『メリークリスマス!』
 さきほどまでは「なんでお前が乾杯の音頭を取るんだよ」などとつっかかりそうなだった二人は、すっかり納得してしまったらしく、黒羽の持つグラスとグラスを合わせている。
 単純なヤツら。
 何度目か判らない、呆れ果てたため息を吐きつつ、伊武はとりあえず適当に何か食べようと、フォークを手にした。
 その瞬間。
「ほら」
「深司、半分どうだ」
 正面からは、ひとくち大(伊武にとっては、ひとくちと言うには少々大きすぎたが)に切られてフォークに刺さったケーキが、伊武の目の前に現れ。
 左隣からは、ケーキの乗った皿が進められ。
「……は?」
 伊武は硬直した。
「あ、なんだよ、やっぱりお前も同じ事考えてたのか。お前がケーキの大きさにこだわるなんて、おかしいと思ったんだ!」
「いくらなんでも切り分け方が下手すぎると思ったが……やはりな」
 ふたりの視線が絡み合っているのは、見なくとも判った。
 そんな事はどうでも良かった。伊武は戸惑いを隠すのに必死だったのだ。先ほどまで悩んでいた、黒羽の対処法よりも、視界に入るケーキの対処に戸惑っている自分に驚きながら。
「とりあえず、このひとくちだけでも食え! 俺が意地汚いと思われんのは、ゴメンだからな!」
 食えと、言われても。
 伊武は無意識に、助けを求めて桔平を見上げる。
「責任とって食ってやれ」
「俺の責任ですか……?」
「ああ。ついでに、俺のケーキも少しは食べろよ。俺も甘いものはそんなに好きじゃないから、責任を取ってくれ」
 なんだ、それは。
 俺はいらないとちゃんと言ったのに、なんて勝手な理屈をこねるんだ、この人たちは。
 そう思いつつも、どれほど考えても、拒否の言葉は伊武の頭の中に浮かんでこない。
 そんな自分が、この空間が、くすぐったくてたまらない。
「勝手な事言うよなあ、ケーキ切り分けたのも、ケーキ選んだのも、全部自分なのになあ。俺は親切に遠慮してやった、むしろ被害者なのに、すっかり加害者扱いだよ」
「深司」
「……いただきます」
 桔平の制止に答えるように小さく呟いて、伊武は目前に迫るケーキにかじりつく。
「橘兄妹がお前たちのために愛を込めたケーキは、美味いだろ? 食べて良かったろ?」
「はあ……まあ」
 伊武は何やら照れくさくなって、俯いた。
 まあ、確かに。
 たまには甘ったるいケーキも、悪くないかもしれない。
 ケーキを押し付けてきたこの人が、正面に座って居る事も。

【残り三人】


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