「サエさあああああん!!」 1月、始業式の早朝。 まだ正月休みの余韻が抜けず、ぼんやりした表情で登校してくる学生達の中、校舎中に響き渡るような大声をあげながら廊下を疾走する1年生がひとり。 「亮さん、樹っちゃん! タイヘンだよ!」 通りすがりの上級生が露骨に迷惑そうな表情をして睨みつけてきたのにも気付かず、葵は部活の先輩達のもとへと駆けてくる。 たまたま廊下で立ち話をしていた3年生たちは、やはり冷たい表情で後輩を出迎えた。 「うるさいよ、剣太郎」 「……廊下は走っちゃだめなのね」 「それどころじゃないよ、タイヘンなんだから!」 正当な注意の言葉を聞きもしないでただ「タイヘン」を繰り返す葵を見て、木更津はふと時代劇の岡っ引きを思い出し、ひとりくすくすと笑いを漏らした。 「まぁ、とにかく、何がタイヘンなんだ?」 腕を組んで佐伯が尋ねると、葵は3人を見上げて、泣き顔と怒り顔が入り混じったような表情で、搾り出すように言葉を吐いた。 「ダビデが……東京でカノジョを作ってきた……!」 『は?』 3人の声が重なる。 佐伯は首を捻った。この正月休み、「想い人」に会いに黒羽が東京に行ったのは知っている。それに天根がくっついていったのだということも。 つい先日、二人は連れ立って佐伯家を訪ねてきて、お土産を届けてくれたのだが―― そのときはそんな話、ひとことも聞かなかったぞ。 これは追及の必要があるな。佐伯はキラリと目を光らせた。 「どういうことなのね? 剣太郎」 「あのね、ボク今朝、学校にくる途中にダビデに会ったんだよね」 樹の問いに、葵は握り締めた拳を震わせながら語り始める。 「んで、年賀状の話になって。お互いの持ってた年賀状を見せあいっこしてたわけ」 年賀状の枚数を競い合うのは、いつの頃からか恒例となった彼らの習慣である。毎年最初の部活のときに部室に年賀状を持ち寄って集まって、お互い数えあって騒ぐのがお決まりのパターンになっている。 3人は葵の話にうんうんと頷いた。 「そしたらさ、ダビデが大事に懐にしまっちゃって、どーしても見せてくれないのが1枚あったんだ。そんなことされたら気になるじゃん? 見せてくれって一生懸命ねだったんだけど、昨日届いたばかりで俺もまだじっくり読んでないから見せられないって言い張るわけ! 怪しいでしょ?!」 「うん。それは怪しいね」 「だからさ、誰から来たんだって聞いたんだ! そしたら、『東京で新しくできた友達だ』って言うんだよ」 一瞬、話が途切れる。 樹と木更津は顔を見合わせ、佐伯は左手で額を押さえた。 「友達って。カノジョじゃないじゃないか」 「でもあんだけ大事そうにしてたもん、絶対カノジョだよ! 酷いよズルいよダビデってばさ、ボクを置き去りにして東京に行って、よりにもよって外国人のカノジョを作ってくるなんてさ……!」 再び、刹那の沈黙が訪れた。 「ん?」と木更津は目を細め、 「?」と樹は首を傾げ、 「外国人……?」と佐伯が眉をひそめた。 「そうだよ! ボク名前聞いたもん。ダビデの年賀状の相手、イブちゃんて言うんだって!」 イブ。 それは確かに、日本人の名前ではない。 疑い半分で聞いていた葵の話が一気に信憑性を増し、3人はいっせいに身を乗り出した。 「いろいろ聞いてきちゃった。髪の長さは肩くらいでサラサラで、体型は細めで、背の高さはコレくらいだって。ダビデと同い年で、ボクと同じくらいだっていうから女のコにしては高いよね、まあ外国人ならフツウかな」 「どこで知り合ったんだろうな。……不動峰の子かな?」 「確かそうだって言ってたよ。ダビデも年賀状出したんだってさ。いいなああ、ボクも金髪グラマーのカワイイ女の子と文通したい……!」 いや、外国人だからといって金髪グラマーだとは限らないだろう、とか。 そもそもお前自身がさっき「細身」だって言ったんだから、グラマーである可能性は低いだろう、とか。 佐伯と樹は交わした視線だけで、ひそやかに後輩に突っ込んだのだが。 ただ一人木更津だけが、腑に落ちない、といった様子で腕を組んでいる。 「……おかしいな……」 「亮?」 木更津は呟いて、3人を見まわすと口を開いた。 「いや。実はね。俺も今朝、下駄箱のとこでダビデに会ったんだ。で、やっぱり年賀状の話して、東京で知り合った友達の話も聞いた。……でも」 「でも?」 「剣太郎に聞いたのと、名前が違うんだよね……」 木更津は視線を窓の外にさまよわせた。 「確か……シンディとかって」 「シンディ?!」 「二股なのね?!」 「しかもまた外国人かよ!」 少年達は三者三様の叫びを上げる。 登校してきた女子生徒が不信そうな眼差しを向けながら通りすぎていくが、もはや彼らの目には入っていなかった。 「俺もいろいろ話聞かせてもらったよ。一緒におみくじ引いたとか皿洗いしたとか、ちゃんとダビデのダジャレを聞いてくれたとか、魚分けてもらったとかプリン分けてもらったとか嬉しそうに言ってたけど……」 「ダビデのダジャレを……それは稀少な女の子なのね」 「貴重だ……」 樹と佐伯は深く頷きあい、 「食べ物、分けてもらったなんて……それってか、か、間接ちゅー……?」 葵は目尻に悔し涙さえ浮かべている。彼は年末、クラスの女子全員に年賀状を出したのだが、回収率は4割に留まったらしい。その悔しさは察して余りある。樹は深く彼に同情した。 ――許すまじ、天根ヒカル。 葵のやりきれない想いが頂点に達した、ちょうどそのタイミングで。 「よ、お前ら! 何話してんだ?」 「廊下で何をしゃべろうか。……ぷっ」 「新学期早々くだらねえんだよ!」 ツッコミの回し蹴りの鈍い衝撃音とともに、六角中テニス部の漫才コンビが現れた。 4人は顔を上げ、声をかけてきた黒羽ではなく、その後ろで背中を丸めていた天根にいっせいに顔を向ける。 「……? ? ?」 けして好意的とはいえない仲間達の視線を一身に受け、天根は目に見えて動揺した。 その彼に向かって、顔を真っ赤にした葵がとびかかっていく。 「ずるいよダビデ! 一人で抜け駆けして挙句の果てに女の子一人占めなんて! 次に二人が東京に行く時はボクも絶対に着いてくからねっ、そのときはイブちゃんかシンディちゃん、どっちか一人紹介してよ!!」 「……?」 「あー、逃げるなっ!」 葵の勢いに押され、天根はくるりとこちらに背を向けて、廊下の向こうに走っていった。その背中を追いかけ、葵も去って行く。 「……なんだ、あれ?」 「さあね?」 後輩達の姿を呆然と見送りながら黒羽は呟き、木更津はくすくすと笑った。 そして。 「東京の彼女か……」 佐伯は小さくため息をついて、寂しげな視線を虚空に投げたのだが。 「どうしたのね、サエ?」 「……ん。なんでもないよ、樹っちゃん」 心配そうに声をかけてきた樹に、すぐに明るく笑ってみせた。 その後、樹の説明でようやく事態を悟った黒羽と天根は、天根が千葉で作ってきた新しい友達はけして外国人ではなく、ましてや女の子ですらない、ということを、懸命に説明しようとしたのだが。 興奮した葵にそれを理解させるのには、長い時間を要したのであった。 END. 六角のコたちがなんだかもう仲良しすぎてかわいくて! 特に葵さまのあまり成果のない努力が泣けるほど(T_T) そんでもってダビくんの東京の彼女。 イブまでは読めましたが……シンディは読めなかった……(T_T)! 果てしない幸福と敗北感が同時に襲ってきましたよ。 えぬはらさん、本当にどうもありがとうございました! えぬはらさんのサイトはこちら。 嬉遊曲 |